最高統括者


「──ようこそ丹上君。ここは、私たち異能研究会の本拠地、『異能園エデン』よ。」


 異能園エデン。読みは多分、旧約聖書から借用したのだろう。原初の人類、アダムとイブ。彼らの暮らしていたのが、たしかエデンの園という場所だった。

「随分と、大層な名前だな。」

「......そうね。初めて聞いたとき、私もそう思ったわ。」

 翠川もやや不本意そうに、額を抑えている。

「まあ、私たちのリーダーがそういう人なのよ。」

「リーダー、ね。異能研究会、とか言ったか。」

「ええ。私たち異能研究会の自称日外あぐい紗藍さらさん。この異能園えでんも、現実世界側は日外さんの持ち家なの。」

「最高統括者......? それは、所謂いわゆるCEOとかCOOみたいなものか?」

 CEOは最高経営責任者、COOは最高執行責任者のことで、アメリカなどを中心に広まっているビジネス用語だ。

「まあ、ニュアンスとしては近いと思うわ。でも、日外さん的にはCEOみたいな略称はあまり好きじゃないみたい。曰く、『安易な横文字は却って品格を損なう』だそうよ。」

 まあ、言わんとせんことはわかる気がする。

「ちなみに、私たちは基本リーダー、もしくは日外さんで通しているわ。」

「だろうな。俺もそうさせてもらおう。」

 最高統括者、というのは日常的に使うには少々長すぎる。

「にしても、日外さんか。」

「あら、知り合いなの?」

「......いや、同じ名字の人を知ってるだけだ。ただ、あまりに珍しい名字だから、もしかしたらと思ってな。」

 たしか、父親の知り合いに日外という資産家の男がいたはずだ。

「じゃあ、一先ひとまずその日外さんに挨拶だけでもさせてくれ。お礼の品は追々準備するにしても、目覚めるまで場所を貸してもらった以上、それくらいのことはしておきたい。」

 それに、異能研究会についても話を聞いてみたいからな。

「うーん、どうかしら。ちょっと前に大学に行ったばかりだから、まだ戻ってきていないと思うのよね。」

「そうか。その、日外さんというのは、教授かなにかをされている方なのか?」

「え? いいえ全く。日外さんはただの女子大生よ?」

 どうやら、資産家の日外とは全く別人のようだ。

「まあ、そうね。夕方には戻ってくるんじゃないかしら。」

 翠川は左手首を回し、腕時計をちらりと見る。

「......ちょっと待ってくれ。今は何時だ?」

「今? 大体、四時くらいかしらね」

 四時。

「それは、午前のだよな?」

「? いいえ、午後よ?」

 そういえば、先程。隙世を出た先の部屋で、翠川がカーテンを開けたとき。

 思えばあのときに気付くべきだったんだ。

 何故、日光が入ってきたのだろう、と。

「最後に聞かせてくれ。俺は一体何時間寝ていたんだ?」

「何時間? 待ってね。ひーふーみー、と──」

 やや古めかしい言葉遣いで、指折り数えだした。

「──うん。そうね、ざっくり十五時間くらいかしら。」

 最悪だ。

 あわてて、俺はポケットをまさぐる。しかし、お目当てのものが見当たらない。

「すまない翠川、俺の携帯を知らないか?」

「ああ、それならそこに置いてあるわよ。」

 翠川はベッドの奥に置かれたテーブルを指差す。そこには昨晩使った催涙スプレーや、革製のキーケース。そして、ご丁寧にも充電器に繋がれた俺のスマートフォンが置かれていた。

