ソフトウェア・アップデート

第20話

クリスマスイブから数日。気付けば年を越していた。

 あの日駆け付けた警察官によって夕羅は逮捕され、傷害事件の被疑者として現在も検察の取り調べを受けている。夕羅は元々先に手を出してきたのは浩司だと主張したが、当の浩司は頭を強く打ったことにより脳挫傷の可能性があると、入院してしまっている。そのため立場上、夕羅が加害者で浩司が被害者ということになってしまっているのだった。暫く浩司の様子を見ないとわからないことだが、場合によっては夕羅が高額な損害賠償請求を受けることになるかもしれないのだ。


 菜々子は、警察官に連れて行かれる夕羅の後ろ姿をただ眺めることしか出来なかった。

 夕羅も振り返って菜々子を見ることはなく、無表情のまま遠ざかって行った。

 これが2人の最後で、お互いこの先顔を合わせることはないだろうな、と悟った。菜々子はふと、いつの日だったか風呂場で見た、夕羅の腰に留まる鮮やかな蝶のタトゥーを思い出す。いつでも好きに飛んでいけるように、という込められた意味も。身柄を拘束されてしまったのだから、自由に飛び立って行ったと言うより、虫取り網に捕まってしまったと言う方が正しいのかもしれない。そんな夕羅を哀れに思った。


 入院している浩司の元へ菜々子が見舞いに訪れたのは、事件から2週間程経った頃である。何度か病室付近まで足は運んでいたのだが、事件の調査のため話を聞きに来ているような人物や、彼の母親らしき人物を見つける度に、会わずに慌てて引き返したりしていたのだった。この日の病室周りはとても静かで、ようやく誰とも訪問が被っていないとわかり、ホッと一息をく。安堵も束の間、今度は緊張感が込み上げて来るが、意を決して恐る恐る病室に入る。一般病室のため1室にベッドが4床あり、それぞれカーテンで仕切られている。その中、入口で浩司の場所と確認した位置まで辿り着き、カーテンを捲る。


「お邪魔します……」


 一言声を掛けてカーテンの中に入ると、そこには頭を包帯で巻かれた浩司が居た。浩司は目線だけを菜々子に向け、それ以外は一切身体を動かさない。まるで別人のように静かなので、再び菜々子に緊張が走る。沈黙の数秒が永遠のように長く感じられたその時、ようやく浩司の口が動いた。


「……あけおめ」

「え? ああ、うん……あけおめ」


 菜々子は一瞬何を言われたのか理解出来なかったが、年明けで初めて顔を合わせるのだから当然の挨拶である。冷め切った関係で、尚且つ2人のことがきっかけで傷害事件にまで発展してしまったのだから、正直会って最初にどう言葉を掛けて良いかわからなかった菜々子にとって、年明けの挨拶というものに、かなり救われたと感じた。

 手持ち無沙汰なので、一先ずベッドの近くに用意されている丸椅子に腰を下ろしてみる。サイドテーブルに置かれた見舞いの花や差し入れを眺めたりしていると、再び浩司から声を掛けられた。思わずドキッとしてしまう。


「俺、絶対起訴させるから」

「え?」

「菜々子がどんなにあの女の肩を持とうと、示談には応じないから。絶対起訴させて、出来れば刑務所にぶち込んでやりてぇからな。暫く仕事も出来ねぇし、入院費だって馬鹿にならねぇんだ。懲役刑と賠償金でアイツの人生ぶっ壊してやんねぇと俺の気が済まない」


 自分が原因で怪我をさせてしまったことに対し、どのように謝罪すれば良いのか悩んでいたのに、考えてもいなかった方向の話をしてくる浩司。それを見て菜々子は逆にスカッとした気分になった。ああ、やっぱりこの男はこういうヤツだったんだな、と全てに諦めがついたからだ。


「私は別に、夕羅さんの肩を持つ気なんてないよ。多分もう会うこともないだろうし」

「……へぇ。俺と別れて一緒になりたかった相手じゃなかったのかよ。まぁ、犯罪者の恋人は流石にないか」


 怪我をさせてしまったことを申し訳ないと思いながらも、浩司の言葉を聞けば聞くほど何故こんなことしか言えないのかと腹が立ってくる。ここに長居は無用だ。良心的判断が働くうちに、伝えるべきことを口にして早く立ち去ろう。そう思い、菜々子は心を決めた。


