異能の卵

菊陽重

異能

 ずっと、何者かになりたいと思っていた。

 有象無象の一言で片付けられる誰かじゃなくて、特別な、唯一無二になりたいと願っていた。

 だから、『異能』に出会ったとき。やっと俺は、主人公になれるんだと思った。

 なのに──。


「うーん、まあほぼ間違いないかな。君の異能はコピー系、あえて名付けるならば、そう。『模倣イミテーション』だね。」

 研究者然とした白衣の女は、バインダーを片手に残酷にもそう告げる。

「......なるほど。そう、ですか。」


 ──折角手にした『異能』ですら、俺は誰かの代替品でしかなかった。

 咄嗟に浮かべた俺の笑みは、きっとぎこちないものだったろう。




□■□■□■□■□■□■□■□■□




 某日ぼうじつ某夜ぼうや、俺は当て所もなく街を歩いていた。

 なんてことはない、ただのルーティンのようなものだ。何か苦悩、苦悶が生じたとき、俺は決まって夜に駆け出すのだ。

 冷ややかな空気、仄暗いネオン管の灯り。夜の街というのはどこか不思議な、魔力めいたものを有している。

 そんな魔力を浴びていると、胸を襲う悩みも苦しみも、いつのまにやら彼方へ吸い込まれていくのだ。

 しかし、抱えたものが重たかったのだろう。それでも今日は中々霧が晴れる気がしなかった。

「少し、あっちの方も行ってみるか。」

 視線を向けた先は、細い裏路地の方。普段ならそういった場所は避けるようにしているのだが、今日はなんだか、少し火遊びじみた真似をしてみたい気分だった。

「催涙スプレー、よし。」

 ズボンの右ポケットに手を差し入れ、護身具の存在を確かめる。無論、そうそう使う機会が訪れないことは承知している。言ってしまえば、お守りのようなものだ。

 そうして俺は、吸い寄せられるように、奥へ、奥へと進んでいった。


「けほっ、けほっ。」

 室外機の風をもろに浴びてしまった。妙に生暖かくて、それでいてやや鼻を刺す臭いの風が肺を締め上げる。

「ここ、どんな店だよ。」

 異臭を吐き出す換気扇をめる。尚も、排気音を唸らせる換気扇。

 益体もない仕草にを振りつつ、俺は鼻を抑えて駆け抜けることにした。

 一歩、二歩。腰をやや突き出して徐々に歩幅を大きくしていく。


 瞬間。


「っ!?」

 不意に、身体が。 言い表しようのない虚脱感が俺に襲い掛かったのだ。

「......何だったんだ。」

 虚脱感は一瞬のことだった。まるで先ほどのが幻覚であったかのように、四肢はいつもの調子を取り戻す。

「診療は、流石に大袈裟か。」

 馴染みのある老医の顔が頭をぎる。


「っ!」


 爆発音と土煙。日常、中々目にすることのないそれらが一緒くたに飛んできたのは、不意にそんなことを考えていた時だった。

「......がふっ......ごほっ!」

 路地の奥から吹き込む、ありえない量の土煙。

 咄嗟に顔を腕で覆う。急所こそ防いだものの、粒子の勢い自体はもろに食らってしまう。

「.......痛い。」

 暴力的とさえ言っていい風が落ち着いた。

 ちらりと腕を見れば、そこにあるのはボロボロになってしまった袖。細かく見ると、土埃で汚れているばかりではなく、一部は裂けて肌があらわになっている。

「本当に、一体何だったんだ。」

 何か事故でも起こったのだろうか。真相を究明すべく、俺は路地の深くまで足を進めていく。

 しばらく進めば、足元には小さな石塊いしくれが目立ちだした。

「これは、コンクリか?」

 手頃なものを一つ拾って、軽く検分してみる。尤も、俺はこういったものについての造詣は浅く、口をついたコンクリという言葉も、言ってしまえば何の根拠もない妄想止まりなのだが。

