蛮族戦士と真珠の少女

@timtimkimotie

#1 戦士ヴァルヴァリとカミの龍

 


 ヴァルヴァリは進んだ。唇にこらえきれない笑みすら浮かべて。

 そのハシバミ色の目は弧を描きつつも、眼前の情景にいつ変化が起きてもいいように鋭く光っている。歩幅は広く、背筋は堂々と伸びて、まるで王のように尊大な振舞いだ。


 裸の上半身に纏わせている、鴉の濡羽めいて暗い色をしたぼろぼろのマントの内側には無数の獣が潜み、獰猛に尖った瞳を影絵のように蠢かせている。マントから半ば這い出ていた黒い狼が男の足ほどもあろうかというあぎとから硫酸の涎を垂らし、棍棒を握っていない方の手で愛撫するように柔らかく抑えられた。


 ・・・こんな見た目であるものの彼は本当に王なのだが、そう呼んでかしずいていたものたちはみんな、彼の目線の先にあるモノによって“耕されて”しまっていた。彼が踏みしめている、すえた臭においを放つ肉の粥がそうだ。


 しかしヴァルヴァリは一切気にしていなかった。昨日まで酒を酌み交わしていたものの目玉を踏み潰そうが、立派に戦おうと誓い合ったものの脳漿が足の裏で糸を引こうがその足取りはゆるぎない。ただ一人取り残されていながら、その顔に湛える笑みは、いっそ充実感に満ちたものでさえあった。


 綺麗な龍だと思った。眼下の地獄絵図をもたらしたそのモノであるにも関わらず、その透き通った鱗は真珠のように淡く無垢な色をしている。白金の頭飾りを思わせる被膜は角の付け根から長い首を伝ってずんぐりとした体へ上品に垂れ、異形の聖母のよう。金色の長い睫毛の奥に、翡翠色をした一つだけの瞳が、慈悲を湛えてたたずんでいる。さっきまで暴れ回っていた両手を今は上品に組んで、女神のように横たわりつつも瞳を小刻みに動かし、近づいてくる戦士をつぶさに観察している。

 

 ヴァルヴァリは素晴らしい戦いが始まる興奮を堪能しながら、龍のほとんど傍に近づいて声を張り上げた。


「君のような大敵をオレは望んでいたよ。只人にとって君は死だ。絶対的なね。古き龍はみな尊大で、姫と宝を好むが、君は周囲の生きとし生けるものに単なる死を望む。研ぎ澄まされた刃のように純無垢で、役目に忠実なんだ」



 ヴァルヴァリは高揚を隠し切れない様子で絶え間なく語り掛けた。


「龍というのはカミによって生み出され、人を“間引き”するために存在する。人に危害を及ぼすことはあっても人を滅ぼすことはない。だから、君のような破滅のかたまりがいることを知った時は、ああ、言うだけでも恥ずかしいが高まったよ。怪物というのは殺意以外の感情を排した、純真で清らかなモノでなければならないからね。だからこそ、討ち取った時の達成感はどんな美酒にも勝る・・・」


 くす、と龍が微笑む気配がした。口周りの肉がかすかにめくれて、乱杭めいて無秩序に並んだいくつもの牙が覗く。


【まるで貴婦人を口説いているようですわね】


 頭の中で響いた声に、ヴァルヴァリはますます喜色を濃くした。まるで生まれて初めて惚れこんだ相手を一生懸命口説いているような誠実な表情そのもので。


「君がオレに対して無関心なのは、真っ先にオレを狙わなかったからわかる。絶対的な存在が虫けらを踏みつぶすのにわざわざ王を狙うような真似はしないのと同じだ。だからこそオレは、その目をこちらに向けようと燃えるのさ。その方法がよほど恥さらしな手段でもない限り、オレは殺し合いは愛し合うようにするべきだと考えているからな」


 獣たちは彼の興奮をダイレクトに受けて、マントから半ば身を乗り出して唸り声を上げていた。その唸りは振動となって、そのごわごわとした体を小刻みに震わせてさえいた。敵へ飛び掛からずにいるのは、主あるじがご馳走を前にまだ我慢しているからだ。

 龍はそれに目を落として、鋭い爪をヴァルヴァリのマントへ向けた。


【いつまでもおしゃべりをしていては、あなたの配下たちに気の毒では?わたくしを蹂躙し尽くしたいと、随喜の涎を垂らしていましてよ】



「これはしたり。敵に心配をかけさせるなんて戦士として三流の証だ。最高の時間を引き延ばしたくて長々と話をするのはオレの悪い癖だな。だがそれも仕方あるまいよ。このようなご馳走・・・」


 ヴァルヴァリは、柄だけでゆうに一尺はある巨大な棍棒を振り上げる。


「味わい尽くさねば失礼だ」


 彼はそう吠え、武器を龍の頭目掛けて叩きつけ、


 ───ようとした瞬間、棍棒が龍の目と鼻の先で静止した。

 


