隙世

「さて、ここまでの経緯はわかった。それで、ここは一体どこなんだ。もない、さえ聞こえない。察するに、地下室か何かだとは思うんだけどな。」

 異能なんて神秘を扱うのに、地下室ほどお似合いの場所はない。ややサブカルチック推論だが、大きく外れてはないだろう。

「地下室、そう。地下、ね。まあ、当たらずとも遠からずといったところかしら。」

 翠川ひかわは意味ありげな笑みを浮かべる。

「ま、ちょっと見てなさい。」

 そう言うと、翠川はを突き出し、そしてその手首に右手を絡める。

 ......左手?

「もう丹上にのがみ君は気づいてるだろうけど、一応説明するわね。」

 突き出した手はそのままに、話し続ける翠川。

「私たち異能者がその力を発動するには、たった一つだけ満たさなくてはいけないルールがある。それは、発動主体の根本──つまりは右手首を、左手で握ること。」

 やはり。翠川然り、椛蓮かれん然り。俺が目にした限り、彼女らはどちらも、異能を使う際は決まってそのポーズをしていた。

「これは絶対的なルールよ。詠唱やら宣誓やら、なんてのは別に無くてもいいけれど、これだけは避けられないわ。」

 詠唱。また妙な単語が出てきた。

「逆にこれさえ満たせば、後は思念だけでも発動できる。さて、これが異能の基本なのだけど、じゃあここで問題。もしこのステップを、反対の手で行ったら?」

 異能は不発になる、のか?

「正解は、ね。異能現象になり損なったエネルギーのみが、放出される。私たちはこれを、『異能波』と呼んでいるわ。」

 なるほど。ならば、その異能波とやらを異能現象に変換する器官は右手にあるのだろうか。

「そして、この異能波をある空間にぶつける、と──」

 翠川は僅かに顔を強張こわばらせ、そして手首を握る右手の力を強める。

 そして、翠川の左手から、はっきりと知覚のできない"何か"が放たれたような気がした。


 その刹那。


 翠川の前方の空間に、穴が開いた。


「──空間に裂け目が生まれる。」

「これ、は......?」

 穴──いや、これはワームホールとでも呼ぶべきだろうか。薄紫色のもやまとった裂け目の先には、大テーブルやソファなどが設置された、談話室のような空間が広がっている。

「ほら、着いてきなさい。」

 そう言って、翠川は裂け目を通り抜ける。

「......ああ、了解。」

 翠川に先導されるがまま、内心恐る恐る俺も裂け目を通る。

 そんな俺を迎えたのは、やはり先ほど裂け目から見た談話室のような部屋だった。

「さて、何か気づくことはないかしら?」

 翠川は挑戦的な笑みを浮かべる。

 しかし俺としては、情報量が多すぎてそれどころではない、というのが正直なところだ。

 先ほどまで白一色の空間にいたかと思えば、今度は木製のテーブルに紺色のソファ。若緑色のカーテンに、挙句には何やらスクールバッグほどの大きさをした、シマエナガのクッションまで置かれている。

「......駄目だ、全く分からない。」

 俺は素直に白旗を振った。

「正解はね、よ。」

 音。もしやモスキート音でも鳴っているのだろうか。

 正解、などと言われても、俺の耳には所謂いわゆる環境音のたぐいしか聞こえない。

 至って変わったところなど──待て。

「──環境音?」

 先ほどの病室とは違い、耳をすませばほんのりと、タイヤの擦れる音などが聞こえてくる。

「そう、さっき丹上君が言ってたじゃない。こっちでは聞こえるでしょう。それに、ほら。」

 翠川はカーテンの方まで歩き出し、そして一思いにその若緑色を引っ張った。

「っ、眩しいっ。」

 そして、カーテンが開いたということは、すなわち窓が出迎えるということ。

 すっかり気の抜けたまま翠川の方を眺めていた俺は、不意のに思わず目をやられてしまった。

「そうか、この部屋には、窓もあるのか。」

 つまり、この部屋は一切の変哲もない、普通の部屋ということだ。

「じゃあ、なんだ。さっきの狭間は、さながらワープ技術ということか?」

 しかし、俺の推論に翠川は首を横に振る。

「いいえ、少し違うわね。ワープ技術というのは、この世界の"ある場所"と"ある場所"を繋げる技術のことでしょう?」

「まあ、一般的にはそうだな。」

「だったら、これはワープ技術とは呼ばないわね。だって──」

 不意にツカツカと歩き出し、再び裂け目を潜り抜ける翠川。俺も彼女を追うように、再び病室へと足を踏み入れる。


「──だって、私たちの暮らす世界に、この部屋は存在していないもの。」


 存在しない、だって?