 拾った『推定コンクリ』を軽くもてあそびつつ、更に奥へ奥へと進んで行く。

 次第に、転がる石塊もこぶし大以上の大きなものへと変わっていく。少し歩きづらいが、それでも奥へ、奥へと進んでいく。

 やがて、光が差し込んできた。

 路地の終わり。はやる気持ちを抑えつつ、それでもやや溢れて早足になって駆ける。

「一体、何が......っ!」


 そこには、二人の少女が相対していた。


 一人は、白を基調とし、ところどころに水色のストライプが入った近未来風の装いをした少女。

 右の手のひらを突き出し、左手は右手首を逆手で握って支えるようにしている。


 もう一人。突き出された手のひらを向けられた先の少女。ゴシック調の黒いドレスに身を包んだ彼女は、薄ら笑いで両手を軽く挙げている。


 そして、彼女たちを囲う──、


「......噓だろ?」


 ──無惨なほどに、崩壊した街。


 信号や電柱はへし折れ、3階建て程度のビルには大穴が開き、大破しているのが見てとれる。


 カラン。俺の右手からコンクリが零れ落ちた。

 咄嗟に姿を潜めるが、どうやら彼女たちは俺の存在に気づいていないようだ。

「いい、次は当てるわよ。これは脅しじゃないわ。」

 近未来風の少女はそう告げる。

「ふふ、怖い怖い。でも、本当にそんなことができるの?」

 ドレスの少女は、それでも薄ら笑いを崩さない。

「そもそも、異能のぶつけ合いで負けるつもりはないし。」

 彼女もまた、近未来風少女と同じ様なポーズで手のひらを突き出す。

「それに──」

 突き出した手は向けたまま、少女はコツコツと歩く。


 そして、突如彼女は床を大きく蹴とばし、そのまま、跳ねるように、こちらに向かって......?


「待っ」

 近未来少女は咄嗟に、手から衝撃波めいたものを飛ばす。

 しかし、衝撃波が抉り取ったのは、ビルの外壁だ。


「──これでチェックメイトだよ、悠乃ゆのちゃん。」

 可憐に、悪戯めいた笑顔を零すドレスの少女。

 

 そして俺は、彼女に後ろ首の方を掴まれていた。


「一体、いつから。」

 近未来少女──改め、悠乃は瞠然たる様子で問いかける。

「ああ、やっぱり気付いてなかったんだ。さっきの物音、君でしょ?」

 ドレスの少女は俺に問いかける。

 さっきの物音──それはきっと、俺がコンクリ片を落とした時の音だろう。

「いやあ、参りました。てっきり気づかれていないかと。」

 極力少女を刺激しないように言葉を選びつつ、俺は返答する。

「あはは、残念でした。悠乃ちゃんは気づいてなかったみたいだけど、この椛蓮かれんちゃんの耳は誤魔化されないよ。ちょっとごめんね。」

 そう言って、自身を椛蓮ちゃんと称した少女は空いていた片手を俺の胸の辺りにかざした。

「さて、と。悠乃ちゃんなら、椛蓮ちゃんの『』は良く知ってるよね。悠乃ちゃんが少しでも怪しい動きをしたら、わたしはこの子に異能を使う。」

「......っ。」

 悠乃は悔しそうに歯噛みする。

 ようやく、俺にも状況が飲み込めてきた。

 対立関係にある二人の少女。『異能』なる超常現象。そして、まんまと迷い込んだ一般人の俺。

 なるほど、人質に取るにはお誂え向きだ。

 俺はこのまま死ぬのだろうか。

 いや、だったらもう、死んでいる。

 きっと、このまま俺は人質交換に利用され、そして見るに正義感を宿した悠乃という少女は何かを対価に、俺を救う。

 何かを犠牲にして、俺は救われてしまう。

 異能バトルものに巻き込まれたモブキャラのよくある顛末そのままに。


 いいのか、それで。


 もとより、俺が好奇心に抗ってさえいればこんな事態にはならなかった。俺が迂闊な真似をしてなければ、人質に取られることもなかった。

 だったら、せめて。


「さ、とりあえずその手を降ろしてもらおうかな。そう、そのまま後ろで組んで。」

 椛蓮はもう、悠乃にしか意識を向けていない。

 当然だ。何せ俺は一般人。『異能』なんて超常現象の前では軽んじられるのは必然。


 だからこそ、そこに付け込む隙がある。


 ゆらり。警戒されない範疇で、掴まれた首を揺する。

 確信。

 この程度の圧力なら抜け出せる。


「これで、満足かしら。」

 言われるがままに、悠乃は戦闘態勢を解いていた。

「うん。じゃあ早速交渉に入れせてもら──」


 今だ。


 一瞬全身を脱力させ、それから直ぐに力を込める。

「──ちょっ!」

 狙い通り、拘束から抜け出せた。

 後は詰めるのみ。

 右ポケットからを取り出し、そのまま椛蓮に向ける。

 どうせ死にはしないんだ、俺は脅しなんて真似はしない。

「喰らえっ!!」


 プシュ!!