「私のことが原因でこうなっちゃってごめんなさい。もっと早く、貴方と別れる決断をしておけば良かったって後悔してる」

「俺を裏切って、女相手に浮気したことは後悔しないんだ」

「……ごめん、してない。私は夕羅さんとの出会いがあったことで、自分を見つけられた気がするから」

「ああそうかよ。レズってそんなスゲーんだな。人生観変わる程に気持ち良いのか?」


 敢えて煽ってくるような浩司の言い振りに、菜々子はグッと怒りを堪え、丁寧な口調で反論する。


「私、それまでは空っぽだった。友達の言葉を借りるなら、フワフワ流されるまま漂っているクラゲだったの。自分の意見も目標も何も持ってないから、早く結婚してその人について行くっていうので、私の人生は良いって思ってた。けど、世界には色んな価値観があるんだってことに気付いて、時に羨ましくなったり呆れたりもして、そうしているうちに自分の考えを持てるようになった……それは夕羅さんと、その周りの人達のお陰なの。それで1つの答えに辿り着いた。……私、もう浩司とは終わりにしたい。浩司とは価値観合わないから」


 言い終わってから、感情と共に少し声が大きくなってしまっていたことに気付く菜々子。周りの様子を気にするようにキョロキョロしていると、浩司から大きな溜め息がこぼれた。溜め息の後、浩司は菜々子から目線を外し、今度は反対側の窓の外を見つめる。そのまま低く長い捨て台詞をいた。


「……本当最悪だよ、マジで。選りに選って女に寝取られるとかカッコ悪過ぎだし、入院させられるし。つーか俺、たまに頭ボーッとするんだよ。これ絶対後遺症だからな? 俺と別れられたからって幸せになれると思うなよ」


 もうこれ以上の言葉は無さそうだと、その後の沈黙で判断し、菜々子は黙って病室を後にした。

















「菜々子ぉ〜、ごめん待ったぁ?」

「待ったよ〜! 20分遅刻は流石に強過ぎー」


 それから数日後。平日のお昼過ぎに、菜々子とミッキーは待ち合わせをしていた。お互い接客業なので、平日の方が休みを合わせやすい。ミッキーがお勧めだと言う穴場のイタリアンで遅めのランチをすることになっていた。


「どうする、昼からワインいっちゃう?」

「良いね。じゃあ遅刻の罰金としてワインボトルはミッキーが持つってことで」

「んもう、言うようになったわねぇ!」


 そんなやり取りをしながら、賑やかなランチを過ごす。菜々子が無理に、この場に居ない夕羅の役割を担うかのようにはっちゃけているんだとミッキーは気付いている。だがそれに敢えて触れるようなことはせず、何気ない愉快な日常会話を繰り広げるのだった。

 しかし、どれだけ別の話題で盛り上がろうとも、共通の知人である夕羅についての話題はどうしたって出てきてしまう。


 勾留後こうりゅうご、夕羅についた当番弁護士と連絡を取っているのはミッキーである。夕羅は親と縁を切っているため、一番身近な存在である彼がその立場になったのだ。面会が解禁になってからは実際に会って話もしているようで、思っていたよりは元気そうだったとミッキーは夕羅の様子を語った。


「本人は別に示談交渉する気がないみたいだから、やっぱり刑事裁判になりそうだね。あっちがその気なら受けて立つ、なんて強がってたわ」

「そっか……」


 実に夕羅らしい判断である。きっと弁護士から示談に持ち込むよう提案されたが、それは浩司に負けを認めるようなものだと思ったのだろう。しかし裁判となると、関係者として自分も確実に関わることになる……夕羅と浩司、それぞれと別れた菜々子にとっては複雑な立場だが、最善の着地点に辿り着くことを願うしか今は出来ない。自分の自由と引き換えに不幸になってしまった2人に対して罪の意識を持っていると、それを察したミッキーが菜々子にビシッと言葉を投げかける。


「菜々子。アンタが無駄に責任感じることないのよ。悪いのはあのクソ男と夕羅なの。お互い冷静な判断が出来なくなって招いたことなんだから」

「それはそうだけど……こういう結果にならないように、出来たことがあったんじゃないかって」

「そんなたられば言ったって仕方ないでしょ? ……まぁ、アタシも夕羅にあの男の行動に気をつけろなんて言っちゃったのはマズかったかもしれないけどね」

「ミッキー、それは……」

「ほら。考えれば考えるほど、今言ったって仕様が無い話ばっか出て来るでしょ? 起きてしまったことはどうしようもないのよ。この先どうなるかは検察や弁護士の仕事次第だし、アタシ達は精々証言を求められた時に、ありのままの事実を話すことしか出来ないのよ。それまでは自分の気持ちと時間を大切に過ごしなさい」


 普段のおちゃらけたオネェキャラからは想像出来ないぐらい、ミッキーはリアリストだなと菜々子は思った。感情ではどうにもならないことが、きっとこれまでに何度もあったからこそ達観しているのだろうし、それが頼もしいとも感じている。そんな頼もしい友人に、菜々子は改めて確認しておきたいことがあった。


