冷田かるぼ



 Aさんは、不治の病というものをご存じでしょうか? 有名なものでなく、もっと、内側から空になっていくような――――いえ、知らないのなら仕方がありません。大丈夫です。私の持病なのです。ああ、症状を言わねば分かりませんね。それは失礼いたしました。


 身体に穴が空く、病気なのです。


 ええ、言葉だけでは大したものだとも思えないでしょうが深刻なのです。初めは手先から、小さなものから始まります。この包帯の下は穴だらけでして、到底見せられるようなものではありません。




 なぜこの病にかかってしまったか、でしょうか。ええ、話すことに抵抗がある、というわけではないのです。なにせ、いかんせん個人的要因の大きすぎるものですから……はい。それでよろしければ、お話します。


 よろしいですか。はい。分かりました。




 では――――何から話せばよろしいでしょうか、ええ、頭の中を整理します。ああ、また、穴の空く感覚が……すみません、少し、不快感が伴うものでして。ええ、もう大丈夫です。お話いたします。


 十数年前、私はただの少年でした。齢一桁、無邪気で無知な腕白小僧です。小学校の帰りなんかにはよく公園でサッカーをしたものでした。本当は禁止されていたんですけれどもね。


 身体に泡のような穴ができ始めたのはその頃です。きっかけははっきりとは思い出せませんが、確か、人間関係で大きなトラブルを起こしてしまった直後だったと思います。


 ……ええ、大喧嘩でした。私は嘘をついたのです。詳しくはお話できないのですが……ええ、私は本当にひどいことをしてしまったのです。それから私の身体には、手先からだんだんと増えていく穴ができ始めました。現在に比べれば、米粒ほどの小さな穴ですが。


 周囲の判断では、原因はストレスとされていました。通院したわけではないので、確実ではありませんが。しかし今思えばあれはストレスのせいだと言うにはあまりにも悍ましかった。だって、穴ですよ。発疹とかではなく、穴。


 確かに端から見れば一瞬発疹なんかに見えないこともありませんでした。水疱瘡にも少し似た穴でしたから。ですがちゃんと見れば明らかに分かります。あれは穴、もしくは泡としか形容できないような現象でした。




 やはり、お分かりいただけませんか。ええ。大丈夫です。その頃の写真なんかも残っていませんので、どうしようもありませんから。信じていただけなくとも仕方ありません。


 とにかく私は苦しみました。小さくとも身体に穴が空いていく感覚は本当に気持ちが悪かった。分かっていただけないでしょうが、ほんとうに、ぽつり、ぽつりと空いていくのです。それは気にすれば気にするほど、あの事件を思い出す度により多く、早く空きました。


 ええ、もちろん、そんなスピードで空き続けていたら今頃私はここにいないでしょう。その通りです。穴は時折塞がるのです。空いては閉じ、空いては閉じ。まるでかさぶたを剥がしてはまたかさぶたができ、というような繰り返しです。


 毎日、包帯を巻きました。湿疹などとは異なり、蒸れて悪化するようなこともなく穴は空き続け、塞がり続けていました。




 しかし一度、回復の傾向が見られたんです。しばらく経って……中学生くらいですね。その頃の私は優等生でした。勉強もよくできました。小学校で習っていたサッカーのお陰で運動もできました。とにかく、自分で言うのもなんですが非の打ちどころがない少年だったと思います。


 作文のコンクールでは佳作を取ったり、中学で入ったバスケ部ではまあ、なかなかの結果を残したもので……はい。紛うことなき優等生でした。


 溺れそうなほどの称賛を浴びました。それでも満たされた感覚がしたかと言われれば、そうではないのですが。そうしている間のしばらくは、身体に穴が空きませんでした。




 ですがまあ、いつの間にまたひどくなった、というわけです。


 ――――ああ、また、穴が。これは大きい穴ですね。左肘のあたり、ビー玉ほどの大きさで。気持ちが悪い。空白に泡が紛れている。中身が、醜悪な人格が全て浮き出て、ああ、ああ……。……ええ、大丈夫です、まだお話できます。問題ありません。