「充電しておいてくれたのか。ありがとう」

 気持ち早口で翠川に礼を言いながらも、それ以上に手早く携帯を回収し、そして画面を開く。


『不在着信 六十二件』


 まずい。

 父親、十件。母親、三十九件。兄、十五件。

 ざっと内訳を確認したが、すべて家族からのものだった。

「すまない、翠川。一本だけ電話に出てくる。」

 簡潔に用件だけ告げて、早足に俺は翠川の横を通り抜ける。

「え、ええ。わかったわ、行ってらっしゃい。」

 ガチャリ。

 白い開き戸をノブが取れてしまうほどの勢いで引き、そのまま俺は廊下へと繰り出した。

「......長いな。」

 室内からでは分からなかった、想像以上の廊下の長さ──ひいては隙世げきせの広さに、思わず面食らってしまう。

「と、そんな場合じゃない。」

 急ぎ、家族に連絡を取らなければ。軽い散歩のつもりで外出したのに、十六時間近く戻らなかったんだ。

 最悪、行方不明扱い。誘拐でもされたのだと誤解されていてもおかしくない。

「今の時間で繋がりそうなのは──兄さんか。」

 数度画面をつつき、兄さんの番号に発信する。

 ワンコール。

 ツーコール。

 繋がった。

れい!? 無事だったのか!」

 やや音割れするほどの声量で、兄さんは俺の名前を叫ぶ。

「ええ。聞いての通り、俺は無事です。心配をお掛けして、ごめんなさい。」

「いや、気にすることはない──とは、とても言えないけど。ひとまず良かったよ。僕はてっきり事件にでも巻き込まれたのかと。」

 事件、か。あながち間違いではないな。ただ、異能のことを話していいだろうか。そもそも、話したとて信じてもらえるのか。

「......いえ、ただちょっと立ちくらみを起こしてしまいまして。フラフラとしていたところを、知人に助けていただいたんです。」

 僅かに思案して、結局誤魔化すことにした。

「今はちょうど、その知人のところでお世話になってまして、先ほどようやく目を覚ましましたので、こうして連絡させていただきました。」

「なるほど、分かった。それじゃあ、父さんと母さんには一応僕からメッセージを飛ばしておくけど、玲からもきっちり伝えるんだよ。」

「はい、勿論です。」

 良かった、なんとか誤魔化されてくれたか。

 しかし、その安堵は兄さんの次の言葉で覆される。

「......それと、ちょっとその玲の知人のかたに代わってもらえるかな?」

 兄さんの声からは、少しの疑いのようなものが感じ取れる。

 やはり。やはりそう一筋縄ではいかないか。

「ええ、わかりました。少々お待ちを。」

「うん、待ってるね。」

 一度携帯を耳から外し、ミュートボタンを入れる。

 少々面倒なことになったが、翠川ならきっと、うまく対応してくれるだろう。

 そんな無責任な期待を寄せつつ、先ほど飛び出したばかりの扉を三回ノックする。

 コン、コン、コン。

「どうぞ、お入りくださいまし。」

 けれど、聞こえてきたのは耳慣れぬ声だった。

 鈴を転がすような、細く透き通った声。

 翠川の声はもっと芯の太い、溌剌はつらつとしたものだった。

 想定外の展開に、少し逡巡しゅんじゅんしてしまう。

 してしまうが、しかし今はそんな場合ではない。

 ええい、ままよ。

「失礼いたします。」

 白い扉を開き、白い病室に戻る。

 そこで、つい少し前まで俺が寝ていた白いベットの上に腰を掛けていたのは、白い髪を胸のあたりまで垂らした、雪のような肌の女性だった。

「すみません、少々翠川さんをお借りしても?」

 一体どこから──いや、間違いなく裂け目を経由して部屋にやってきたのだろう女性に、お伺いを立てる。

「あら、悠乃ゆのちゃんでよろしいの? ここはあるじは一応、わたくしですけれど。」

 もしやとは思っていたが、やはり。この女性の正体こそが日外あぐい紗藍さら。異能研究会の最高統括者様か。

 そして、

「聞こえていらしたんですね。」

「ええ。私は貴方の知人の方、なのでしょう? 心配は無用ですよ、上手く収めて差し上げましょう。」

 驚くほどに自信ありげな態度だ。

「......信じます。お願いいたします。」

 俺は日外さんにスマホを差し出した。

「ええ、お任せになって。」

 日外さんは意気揚々とスマホを受け取り、そのまま耳に当てる。

「もしもし。もしもし、お電話を代わりました。日外紗藍でございます。......もしもし、聞こえていらしてますでしょうか、日外紗藍、日外紗藍でございます。」

 なにやら、選挙の候補者みたくなっている。

「日外紗藍、日外紗藍でございますよ?......あら?」

 不意に、スマホの画面を覗き込む。

「丹上君。これ、ミュート状態でしたのね。」

 そう言って日外さんは、真っ白な肌を熟れた果実のように赤く染めた。

「......すみません、お伝えしておくべきでした。」

「いえ、いいえ。構いませんことよ。」

 ミュートを解除して、再度スマホを耳に当てる。

「もしもし、お電話を代わりました。日外紗藍でございます。......ええ、ええ。いえ、気に病まれる必要はございませんよ。......はい、それでは。御機嫌よう。」