「ねぇ、ミッキー」

「なぁに?」

「私、もう二度と夕羅さんには会えないと思う。今まで通りの関係を続けるっていうのは正直難しいから」

「そりゃそうよね」

「もう3人では会えないけど……ミッキーは私の親友でいてくれる? これからも、こうやって会って話したりしてくれる?」


 夕羅を介して知り合ったミッキー。そして今、夕羅にとって唯一の身内でもある彼と、もしかしたら疎遠になってしまうかもしれない。菜々子にとってミッキーは、一番失いたくない友人なのである。そんな不安を思い切ってぶつけてみると、当の本人はあっけらかんと笑い飛ばした。


「はぁ? 何を言い出すかと思ったら……当たり前でしょ。3人で会えなくたってアンタは大切な親友よ、菜々子」


 ミッキーの言葉に安心した菜々子は、急に涙腺が崩壊したようで、ワイングラス片手に泣きべそをかくという意味の分からない状態になっている。周りの厳しい視線に気付いたミッキーは菜々子を必死でなだめ、おしぼりで鼻水を拭いてあげたりするなど、まるで子をあやす母親のようであった。


「ちょっともう、良い加減泣き止みなさい! ブサイクになるわよっ」

「泣き止む。泣き止むから、ミッキー白ワイン追加して」

「オイ、どさくさでタカるな。遅刻の罰金はボトル1本分だけよ」

「良いじゃん、次は友情の印ってことで」

「ああもう、面倒臭い子ねぇ!!」



















 イタリアンバルでの遅めのランチを終え、外に出た頃にはすっかり日も沈み、街は夜の表情を見せ始める。昼から飲んでいたのだから、通常ならそこでお開きとなるかもしれない。だが、この2人だとそうはいかない。ワインボトルを2本開けて上機嫌になった菜々子は、そのままスナック街に行こうと言い出したのだ。

 本当は家に帰るよう促した方が良いのだろう。だが今日は出来る限り菜々子を元気付けてあげたい。そしてこれから先を、明るく過ごしていけるようになって欲しいとミッキーは心底願っている。今晩は自分が菜々子の面倒を見切ってやろう…そう覚悟した。


「だったら、とびきり楽しい店に連れて行ってやるから覚悟しなさい! どぎついオネェの洗礼を浴びることになるわよ」

「わーい、やった〜!」

「いい、菜々子。どれだけ酔っても、ゲロは絶対にトイレでやりなさいよ?」

「わかってるってば、粗相はしませーん……あれ、なんかまた勝手に再起動になってんだけど」


 菜々子が時間を確認しようとスマホを取り出すと、電源を入れて最初に出る、真っ黒な背景にメーカーのロゴマークだけが表示される画面になっていることに気付いた。4〜5年以上使っているスマホなのでバッテリー劣化もあり、こういった勝手な再起動は度々あったのだった。ロゴマークから通常のロック画面に切り替わるまでの間、その場で立ち止まっている菜々子に、ミッキーは何をグズグズしているのかと小突いた。


「もう、何やってんのよ。そんなのそのうち元に戻るわよ。っていうか、画面まで割れてボロボロじゃない。機種変更しなさいよ」

「うん、そろそろするつもりー。あ、なんかアップデートされてた。ええ、ちょっと操作変わってるんだけど」


 再起動のタイミングでOSのアップデートがあったらしく、文字の入力設定や新機能の追加など今までの仕様から変わっているところが多々あり、違和感を覚える菜々子。ましてや酒に酔っている状態なので、いつもと操作方法が微妙に違っていることに苛立ちを覚える。アップデート後に入ってくる沢山の通知を消していく中、自動アップデートが出来なかったアプリがありますというものに目が止まった。内容を確認してみると、ストレージ容量の都合でアップデート出来なかったものがいくつかあったようで、その中には以前自分が使っていたマッチングアプリも含まれていた。かつては毎日新着メッセージが入る度にチェックをしていたものだが、ここ最近は起動すらしていない。最早存在すら忘れてしまっていたものだ。


 菜々子は仕様が変わったスマホを苛立ちながら操作し、躊躇ためらうことなくアプリをアンインストールした。他にも必要ないアプリは複数あるが、取り敢えずはこの1つだけ消せれば良い。スマホを鞄にしまうと、菜々子はじれったくしているミッキーの腕を掴み、ズンズン前へ進んで行く。


「お待たせ〜、行こう!」

「遅いわよ全く。次の店はアンタの奢りよ!」

「ええっ!? カリスマ美容師なのに、しがない販売員に奢らせるの〜?」

「何言ってんのよ、アンタ店長でしょうが!!」


 そんな軽快なノリツッコミを繰り広げながら、菜々子とミッキーはディープなスナック街へと消えて行く。菜々子は全ての憑き物から解放されたように、軽やかな足取りで入り組んだ路地を突き進む。明日が早番出勤であることをすっかり忘れ、朝まで飲み明かすつもりでいる様だった。


【了】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ソフトウェア・アップデート nako. @nako8742

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