顛末

「う、うぅ......。」

 頭が痛い。

 首のあたりから後頭部を挟んで、頭頂部まで至る鈍重な感覚。

 思わず息が詰まってしまうような圧迫感。

「ちょ......と......大丈......?」

 薄っすらと、覚えのない声まで聞こえてくる。

 俺は、一体?

 .......いや、この感覚は一度経験したことがあった。

 じわり、じわりと絞めるような痛み。

 これはきっと、そうだ。間違いない。


「......枕が、硬い。」


「......はい?」

 少女の呆気にとられた様な声は、やけに鮮明に聞こえた。




「ひとまず、目立った不調はないということでいいのかしら。」

 そう問いかけるのは意識を失う前に目にした近未来ファッションの少女。

「えっと、悠乃ゆのさんでしたっけ。はい、腕とかはまだちょっと痛みますけどそのほかは特に。」

 枕も代わりになる物を用意してもらったので、外傷以外は至って健常だ。

「そっか、まずは自己紹介からよね。改めまして、私は悠乃。翠川ひかわ悠乃。高校生よ。よろしく。」

 悠乃、改め翠川はそう言って、握手とばかりにを差し出してくる。

「ご丁寧にありがとうございます。俺は──」

 合わせて俺も、自己紹介ついでに右手を重ねようと──待て。右手......?

「......っ。」

 瞬間、脳裏を過ぎったのは少し前、意識を失う直前の記憶。

 右手から放たれる衝撃波。抉りとられる頑強なはずのビル。

「──すみません、左手でも良いですか?」

 『異能』のことなんてさっぱりの俺だが、一つだけ頭に残っていることがあった。

 すなわちそれは──そう、右手はヤバい。

「!......ええ、勿論構わないわよ?」

 俺の意図が伝わってしまったのだろうか、しかしどうにもぎこちなく左手に差し替える翠川。

 その仕草に俺はやや違和感を覚えるが、今はまあいい。

「ありがとうございます。俺は丹上にのがみれいと言います。俺も一応、高校生をやらせてもらってます。よろしくお願いします。」

 そして今度こそ、俺は握手に応える。

「ええ、よろしくね。......さて、それで私の推測が正しければ、丹上君にはいくつか──いいえ、いくつも聞きたいことがあると思うの。」

 それはもう、山ほどに。

「まあ、そうですね。俺が意識を失う前に見たものは何だったのか、『異能』とは一体何なのか、そして、そもそもここはどこなのか、とか。」

 寝起きで先程までは気にも留めていなかったが、実は今いる場所だってかなり奇妙なのだ。

 白い壁に白いベッド。それから小さなテーブルや椅子など、これだけ見ればよくある病室だ。

 しかしこの部屋には大きな違和感があった。


 窓がない。


 一般的な病室ならば、窓の設置は義務付けられているはずだ。しかし、この部屋には窓がない。

 つまり逆説的に、ここは少なくとも病院の一室ではない。

 客室にしてはあまりにも殺風景だし、誰かの居室と考えるには生活感が無さすぎる。


「けれど、翠川さんは俺の質問に答えてくれるんですか?」


 言ってしまえば、俺は部外者。まして『異能』などという明らかに門外不出級の機密事項を漏らす義理もないのだ。

 しかし。

「私の知っている範囲で、だけれどね。」

 彼女はそう言って僅かに微笑んだ。


「だって、君にはそれを知る権利があるもの。」


 けんり。


「新たに『異能者』となった、丹上君にはね。」


 異能、しゃ。


 そうだ、俺はあのとき、右手に念を込めて。そうしたらその右手がほんのりと温かくなって。そしてその温かさを嚙み砕く間もないままに、右手から、異能が。


 パンッ!


「取りあえず、順を追って話しましょうか。」

 気を取り直して、 と言わんばかりに彼女は一つ拍打ちをした。

「え、ええ。そうですね。お願いします。」

 彼女の拍打ちに当てられて、俺の意識も回想から引きずり戻された。

「まずは、そうね。あのとき、君が倒れた後に何があったのか、からかしら──」




「やってやる.......!」

 つい今しがた、人質として無力化されたはずの男が、突如大きな叫び声を上げた。

 一体何をするつもりだろう。


バシンッ!


