選択の時

第19話

「菜々子の彼氏がアタシの仕事場に来た」

「は?」


 ミッキーの突然の告白に、夕羅は僅か1文字を口にすることしか出来なかった。

 数日前、2人でいつものようにスナック街ではしご酒をした時のことだ。それまでギャーギャー煩くふざけていたのに、ミッキーが急にテンションダウンしてこんなことを言ってきたものだから、それまで心地良く酔っていたのが一瞬で醒めてしまった。夕羅は数秒の沈黙の後、最初に浮かんだ疑問をミッキーにぶつけてみる。


「……どういうこと? 髪を切りに来たってこと?」

「そう、アタシ指名で。SNSで今日はここにいるって知って来ました、って言ったのよ。向こうが菜々子のことは一切口に出さなかったから、アタシも知らないフリしたけど……多分、何らかの方法でアタシが菜々子と繋がってるって気付いたんだと思うのよね。それで探り入れに来たんじゃないかって」


 フリーランスの美容師であるミッキーは、その日どの美容室にいるのかをSNSで告知する。そのため浩司は通常客を装って“腕の良い美容師をネットで探して辿り着いた”という最もらしい説明が出来てしまうのだ。菜々子から浩司の画像を見せてもらったことのあるミッキーは一方的に浩司の顔を知っていたが、相手が菜々子のことに触れない以上、それまで一切面識の無い美容師と飛び込み指名客というていでやり過ごすしかない。接客のプロとは言え、さぞかし心労を費やす小一時間だったことだろう。


「クリスマスイブに彼女とデートなんで〜、とか言っちゃってさ。気さくな好青年を演じてますって感じだったわ。アイツ、絶対何か企んでると思うから夕羅も注意しときなさいよ? 可能なら菜々子から、イブの具体的な予定聞き出しといた方が良いかも」


 そんなミッキーからの助言を受け取って今日。夕羅は菜々子と仕事の休憩時間が重なった時に、言われた通り浩司との待ち合わせ場所は何処なのか、どういう予定なのかと探ってみた。


「××アイランドあるでしょ、◯◯モノレール乗って行くとこ。あそこのイルミネーション一緒に見たいから、仕事終わったらその手前の歩道橋まで来て、だって」

「ふーん、クリスマスにイルミネーションねぇ。まぁ定番だけどさ、仕事終わってから××アイランドまで菜々子を来させるって、完全に家には帰さない作戦だよね。イブの夜だから当たり前か」

「まぁそうだよね……でも私はイルミネーション見終わったらそこで別れを切り出すつもりだから。それで、嫌だった部分も細かく言う! ナチュラルに差別主義なところも、私の話に否定から入るところも、ひとの冷蔵庫の氷手掴みするところも全部嫌だったってぶち撒けてやる!」

「やば。結構エグいこと考えるじゃん、菜々子」


 夕羅は菜々子が生き生きとした顔で話す“どうでも良くなった男から自由になる大作戦”の全貌を聞きながら、大切な情報を頭に叩き込んだ。

 仕事が終わってから。××アイランド。手前の歩道橋……。




 そうしてここに辿り着いたのだった。菜々子との待ち合わせ場所にいたその男は、夕羅が以前対峙した時とは比べ物にならないぐらい、醜悪な存在となっていた。


「ニヤニヤしてんじゃねーよ、気色悪い」


 夕羅は浩司を見つけた瞬間の第一印象をそのまま口に出した。浩司はというと、自分が待っていたのとは違う人物からの急な声がけに面喰らっている。


「……なんで、夕羅さんがここに?」


 暴言を投げつけられたというのに、それには気にすることもなく張り付けたような笑顔で話す浩司を見て、これが菜々子の言っていた『女性が思う理想の男を演じている感』か、と理解した。この男と友好的な関係を築くつもりが全く無い夕羅は、尚冷たい態度で応える。


「どうでも良いでしょ。それより手に持ってるそれ、何?」


 菜々子から聞き出した情報を元に、イルミネーションエリア手前の歩道橋を見つけた時。待ち合わせ場所に相当早くから待機しているかと思われる浩司の姿も確認出来たので、夕羅は遠目からその様子を観察していたのだった。手に持つプレゼントボックスを醜く歪んだ表情でじっと眺めているのを見て、あの箱の中にはきっとろくでも無いものが入っているに違いないと、夕羅は直感でそう判断していた。


 夕羅からの質問にすぐは答えず、沈黙しながら考えを巡らせる浩司。夕羅が適当な嘘が通用しない人物だとわかっているだけに、どう切り返せば良いのかと悩んでいた。


 目標は『完全勝利』だ。菜々子を捨てて後悔させるか、弱みを握って従わせるか。そうして自分の尊厳を取り戻す。この目的達成のためには、一刻も早く目の前の夕羅には消えて貰わなくてはならない。どうすればここから立ち去るのだろう。いや、そもそもここへ来たということは、自分の計画が部分的かもしれないが勘付かれているのではないか。……そうか、あのオカマだ。美容室では完全初対面ではなかったということか。やはり近付き過ぎたのは失敗だ。オカマがこの女に警告でもして、さりげなく菜々子から今日の予定を聞き出した、ってところか。つくづく鬱陶しい異常者達め。


 浩司の脳内が冷静な思考から、憎い者への激情へ変化していった僅か数秒。その隙に夕羅は浩司の手からプレゼントボックスを奪おうと手を伸ばす。浩司は判断が鈍りながらもそれを咄嗟にかわしたが、その衝撃で箱が手から滑り落ちる。箱は地面に叩きつけられ、中身のものがバラバラと散らばった。プレゼントボックスは菜々子に渡してすぐ、彼女に中身を確認して貰えるように、上から包装紙で包んだりはしていない。それが裏目に出てしまったようだ。

