第6話
『いい?もう大人になるし、家のことは一人でできるわよね?』
待ってよ、私もついて行きたいよ。
『向こうは危険だから。大丈夫、物資が集まったらすぐに帰ってくるさ』
お父さん、お母さん、待って。
「待ってよ……」
手を伸ばした先は虚空。目が覚めた野宮が最初に見たのは客室の天井だった。今まで見ていたものが夢だったことに気がつき、がっかりした。
「ん、どうした?」
声で目が覚めた鈴本がこちらに寄る。何事かと驚いた顔をしている。鏡を見ると、顔に涙の流れた跡。
「何かあった?怪我とかしていない?」
鈴本が心配そうにこちらを見つめる。
「ううん、ちょっと懐かしい夢を見ただけ。心配しないで」
気丈に振る舞っているつもりはないが、やはり時には無意識に限界を迎えてしまうこともあった。今日がそれだったらしい。しかし今はもう平常心。また歩けそうだ。
「行こうか、ぐっすり眠れて疲れも取れたし」
荷物を持ってホテルを出る前に、ロビー横の食堂に向かった。もう朝食は済ませたが、もしかしたら食料もあるかもしれないという期待を胸に入ってみた。ビュッフェ形式だったようだが、放っておかれたご馳走たちはカビが生えていたり水分が抜けてカラカラだったりと散々なものであった。
「ダメだ、冷蔵庫にも水一本ありゃしない」
「戦闘があった時に全部持っていかれたのかな。残念」
諦めてさっさとホテルを出た。ひたすら東を目指して歩く。方位磁石を持っていて良かった。鈴本の後に野宮がついて行く。早朝に出発したが、今日も暑くなりそうだ。
「あ、猫!」
道の真ん中で痩せ細った猫が歩いている。こんな状況で餌も碌に手に入らないのだろう。気の毒に思い、野宮は少しだけ水とビスケットをあげた。
「ごめんよ、私たちもカツカツだからこれくらいしかあげられないや」
ビスケットを少しずつ食べる猫。ビスケットって猫にあげていいんだっけと思ったが時すでに遅し。ペロリと一枚完食してしまった。行こうかと立ち上がり、再び歩く。以前と違うのは……猫がついてきている事。
「あーあ、懐かれちゃったね」
鈴本が揶揄うように笑った。
「病原菌のリスクもあるし、あんまり良くないんだけどなぁ……。ビスケット、あげない方が良かったかな」
しかしあの場で痩せ細った猫を見ると誰もが食べ物をあげたくもなるだろう。野宮は責任を負い、猫を連れて行くことにした。手袋をして持ち上げると、首輪が見つかった。
「元は飼い猫かな。どこの子だい?」
辺りを見回すが、飼い主どころか人は一人も居ない。ペットを置いて違う惑星に逃げてしまうなんて腹立たしい。
「お前は今日からうちの子だよ……ねぇ野宮、名前は何にしようか」
「そうだね。うーん……ビスケットで懐いたから、『ビス』とか」
我ながら安直な命名の仕方だと苦笑したが、案外鈴本には好評なようだ。
「良いんじゃない?決定!お前はビス!」
ビスは返事をするようににゃあんとのんびり鳴いた。ビスケット一つでは満足に腹も膨れておらず、地面に下ろすとフラフラ歩き始めた。これでは心許ない。鈴本が抱き上げ、そのまま連れて歩くことにした。
「軽いよ、この猫。随分一人で頑張ったんだね」
「こんな環境じゃ飼い猫が一匹で暮らすには過酷すぎるもの。生きていることが奇跡かもしれないね」
今日の目標は県を一つ跨ぐこと。早朝に出発したので、あわよくばもう一つ越えられたら万々歳だ。旅の仲間が増えた今、それが吉と出るか凶と出るか。しばらく歩くと、県境の看板を発見した。
「お!いよいよ地元を離れるよ」
「案外早く超えられたね。この調子で行けるところまで行こう」
ビスはいつの間にか鈴本の腕の中で眠っていた。長い間風呂に入っていなかったのだろう。隣からでも分かるくらい独特な匂いを発していた。歩いていると森の中を切り開いた道になり、コンクリートで綺麗に舗装はされているものの、両サイドは鬱蒼とした木々に囲まれている。ビルや店はおろか、家すら一軒も無い。
「こんなところで野宿はしたくないな」
