#2 戦士ヴァルヴァリとケモノの森


 静かな森だった。

 青々とした葉が生い茂り、蝶が舞う。

 ちょうど古代ローマのそれを彷彿とさせる遺跡があちこちに転がり、ツタや虫に好き放題に体をはい回らせていた。朽ちて苔むした廃墟に走る幾何学模様の意味を、知る者はもはやいないのだろう。


 遺跡たちの一つの入り口をふさいでいた瓦礫が、ドンと大きな音を立てて数センチ前進する。


 十秒ほどの静寂。瞬間、高さだけで二メートルはある瓦礫がぶっ飛んだ。空を切った瓦礫は、がらごろと抗議の悲鳴を上げて転がりながらさらに小さな瓦礫に砕け、近場で水を飲んでいた鹿──だが二本の角は先端に至るにつれて若草色をしていて、同じ色をした短い角がもう一本額から生えている──は泡を食って逃げ出した。


 その人物は、足を突き出した姿勢を解いて鷹揚としたしぐさで遺跡から出てきた。

 足元まである長い黒髪の、浅黒い肌をした男である。細身だがよく鍛えられていて、ミミズを彷彿させる刺青を全身に彫っていた。身に着けているものはぶかぶかの下衣と黒いマント、ただのそれだけ。

 首をパキポキ鳴らし、降り注ぐ木漏れ日が痛いのか、ハシバミの目を細める。


「なんだここは」


 見慣れない場所だった。彼にとって森というのはもっと前人未到の土地だ。ひとときでも油断すればたちまち身の破滅を招く危険な場所で、この世に残った神代のシンボル。

 だがここはどうだ?木は遠慮がちに根を張り、ケモノたちは木陰からびくびくとこちらの様子をうかがうだけで降ってわいた食いでのよさそうなエサに飛びつく気配すらない。

(といっても、向こうからしたら突然現れた彼は死そのものであり、自分より強い存在には立ち向かわないとAIに組み込まれているMOBたちは当然の反応を返しただけであるが!)


「まあいい、とにかく腹ごしらえをしよう」


 彼はまだ腹は減っていなかったが、食える時に食っておかないと生き物は簡単に力尽きてしまう。ここがどこなのかわからないのだから、栄養補給がてら干し肉くらいは作っておかねば。

 そんな心境で、男は木陰の一つに指を向けた。

 そこに隠れていたヘラジカに似た動物が、怯えて踵を返そうとした。


「よくぞ逃げた」


 男は、何も知らないままに彼の察しの良さを褒めた。

 マントの内側が蠢いたかと思うと、そこから小柄なヒョウが発射される。

 ヒョウは鋭い爪を振りかぶり、逃げるヘラジカの上あごから上をバターのように切り飛ばした。

 次の瞬間起きた出来事に、男は初めて表情を動かした。

 なぜなら、ふらりとくずおれたシカの体が無数の光の粒になり、地面に倒れる前に消え去ったからだ。


「ぬん?」


 奇妙な手ごたえに軽く混乱する。

 どういう理屈だか知らないが、狩る傍から消えるのは困る。本当に困る。相手を動かない肉塊にしたところで、それが消えてしまえば腹の満たしようがないのだから。

 あの鹿だけに起きた現象なのか調べることもできるが、森のケモノをむやみやたらと殺すのはどうなのか?とも思慮する。

 関心の無い人間はいくら殺してもどうだっていいが、人間以外の生き物を理由もないのに殺すのは気が引ける。

 ヴァルヴァリとはそういう男だった。


「人間というのは水があればしばらくは死なないが、ひもじいのは嫌だ」


 ヴァルヴァリはひもじいのは嫌いだった。寒いのも嫌いだ。彼はどちらかといえば誰も飢えない、暖かい場所を好んだ。

 しょうがない、水源を確保しながら森を抜けよう。

 そう思って小川に目を向けた時、


「とああ───ッ!」


 何とも気の抜けるシャウトと共に、何かが焼ける音が聞こえた。

 どこからともなく漂ってきた肉の焼ける匂いに、胃袋がうねって食欲を訴える。


「他人がいるのなら食料を分けてくれるだろうか?」


 取り引きの材料はまったくないが、力を誇示すれば食事の融通くらいはしてくれるはずだ。

 肉を食べられるかな、トウモロコシやジャガイモがあれば最高だ、そう思いながらヴァルヴァリは匂いの強い方角へ足を向けた。


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蛮族戦士と真珠の少女 @timtimkimotie

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