 歩道橋のど真ん中でばら撒かれた、無数の浩司による盗撮写真達。夕羅はその一枚を手に取り、軽蔑しきった眼を浩司に向けた。


「陰でコソコソこんなの撮り溜めて……これを菜々子に渡して、アンタどうしたい訳?」


 夕羅がそう言うと、いよいよ浩司は取り繕うのを諦めたようで、口元を歪ませ嘲笑った。


「オイオイ、なんで上の立場に立ったような口の利き方してんだよ。そもそもお前が人の彼女に手出したからだろ? 浮気調査だよ、これは」

「ふーん。で、その調査結果を見せつけて。菜々子にどうして欲しいの?」

「どうして欲しいって、そんなのこれを理由に捨てるに決まってんだろ。正当性は十分あるからな。レズに走った彼女なんてこっちから願い下げだ」

「あっそ。……じゃあ菜々子も今日アンタを振るつもりだったし、丁度良かったじゃん」


 勝ち誇ったような表情の浩司に対して、夕羅はまるでノーダメージだと言わんばかりにさらっと返答した。浩司は夕羅が言った言葉をすぐには理解出来ず、言葉を失う。リアクションが返ってこないので、言葉を続ける夕羅。


「本当は菜々子から伝えた方が良かっただろうけどね。アンタに言いたかったこと全部吐き出して、別れるつもりなんだよ。菜々子はアンタと別れて自由になれるし、アンタもレズった彼女なんか無理ってんならお互いウィンウィンなんじゃない? 良かった、揉めずに済みそうで。ぶっちゃけ私ちょっと心配してたんだよね。これで全部解決」

「……ふざけんなよ」


 腹の底から出た浩司の低い声に、夕羅は思わず口をつぐんだ。それまでの気色悪さとは違う怒りと狂気を感じ取り、これがこの男の本性なのだと悟る。


「丁度良かった? ウィンウィンだ? 何処がだよ……俺がアイツを捨てなきゃ意味ねぇんだよ!! つーか、明らかにおかしいのはお前らの方だろうが。なんか勘違いしてんじゃねぇのか、夕羅さんよぉ? お前は俺と対等に張り合える立場だと思ってんのか!? お前も『穴』なんだよ、男の俺とチゲーんだよ、菜々子もお前も、どっちも『穴』のクセに穴同士じゃれ合って何になんだよ、全部無意味だろうが!! 何も生み出さない無意味な関係のお前らが、俺より気分良くなっていい訳ねぇんだよ!!」


 浩司は激昂し、夕羅の首を掴んで歩道橋のへりまで追い詰める。夕羅は息を詰まらせ、足が地から浮きそうになるのを必死で踏ん張り、持てる力を出し切って浩司を突き飛ばした。突き飛ばされた浩司はバランスを崩し、反対側のへりに頭を打ちつけて倒れてしまっている。全ては一瞬の出来事だったが、夕羅にはスローモション映像のように長く、無音の世界で自分の心臓の音だけが煩く響いているように感じた。

 夕羅が息を整えながら周りを見渡すと、歩道橋の上で何か揉み合いがあると、目撃者数人が騒ぎ始めたようだった。このままではまずい……どうしようかと考えあぐねいていると、数メートル先に見知った人物が呆然と立ち尽くしているのが見える。それは、この場所に来ることが決まっていた人物。まさしく、菜々子であった。

 

「……夕羅さん、どうして」

「菜々子」

「浩司……ねぇ、意識ある!? どうしよう、救急車呼ばなきゃ……」

「菜々子、ねぇ」

「下にいる人達、多分警察呼んでると思う。取り敢えず何があったのか教えてよ。警察にも事情をちゃんと話せば大事にならないかもしれないし」

「菜々子!!」


 戸惑いながらも冷静に判断して対処しようとする菜々子を、夕羅は大声で制した。


 何故、菜々子は今この男を助けようとしているのか。この男は菜々子を悩ませ苦しめ続けた存在で、挙げ句先程見事なカスっぷりを自分は目の当たりにした。どうせ死んでいないし、いや放っておけば死ぬのかもしれないが、今が二人で逃げ切るチャンスなのではないのか?


「そんなヤツ放っておいて私と一緒に逃げようよ!! コイツが死のうが何だろうが、全部コイツのせいなんだよ。自業自得なの! やっとこんなカスから解放されるのに、なんで菜々子は助けようとしてんの!?」

「……それとこれとは違うよ。浩司は今、怪我して意識ないんだから」


 菜々子の言うことはただしい。だが、夕羅はどうしても納得がいかない。その心が声を震わせ、知らない感情を呼び寄せる。


「私は、菜々子と一緒に居たいんだよ。大好きで、失いたくないんだよ……何があっても一緒にいて欲しいんだ、だから一緒に遠くに逃げようよ……!!」


 視界を曇らせるほどに湧き出てくる水分。溢れ出した水滴が頬を伝い、口元にも流れてくる。涙の味を感じたのは幼少期以来ではないだろうか。


 夕羅の魂の叫びを聞いた菜々子は視線を落として一瞬沈黙したが、やがて苦しそうに首を横に振った。


「ごめん夕羅さん、それは出来ない」


 そうやって意思を伝えると、菜々子は直様スマホで救急を呼び、冷静に今の状況の説明をし始めた。間髪入れず目撃者によって呼ばれたであろう警察官達が到着し、浩司の様子を見たり、菜々子と夕羅に事情聴取をし始める。

 菜々子と一緒に居られないのなら、逃げる意味などない。全てを諦めた夕羅は何の抵抗もせず、無表情で警察官の問い掛けに淡々と答え続けるのであった。

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