しばらく同じ風景が続く。つまらなくなってきたところで突如、左側からガサガサと音がした。二人の歩みが止まり、同じ方向をゆっくりと見る。森の中は暗かったが、明らかにクマのシルエットそのものであった。そういえば森の入り口に『熊出没注意!』の手書き看板があったことをすっかり忘れていた。
「逃げよう」
鈴本が言うが早く、二人は一斉に駆け出した。時折後ろを振り向き、クマが近づいていないことを確認する。それでも森を抜けるまで、息も絶え絶え、走りがノロノロになっても足を止めなかった。やっと見えた建物のガラスを割り、中に逃げ込んだ。汗はダラダラ、肩で息をしていた。
「あぁ、怖かった。もう追ってきてないよね」
「元から追ってきていなかったよ……。まぁここまで逃げる気持ちにもなるけど」
入った建物は雑居ビルのようだ。ロビーとなる一階には各階の案内が書いてあった。弁護士事務所、税理士事務所、ベンチャー企業であろう会社。あくまで避難のために入っただけなので、一息ついたらそのまま出て行った。この建物を皮切りに景色が街並みへと変わる。見知ったスーパーやチェーン店もいくつか見かけた。
「あそこのスーパーでお昼を調達しようか。ビスの餌もあれば良いなぁ」
比較的大きめのスーパーマーケットに入店。水や食料を入手した後、ビスの餌を求めペットコーナーに向かった。数多くフードが並ぶ前にビスを下ろし、声をかけた。
「さぁ、好きなものを選びな……ってこれで選んだら凄いけどね」
するとビスはまっすぐと歩き、とある餌のところで止まった。見ると売り場で最も高い。premiumと筆記体で書いてある、いかにもお金持ち御用達のパッケージをしていた。
「げ!あんたこんな高いもの食べるの!?」
「もしかしてビスは元々お金持ちの家で飼われていたのかもね」
試しにその場で一袋あけ、適当な皿に移した。ビスはじっくり匂いを嗅ぎ、それからゆっくりと食べ始めた。
「がっつくと吐いちゃうからね、お腹空きすぎてたから」
あっという間にペロリと平らげた。鈴本はいくつか餌をリュックに詰めたが、あまりにも重く背負い上げられない。さてどうしたものかと辺りを見回すと、乗り捨てられたベビーカーがあった。
「鈴本、あれ良いんじゃないかな」
「ん?あぁ、ビスも載せられるし荷物も下部に置けるから良いかも!ナイスだよ野宮!」
イエーイ!とハイタッチした。ベビーカーのもとに行くと、中は空っぽ。赤子が眠っていたらどうしようかと考えたが、杞憂だったようだ。消毒用アルコールシートで綺麗に拭き、ビスを乗せる。ビスは暴れることもなく、お利口に座ったり丸まったりしている。
「良い子だね」
「お金持ちの猫だから気品があるね。野良になってもそれを忘れる事はなかったんだろうね」
お腹いっぱいになったビスは再び眠りについた。太陽の位置からすると昼ごろだろう。まだお腹は空いていないのでスーパーを出て歩くことにした。汗が滲む。日焼け止めくらいは塗ればよかった。普段からメイクを一切しない野宮に対して、このような状況になっっても毎日しっかりメイクをする鈴本。そのおかげか彼女は日焼けをしていなかった。尊敬したいくらいだ。
「暑くない?大丈夫?」
「うん、水はこまめに飲んでるから。どんどん先に行こう」
ビスはベビーカーの屋根が影になりまだ涼しくいられるようだ。本格的な夏になれば、ハンディ扇風機や保冷剤なども加えようと考えた。景色は変わらず田舎と都会の間くらいが続く。どうやら新しい市に入ったらしい。『夏月市』と書かれた標識が出迎えてくれた。
「えーと、野宮の家を出てから大体八十キロか……夏月市……あぁ、ここか!」
「観光地で有名だよね。伝統的な建物が多くて」
『おいでませ』と書かれたアーチをくぐると景色は一変、まるでタイムスリップしたかのような街並みが彼女らを出迎えた。
週末、君と私と、終わった世界で @chashiro_kon
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