エピソード0.1

スーパーちょぼ:インフィニタス♾

光と闇のバルジ

 不思議なことに、この世界では、直接手を下さなければ殺人罪で捕まることはないらしい。


「ガスライティング? なんそれ」

「人知れずターゲットを破滅に追い込む悪魔の手法」

「悪魔……?」


 アニメの観過ぎだよと笑う友人を尻目に、僕は辺りをそっと見回す。放課後の教室に人影は見当たらない。窓の外はとうに日が落ちていた。


「実際は、想像力を持たない人間が考えた、共同社会で生き抜く方法。同じ人間だよ」

「想像力を持たない人間がいれば、の話でしょう」

「いるんだよ。ほんとうに」


 想像力を持たない人間をそもそも人間と呼ぶのかどうか。そう聞かれた僕の本音は「一応人の形をしているんだから人間なんでしょ」くらいには冷めきっていた――なにしろその手の人間に勝手に情を期待した挙げ句コテンパンにやられたことも一度や二度ではない――が、それでは物語が始まらない。


 いい加減我々は認めるべきなのだ。彼らの存在を。

 認めて初めて、未来について考えることもできよう。

 なにせ僕が書こうとしているのは、人類の未来を変えることになる(かもしれない)壮大な歴史改変SF(仮)なのだから。


「それにしたって破滅って。悪いことしたらふつう犯罪で捕まるよ?」

「法律があって、確固たる証拠があって、被害者が沢山いたらね」

「何が言いたいの」


 どうして戦争がなくならないのか。

 どうして同じ過ちを繰り返すのか。

 どうしてこの世の真実たちが、日の目を見ないままなのか。


 叔母さんの手記を頼りにネットの海を彷徨った僕は、ある一つの答えを見つけた。あの物語の中に隠された真実を公にしたら、叔母さんは怒るだろうか――。


「ガスライティングのターゲットにされた人たちは、軒並みその世界を去っている」

「去るというのは?」

「言葉のとおり。その世界からいなくなる。その方法がコミュニティから去るぐらいで済めばいい。でもたいていの人は自分が被害に遭っていることにも気づかず、追い詰められて自ら死を選ぶんじゃないのかな」


 いや、やっぱり怒るかな。『一体何の為に私がいままで隠してきたと思ってるんだ』って。だってあのペンネームじゃ、リアルの知人はまず叔母さんだって気づかない。ぱっと見じゃ性別すらわからない。よっぽど中身を知ってる人じゃないと――。


「私は不幸にも知っている。 時には嘘による外は語られぬ真実もあることを――」

「それってこの前言ってた本の台詞?」

「うん、侏儒の言葉。本の中の言葉。でももしかしたら、誰かにとっては現実にもまさる、ほんとうの言葉なのかもしれない」


 ネットの海で偶然辿りついたあの物語の中で、叔母さんはこう書き記していた。


『この世に筋書きがあるのなら、いずれあなたも愛を知るでしょうプロデューサー。たとえば自分独りでは立ち上がれないほど、己の弱さを知ったときに』


 何を甘っちょろいことを、と思う。もしかしたら、叔母さんのいう通りそういうこともあるのかもしれない。でも、それはそれ。これはこれ。その愛とやらを伝える役目は、僕じゃない。きっと叔母さんでもない。


 ただ僕に出来ることといえば、わずかな時間で見聞きした事実をもとに、多少の偶然を織り込みながら、新しい物語を紡いでいくだけだ。


 叔母さんには叔母さんの物語があったように、僕には僕の物語がある。

 

東風こちカケル」


 不意に名前を呼ばれて我に返ると、眼前には投げつけられたばかりの新しい鉛筆の束が勢いよく迫っていた。


「あぶなっ。何すんだよ」

「戻ってきた?」


 まったく、卓球部で鍛え上げた反射神経がなかったら今頃は大惨事だったというのに。友人――僕の数少ない友達であり悪友――越智おちノボルは「まぁそれは確かに」なんて言いながらくつくつと笑っている。


「このまえ太宰府天満宮まで行ってきたからついでにカケルの分も祈っといた」

「なんて祈ったんですかあ?」

「歴史の追試、今度こそ受かりますようにって」

「何だよそれ」


 どうせ彼女とデートのついででしょ、僕はなかばボヤキながら三色の鉛筆の束を眺めていた。大体この男はよっぽど僕より授業中居眠りしているのにバレた試しがないのだ。将来スパイにでもなったらいいんじゃないかと本気で思っている。


「東風……吹かば……?」


 手持ち無沙汰に一本取り出してみれば、鉛筆の側面には何やらくずし字で短歌が書かれている。

 不意に強めの風が校舎の窓をカタカタ鳴らしながら校庭を走り抜けて、いつか曇り空の合間には無数の星が輝いていた。


「The east wind is coming」

「え?」

「物語の中の台詞」


 ノボルは「まぁ今のは引用箇所とはちょっと違うけど」なんて呟きながらスマホの電子書籍をチラとこちらに見せたが、あいにく頭痛持ちの僕には日々苦しみのたうち回るのが精一杯で、人並みに英単語や数学の公式や歴史の年代を覚えるには圧倒的に時間が足りない。

 それでもワトソンという単語だけはなんとか読み取れた。カタカナバンザイ。僕にしては頑張った方ではないか。


「なんて意味」

「まぁ、この東風が暖かいものであることを祈るよってとこかな」


 

 (了)

 

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