 当たった。後はこいつから距離を取れば──


「ダーメ。」


 ──俺の左手が捕えられたのは、そんな声が耳に入ると同時のことだった。


「いやあ、本当に危なかったよ。うん、油断してた。」

 やや芝居がかった風に、左手で額を拭うような仕草をしながらも、しかし彼女の右手はしっかりと俺の手首を掴んでいる。

「これ催涙スプレー、ってやつだよね。最近の一般人って、中々物騒な物を持ってるんだね。」

 そう宣う彼女の表情からは、催涙ガスの影響は一切見られない。

 何故だ、俺は確かに当てたはずなのに。

「ああ、何で効いてないんだーって気になってる?」

「ええ、一体何故です?」

 軽快な語り口ながらも、拘束のみは厳重になっていく。彼女は俺の両手首を後ろに回して、まるで罪人を扱うかの様にがっしりと両手で押さえつけた。

「ま、トリックは簡単なんだけどね。椛蓮ちゃん、『異能』のお陰で毒の類は一切効かないんだ。」

 告げられたのは、最悪の真実だった。

「......そっか、それなら仕方がないですね。」

「そ。実際椛蓮ちゃん以外だったらまんまとやられてたと思うよ。だからまあ、本当巡り合わせが悪かったね。」

 巡り合わせ、か。嫌な言葉だ。

「こういうのはあんまり好みじゃないんだけど、一応ね。『赤蛇サマエル』、麻痺毒。」

 椛蓮がそう口にした途端、握られた手首から順に、身体から力が抜けていく。

「後遺症は残らないはずだから、ごめんね。」

 なるほど、これが『異能』か。体感してやっと分かった。こんな便利な能力ちからがあれば、一般人など警戒するに値しないわけだ。

 思考までも、徐々にぼんやりとしていく。

 万事休す、か。

 やはり俺は器じゃなかったのだ。俺の器ではやはり物語の主人公になどなれない。

 どこまで抗おうとも、結局は劇の背景へと収束するのだ。

 俺の非日常はこれで、おしまい。


 本当に?


 嫌だ、終わらせたくない。

 折角出会った超常を、簡単に手放すなど許容できない。

 何か、手はないのか。この状況を覆す秘策めいた何かは。

 俺が通行人Aから、主人公へと名前ロールを変える、大逆転の手段は──。


 ──あった。


 一つだけ、砂粒程度の希望が。

 これはもはや作戦なんて高尚なものではない。

 賭けと称することさえ烏滸おこがましい無謀。もはや願望と呼ぶべき矮小な希望。

 けれど、もし俺が主人公に足る存在だったならば、きっとこの針の穴さえ糸を通せる。


 ほとんど力が入らなくなってしまった左手を、心魂をかけて右手首に巻きつける。

 右手の向く先は後方。そして、そこにいるの存在。

 条件は整った。


「勝負だ、運命様。」


 右掌に念を込める。

 思い描くのは、ビルを穿った悠乃の衝撃波。


「頼む。いや、」

 

 違う。これは祈りじゃない。


「やってやる.......!」


 全身を襲う一瞬の虚脱感。

 薄っすらと熱を宿す右手。


 そして──、


 バシンッ!


 ──


「ぐっ!」

「きゃっ!」

 

 俺は前方へ、椛蓮は後方へと突き出される。


 やった、やってやった。

 神よ、運命様よ、照覧あれ。俺はやり遂げたのだ。


 開けた距離を無駄にすまいと、俺は悠乃の方に駆け出す。


 大丈夫、大丈夫だ。


 後は悠乃の下にさえ辿り着けば、きっと上手くいく。


 だから今は、少しでも、足を動かし、て──。



 ──そこで、俺の意識は途絶えた。

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