「───な」


 足が地面から離れ、見えない手で持ち上げられるように浮き上がる。先ほどの残虐な戦いでは見せなかった芸当にヴァルヴァリは一瞬困惑したが、すぐさま龍が人差し指をスイと持ち上げている様子を認めた。どういう原理だ、呪まじないの類か?まるで自分の肉体から重みだけが奪われたようになって、ヴァルヴァリは誇張ではなく本当に浮き上がっていた。


「───お、」 


 彼が戸惑ったほんの一瞬の隙に、白龍は握り拳を構え、一気に突き出した。穏やかな微笑みから繰り出された、なめらかな鱗と筋肉でできた暴力がヴァルヴァリの胴体をならし、彼を吹き飛ばして棍棒をその手から叩き落とした。


 ヴァルヴァリは嵐に呑まれたように投げ出され、地面や石くれにもみくちゃにされながら吹っ飛んだ。体から噴き出した血が地面にまだらの帯を作り、そそり立つ岩に半ばまでめり込んだところで彼はようやく止まった。


「・・・」


 瞬きの間に、ヴァルヴァリはぐちゃぐちゃになって岩から

 。剥がれた頭皮から、長い髪が赤黒く垂れている。呆然と開かれた口から長い舌が吹きこぼれ、腹筋は破裂して腸をはみ出させていた。全身が血まみれで、心臓が止まるまでその勢いは収まることはないだろう。


【虫けらを踏みつぶすのに王を狙うことはない、と仰いましたね】


 龍はあくまで優雅に言葉を紡いだ。


【ええ、その通りです。あなたを狙わなかったのは『遠かった』からです。目障りなモノがそちらの方からやってくるというのに、自ら動く必要はありません。取るに足らない虫を潰すために、わざわざ立ち上がる必要がどこにありましょうや】


 なめらかに放たれた、無関心な声。

 その侮辱と言っても差し支えない言葉に、彼は。


「・・・く、くくく。ははははは」


 鎖骨の飛び出た肩を震わせ、心底おかしそうに笑い始めた。へし折れた牙が剥き出しになるほど激しく、高く笑った。たった一人であるにも関わらず、劇場に詰めかけた人間全員が高笑いしているように地面がぶるぶると揺れた。それは絶対的な存在へ向けるどうしようもない欲情から来る歓喜の産声だった。


 地響きのような哄笑が収まったころ、ヴァルヴァリは行動を再開した。彼は破けた腹に手を突っ込み、こぼれた腸を引き抜いた。


 空中に躍り出た腸は急速に形を変え、ガードがなく、鉄塊と呼ぶにふさわしい肉厚の剣となった。


 続いて、獣たちが次々とマントからあふれ出てくる。ライオンが、ヒョウが、狼が、ゾウが、イノシシが、熊が、コウモリが、猿が、シャチが、キツネが、まるで濁流のようにあふれる。


「虫を潰すのに立ち上がる必要はないか。ならばその評価、覆してやろう。

 ・・・愛の芽吹きは、出会いと無関心だと言うし」


 ヴァルヴァリははにかみ、怪物に目掛けて突撃した。


【うふふ、虫と気が合うなんて】


 龍はにこりと笑んで、右腕を掲げた。

 地面がもこりと隆起して、無数の石が現れる。指を差すと、それは迫りくる獣の大群へ殺到した。


 石に頭を砕かれ、あるいは胴体を貫かれ、数十匹もの獣が倒れる。それらは倒れたそばから黒い粘液になり、どろどろと再結成してまた別の獣に変わった。


 首輪を外された獣たちの立てる地鳴りで土はえぐれ、まともな生き物ならなすすべもない力の奔流となって龍に襲い掛かった。


 まず、ゾウの牙が真珠の肌に突き立った。鱗が割れて肉が裂け、銀色の血がほとばしる。龍の爪が食い込んでなおも牙を押し込むゾウを足場にして、狼とヒョウとキツネが龍の喉笛に噛みついた。かみちぎろうと動きを止めた瞬間もったいぶった動きで体を掴まれ、飴細工めいて握りつぶされる。


 ライオンは恐れず龍の被膜を食いちぎり、不可視の力によって粉砕された。黒い奔流を乗りこなして、鋼鉄に匹敵する硬さの頭蓋で頭突きを浴びせたシャチは、容易く捕捉されて頭と胴体を泣き別れにさせられた。溢れた血と内臓は大地に飛び散って無数の蟻になり、美しい龍の体に群がった。


 見えない手にぺしゃんこにされるのも恐れず龍に取りついた猿や熊をはしご代わりに、ヴァルヴァリは高速で龍の頭上にまで登り詰めた。肩甲骨を貫くほど強く背中にしがみついたコウモリを翼としてなおも高く昇り、澄んだ水面のような単眼に剣を突き刺す。