「ぐっ!」

「きゃっ!」


 彼が吹き飛び、そして私の方へ駆けだしてきたのは、私が疑問を抱いてから間もないことだった。


「え、え?」

 そして、動揺する私を置き去りに、彼はふらりと倒れていく。

「「今のは.......。」」

 私と椛蓮かれんさんの声が重なる。

 間違いない、今のは異能だ。それもきっと──

「あれ、悠乃ゆのちゃんの異能だよね。」

 異能による衝撃波をもろに受けたお腹を痛そうに撫でながらも、椛蓮さんは態勢を立て直す。

「うん、威力は比べるまでもなかったけど、間違いない。あれは悠乃ちゃんの異能だった。それに、思えば私の異能も妙に効きが悪かった。だとすると、あの子の異能は......。」

 かと思えば、椛蓮さんはそのまま考え込み始める。

「よし、悠乃ちゃん!」

 そして突然、顔を明るくした。

「はい!......じゃなくて、なにかしら。」

「ここはさ、痛み分けってことにしない?」

「痛み分け、ですって?」

「そ、痛み分け。」

 おどけるような調子で彼女は話し出す。

「椛蓮ちゃんはその男の子から一発良いのを貰っちゃったし、このままを果たすのはちょこーっと難しい。」

 左手の人差し指をクルクルと回しながら、自身の不都合を語る。

「一方の悠乃ちゃんは、いくら人質を取り返せたといっても、彼は今意識を失っちゃってる。そんな彼を守りながら戦うのは、こっちもちょこーっと難しい。」

 右手も同じ様にして、今度は私の不都合を語る。

「だからさ、ここは双方痛み分けってことで、手打ちにしない? ね?」

 パチリ、と可憐なウインクが私に飛ばされた。

 確かに、意識を失った人一人を庇いながら椛蓮さんを追い詰めるというのは、やや分の悪い勝負だ。

 けれど、ここで椛蓮さんをみすみす逃してしまっていいものか。

「......私は、いえ、でも。」

「ふふ、それだけ隙を見せてくれれば十分だよ。」

「え?」

 椛蓮さんは左手で右手首を握る。

「しまっ──」

「ごめんね、悠乃ちゃん。『赤蛇サマエル毒煙色どくげしき。」

 椛蓮さんが唱えた途端、紫色の、ありえない量の煙が辺りに吹き出した。

「──えほっ、えほっ。......一体、いつ.......えほっ、えほっ。」

 一体、いつの間にこんな技を習得したのか。

「椛蓮ちゃんは日々成長中なんだっ。じゃ、また会おうね。悠乃ちゃん。」

 煙の奥で、だんだんと声が遠のいていく。

「待ちな、えほっ、待っ、て......。」

 煙が晴れたとき、椛蓮さんはもういなかった。

 残っていたとは、呆然と立ちずさむ私。そして、


「......これ、どうしたらいいのかしら?」


 依然、意識を失ったままの男。




「──そして、私が君をここまで運んで来たってわけ。」

 なる、ほど。

一先ひとまず、お礼を言わせてください。見ず知らずの俺を助けていただき、ありがとうございました。」

 経緯を話されたところで、まだまだ疑問は尽きない。けれど、まずは義を通すべきだ。

「いえ、そんな気にすることじゃないわ。それに、聞いてたでしょう? 助かったのは、丹上にのがみ君が諦めずに抗ったから。私はただ、ここまで運んだだけよ。」

 照れ隠しか、或いは本心か、理由はどうあれ謙遜する翠川ひかわ

「それでも、翠川さんなしでは無事じゃなかった。それに、運んでもらっただけじゃない。俺が目を覚ますまで看病だってしてくれた。この包帯、翠川さんですよね?」

 傷を覆い隠すように右腕に巻きつけられた包帯。俺は、こんなものなど知らない。

「......寝覚めが悪かったからよ。」 

 翠川の頬に、ほんのりあかが差した。

「なら、俺もしっかり礼をしないと寝覚めが悪いんです。で床に就いたときなんかの比にならないくらいに、ね。」

 寝起きのことを引き合いに出し、少し冗談めかして。それでもはっきりと意思を示す。

「......わかった、わかったわ。なら、そうね。」

 顎先に指を当て、少し考え込むようにする。

「じゃあ、もし恩に思っているのだったら、その、敬語、やめてくれないかしら。それ、別に素じゃないのでしょう?」

 まいった、いつのまにやら見抜かれていたみたいだ。

「まあ、そうですね。」

「それに、きっと同じ高校生なら、歳だってさほど変わりないだろうし。私だけこんな口調って、ちょっと変な感じがするわ。」

 濡羽色の髪をくるりくるりと指に絡ませながら、翠川は捲し立てる。

「わかりました──じゃなくて、わかった。それが望みなら。これからはタメってことで。改めてよろしく、翠川。」

 そう言葉にしつつ、今度は敢えて、俺はを差し出す。

「! ええ、よろしく。丹上君。」

 俺の意図に気づいたのか、否か。

 彼女は晴れがましい表情で、を重ね返した。




「ところで、丹上君って今いくつなの?」

「ええと、十七かな。学年で言うと、高校二年生。」

 瞬間、翠川の表情が固まった。

「......その、私は十六なの。」

 十六歳。なるほど、誕生日をまだ迎えていないのだろうか。いや、それともあるいは。

「歳は十六で、それでね。学年で言うと、高校一年生。」

 恐る恐る、翠川はこちらの顔を覗き込む。

「あの、もしかして、敬語を使った方がよろしかったでしょうか......?」


「やめてくれ、俺が居たたまれない。」

 そんな翠川の問いを、俺はきっぱりと断るのだった。

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