 時間にして一分にも満たないほどだろうか。兄さんと言葉を交わした日外さんは、通話中のスマホをこちらへ返してくる。

「ありがとうございます。」

 受け取った俺は、そのまま耳に当てる。

「もしもし、兄さん。代わりました、玲です。」

「............。」

 おかしい、応答がない。

「兄さん、聞こえますか。俺です、玲です。たった今、日外さんから電話を代わりました。」

「............。」

 しかし、それでも応答がない。

「何だ?」

 もしや回線でも悪いのだろうか。

 携帯会社に対してやや懐疑的になりつつ、一度スマホの液晶面を確認する。

 すると、すぐに異常に気付く。

 複数並んだアイコンの中で、一つだけ白く目立っている斜線の入ったマイクのアイコン。

 要するに、ミュート状態だった。

「......日外さん?」

 一体何故、わざわざミュート状態に。

「あら、どうかなさいました?......ああ、一応ミュート状態にしておきましたが、お伝えしておくべきでしたか。申し訳ございません、そこまで気が回らず。」

 言葉の上では真摯に謝罪しているものの、顔を見れば直ぐにそれが先ほどの意趣返しだとわかる。

「うふふ。」

 ぺろり、と軽く舌を出した顔でこちらを見る

 なるほど、これが。

 これが異能研究会最高統括者、日外紗藍という人物なのだ。




「無事にお話は付いたようで、何よりです。」

 通話を終わらせた俺に、先の悪戯など知らぬとばかりに声を掛ける日外。

「ええ、お陰様で。」

 少々の皮肉を込めてそう言うが、きっと彼女にはどこ吹く風だろう。

 なんともまあ、儚げな見た目とは裏腹にひどく鮮烈な人だ。

「その、ごめんね。」

 一方、やや遠慮がちに声を上げる翠川。

「? 何のことだ?」

「起こして真っ先に、知らせてあげるべきだったなって。何も言わずに一晩居なくなってるんだもの、普通の家族なら当然心配もするわよね。ちょっと、そこまで思い至らなくて、だから、ごめんなさいね。」

 垣間、翠川の抱える闇が見えた気がした。

「いや、別に謝られることじゃない。俺がちょっと浮かれてただけのことで、それに携帯だって、多分鳴らなかっただろ?」

 手癖というべきか、夜の散歩に出かけるとき、俺はいつも携帯をサイレントモードに入れているのだ。

「ほんと、気にすることじゃないよ。」

 やや強引に話を切り上げる。

「さて、それで日外さん。改めて自己紹介と、それからお礼を言わせてください。俺は丹上玲。星蘭せいらん高校の二年です。この度は一晩休ませていただき、ありがとうございました。」

「星蘭高校......!?」

 翠川が何か呟いた、が、今は後回しだ。

「あら、ご丁寧にありがとう。では、わたくしも。私は異能研究会、最高統括者。兼、星蘭の三回生。日外家の一人娘、日外紗藍ですわ。どうぞ、よしなに。」

 随所に気品を感じさせる振る舞いで、日外は名乗り上げる。

「ええ、よろしくお願いします。ところで、日外さん。大学は内部進学で?」

 星蘭高校と星蘭大学。名前からも分かるが、この二校は所謂いわゆる系列校だ。そして星蘭高校の正式名称は星蘭大学附属高校であり、在学生にはそのまま大学へエスカレーター式に進学する制度が用意されている。

「はい、そうですよ。なので、高校は丹上君と、それから悠乃ちゃんともおんなじですわね。」

「なるほど、では大先輩ということになりますね。......というか、翠川、後輩だったのか。」

 翠川が高校一年生ということは聞いていたが、この場合の後輩とは"同じ学校の"後輩である、という意味だ。

「私も今さっき聞いて、驚いていたところ。というか丹上君、私やっぱり、敬語の方がいいんじゃないかしら?」

「いや、今更敬語で話されても妙な感じがするだけだから。」

「それも、そうかしらね。」

 翠川はうんうんと頷いた。

「お二方、この短い時間で随分とむつまじくなられたのですね。」

 そんな俺たちのやり取りを見て、日外は顔をほころばせていた。

「無事打ち解けてくれたようでなによりです。なにせ、これからのに、いがみ合っていては居心地が悪いですもの。」

「仲間、ね。それは俺も、日外さんの異能研究会に入るという意味でしょうか。」

「あら、違いましたの? 私、てっきりもうそこまで話が進んでいるのかと思いましたが、早合点はやがってんでしたか。」

「いや、まあ、そうですね。結局のところはそうなる気がしてますけれど。実は俺まだ、研究会についてほとんど何も知らされていませんので。」

「本当はさっき、それについて話すつもりだったんだけど、タイミングを逃しちゃったのよ。」

 ごめん、と両手を合わせる翠川。

「なるほど、なるほど。そういうことでしたか。でしたら、いいでしょう。私から、お話してしんぜましょう。我が異能研究会の全貌について、最高統括者たる私が手ずから、ね。」




「それと、丹上くん。折角仲間になるのですから、私に対しても砕けた口調で構いませんわ。そちらの方が、打ち解けられる気がしますもの。」

 そう言って日外は片目をつむってみせる。

「......ああ、じゃあお言葉に甘えて、そうさせてもらうよ。」

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異能の卵 菊陽重 @Death_of_heart

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