 剥がれた足の肉をスパイクにして、ヴァルヴァリは何度も龍の目を突き刺した。眼漿がんしょうで手や頬が焼けようが構わず、角度を変えて同じことを繰り返した。狙うは脳だ。


【ああ、鬱陶しい】


 龍はただかぶりを振った。ヴァルヴァリは深く刺さった剣を手放すと、腕に手をかけ熟れた果物を捥ぎるように引きちぎった。


 肩関節から先をちぎり取られた腕はにょきにょきと伸び、一振りの鉄鎚となる。ヴァルヴァリはそれを振り抜いて、杭に見立てた剣へ平を打ち込んだ。


 それは、ただ振り下ろすだけの力だった。放たれた暴力は時間をわずかに止め、轟音を立てながら龍の首を蛇腹めいて縮めさせた。


 弾けた血管から血が滝のようにこぼれ出て、龍の肉体をむさぼる獣たちの体を溶かした。砕けた鱗がきらきらと踊り、そこだけが甘い夢の中にいるようだった。


 勢い余って戦士の体はまた宙を舞い、足の裏で地面を擦りながら四メートルほど距離ができた。


【おやおや】


 龍は物怖じした様子もなく肩をすくめ、かろうじて鎚つちの形をしている鉄のかたまりを何の未練もなく捨てている戦士を見下ろした。その目には先ほどの冷めた光とは異なる、見間違えようのない愉悦が浮かんでいた。


 龍はようやく立ち上がる気になったようだ。まとわりついている獣たちなど存在しないような身軽さで足を持ち上げれば、窪みに溜まっていた銀血が地面へ伝う。逆関節の足をバネめいて上下に動かせて、挙動こそ鈍重だが逃げようがない速度でヴァルヴァリへ駆けた。


 ヴァルヴァリは黒い水を一気に引き戻し、錐状にまとめて投げ槍の要領で撃ち放ち命中させた。圧縮された獣たちは龍の肉体に埋まると内部で爆発的に暴れ、神経や内臓をずたずたにする仕組みだ。


 戦士に肉薄した龍は握り拳を振り上げたが、風が吹いた途端それの感覚が消えていることを知って瞼をピクリと動かした。漆黒の雫をこぼす身の丈を超える大剣に切り落とされた腕は地面に落下し、重々しい音を立てた。


 バランスを崩して倒れかかった怪物の顎を、ヴァルヴァリは鋭角になった踵の骨で蹴り倒した。お互いの骨が砕ける手ごたえがあった。ヴァルヴァリは呵々大笑しながら、地に伏した龍の顔を血肉でできた武器で攻撃し続けた。


 肉体を、あるいは獣を武器に変え、それが壊れる度に新しい武器を作り、見えない手によって蝿へそうするように弾き落とされるたびに立ち上がり、龍へと挑んだ。



 野蛮な時間が過ぎ去り、お互いに息も絶え絶えな怪物たちだけが残った。


【なんと・・・ なんということでしょう・・・】


 龍は感激しているらしかった。歓喜に喉を震わせて、いびつな楽器のような音を発した。それは恐らく感謝の意味なんだろうが、詳しく知れないのが未練だな、とヴァルヴァリは己の無知を恥じた。


「だろう?オレは殺したいから殺すんじゃない、愛するために殺すんだ」


【勇敢なお方、あなたの名前は?】


「ヴァルヴァリだ。君の名を、いつか伝説に残そう」


 恰好をつけるには絞り出した声があまりにもか細かったので、思わず自分に苦笑いした。

 そして剣を逆手に持つと、うつぶせになった怪物の延髄に向けてそれを突き下ろした。


 

 とたんに、目の前が真っ暗になった。ものすごい力で体が圧迫される。

 ヴァルヴァリを掴んだ龍の顔は、相変わらず綺麗だった。


【謹んでお断りします】


 ヴァルヴァリが戦いで引きだした中では最高の表情で、龍はぐぱりと開いた口の中に己の拳ごと彼をねじ込んだ。


 なすすべもなく上下のあごが閉じる。無数の死が戦士の肉体を咀嚼し、肉も骨もごりごりと挽き潰した。切断された足が龍の手から落ちて、血みどろの大地にバウンドして転がった。


 意識が途絶える瞬間、そういえば名前を聞いてなかったことを彼はいまさら思い出した。


 ◆


 鼓動すら遠慮がちになるほどの静けさの中でヴァルヴァリは気が付いた。


 そして自分がほそい鎖に巻きつかれていることを知った彼は、無造作にそれをちぎっていましめから逃れた。支配されるのは嫌いではないが、簡単に振りほどけるようなつまらない力にまとわりつかれるのは嫌だった。誰だってそんなのは嫌なはずだ。


 いつの間にこんなところにいたのだろう。何かの遺跡と大蛇のような根っこが融合した奇妙な場所に彼は座り込んでいた。立ち上がると、肩から土埃がぱらぱらと落ちた。


 それにしても、さっきの戦いは是非とも自分の伝説に残したいひとときだった。こうなったら今すぐにでも故郷に帰って部下に石板を刻ませるしかない。それにしても、ここはどこなのかな?


 

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