 ……ええ、もうこの際ですからトラブルのことについて話してしまいましょうか。


 いじめでした。


 私は友人をいじめ抜いておりました。


 幼い私は気に入らなかったのです。私より劣った彼が、私よりも注目を浴びていた事実が。今思えばそんな動機で人を傷つけるなど、もはや人間ではないと思います。私は狂っていたのでしょう。承認欲求と拗らせた自尊心のせいなのです。齢一桁の少年は、性根が腐っておりました。


 やれることはおそらく、ほとんどやりました。直接的な暴力以外、ほとんど。嘘もつきました。ええ、完全に人間として最低の行為です。


 彼は壊れませんでした。いつまでもたった一つの才能を磨き上げ、私以上に優れた人間となりました。ああ、無駄なんだ。そう思いました。


 そうしてようやく私も反省してやめようとした頃、友人の親へ話が伝わったのです。友人の親は私の親にこのことを伝えました。親はかんかんに怒り、泣きながら私に説教をしました。


 話は本当なのか? ああそうか、お前なんて信じていなかった。成績ばっかり良くてもそういうところがダメなんだ、性格がダメだ。どうしてこんな子に育ってしまったのか? ああ、私達の育て方が悪かったんだ、そうなんだろう。


 散々でした。私が悪いということは理解していましたが、最終的には人格を完全に否定されました。存在も否定されました。これが、私が彼にしたことの報いなのかと、そう思うこともありました。


 そのまま私と彼は謝罪した後縁を切り、今に至ります。今でも私は私が許せないのです。ええ、こんなことを言っていること自体、きっと最低でしかないでしょう。私を許せないのは彼とその両親の方なのですから。


 その上私は親不孝者ですから泡まみれになって死ぬのです。ああこれです。また、穴が。包帯を外しましょう。ええ、痛みはありませんので、問題はありません。見て下さい。これがそうです。右腕全体にも侵食しました。ぽつぽつと穴が空いていくでしょう。だんだん全身にも感じます。私にあったのはただ一つ自尊心という最も崇高で最も醜い感情だけだったのです。それが泡を成して私の身体を消失させる、ただそれだけのことです。


 ほら、今でも、ぶつ、ぶつ、ぶつぶつと、内側から刺されるように空いていきます。見えますか? ええ、ええ、そんなに怯えないで下さい。伝染りませんから、ねえ。


 安心して下さい。あなたが私と同じでない限り、きっと伝染りません。


 それとも、同じなのですか?


 ああ、落ち着いて下さい。大きな声を出さないで。ここは病院ではありませんが、近隣の方に迷惑がかかりますので。落ち着いて下さい。そんなつもりではなかったのです。


 すみません、良くないことを言いました。ともかく私は、この穴に殺される、そういうことが言いたかったのです。ああ、昔の話をしているとまた穴が増えた。ほら、頬にも一つ空いたでしょう。気持ち悪いですか。そうですね、私もそう思います。




 ……Aさんは、どのような幼少時代を過ごされたのですか? いえ、すみません。気になっただけです。失礼でしたね。申し訳ありません。私の話はここで一区切りついてしまいましたので、今度はぜひ、あなたに話していただきたいと思いまして。


 教えていただけるのですか? ありがとうございます。


 幼少期はK市の方で暮らしていたのですね。その辺りには親戚が住んでおりますので、分かります。裕福ではなかったが貧乏でもない暮らし、ですか。時折賞を取ることもあったんですね?


 ああ、聞いたことがあります。この辺りでは有名な写真コンクールですね。あれで最優秀賞を。それは素晴らしい。さぞ親御さんも喜ばれたことでしょう。……あんな賞を獲っても何も嬉しくはなかった、褒められたとしても決して愛されてなどいなかった? ……ええ、そうですか。なるほど、納得しました。あなたも"そういう"人だった、と。


 Aさん、やっぱり私と同じだったんですね。――――ああ、まだお気づきになりませんか? 慣れてきたら分かるようになりますよ。


 ほら、あなたの右手です。人差し指の先。小さな穴が、空いたでしょう。そしてもう一つ。増えましたね。


 同じですね。





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冷田かるぼ @meimumei

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