「ここは世界と世界、現実と現実、その狭間にある隙間の世界。人呼んで、『隙世げきせ』。」

「隙、世。」

「そうよ。現実に依拠し、現実に依存し、それでも確かに現実とは違う、不安定な世界。それが、隙世。」

「じゃあ、もしかして翠川たちが戦ってた場所も、その、隙世という空間だったのか?」

 異能でボロボロになっていた街の惨状。あれは今もまだ頭から離れていない。

「よく気付いたわね、そうよ。そうじゃなかったら、私だってあんな乱暴はしないわ。というか、そもそもそんなことできないもの。」

「できない? それは、倫理感とか法律とか、そういう類いの話か?」

「いいえ。能力的に、実行不可能という意味よ。まだ丹上君には話してなかったわね。異能という力は一見すれば、とても無法な力に見えるかもしれない。けれどその実、異能の行使には様々な制約があるの。」

「制約、というとさっきの右手首の話とかか?」

 思い当たるのは、先ほど聞いた発動にあたる構えのことだ。

「ええ、けれどあれは発動にあたっての制約。それ以外に、行使にも制約がいくつかあるのよ。その一つが、私が実行不可能だといった理由。」

 一呼吸おいて、翠川は続ける。

「異能はね、隙世以外だと大きく効力を落とすの。例えば私の異能、『衝撃インパクト』。丹上君が見たように、隙世の中だったらビルだって吹き飛ばすことも可能よ。けれど、これが隙世の外なら話は別。できても、精々人一人を吹き飛ばす程度ね。」

 それは、実際に試したことがあるということだろうか。翠川に吹き飛ばされる人のが浮かび、思わずジト目になってしまう。

「......こほん。かく、異能にも色々制約がある、ということよ。そっちはまた追々話すとして、隙世の方に話を戻すわ。」

 そちらは触れるな、とばかりの咳払い。

「異能同様、隙世にもまた色々ルールがあるの。隙世が現実と現実の間にある、という話は覚えているかしら?」

「ああ。"世界と世界、現実と現実、その狭間にある隙間の世界"だったか、覚えてるよ。」

「よくその口上まで覚えているわね。そうよ、隙世は現実と現実の隙間に。いいえ、これだと正確じゃないわ。隙世は、正しくは現実と現実の隙間にの。」

「生まれる?」

 何が違うのだろうか。

「例えば、丹上君が自宅で裂け目を開こうとする。でもきっと、それは失敗に終わるわ。」

 ああ、そういうことか。

「だって、そこにはそもそも隙世が存在しないから、だな?」

「そう、隙世はどこにでもあるものじゃない。ゆえに、じゃなくてなの。」

 やっと話が見えてきた。

 要するに、隙世というのは現実世界の決まった場所からしかアクセスできないのだ。そして、裂け目とやらも同様に隙世なしでは利用できない。

 なるほど、これなら裂け目をワープ技術とは呼ばないのも頷ける。

 だからこそ、翠川は俺をここまで運ぶ必要があったのだろう。

「隙世についての話はおおよそわかった。この病室に窓がないのも、恐らくここが隙世であることが原因なんだろう?」

「ええ、そうね。たしか理由は、ここの隙世をより強硬なものにするため、だったかしら。」

 そういえば、隙世は不安定な世界とも言っていたか。そちらの細かい事情についても気になる部分はあるが、しかし今は後回しだ。

「さて、それで話は戻るわけだが、ここは一体なんだ?」

「どこ、というと?」

 翠川はとぼけたように聞き返す。

「ここが隙世だという話はわかった。でも、それはの名前であって、の名前じゃない。俺が知りたいのは、この施設の正体だ。故にこそ、もう一度聞く。」

 敢えて、はっきりと発音を区切る。


「ここは、一体、どこなんだ?」


 一瞬の静寂。しかし、それもすぐに終わる。

「ふふっ、ふふふ。」

 上品に笑い出す翠川。

「丹上君、ノリがいいわね。私、一度はこういうやり取りしてみたかったの。......いいわ、答えましょう──」

 そして、両手を広げて高らかに宣言した。


「──ようこそ丹上君。ここは、私たち異能研究会の本拠地、『異能園エデン』よ。」

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