第5話
ひたすら歩いて数時間。まだ夏の始まりとはいえ、照りつける日差しは厳しい。五百ミリリットルのペットボトルに入っていた水がもう無くなりそうだ。
「ちょっと休憩しようか」
鈴本が指を指したのはベンチ付きの東屋。奇跡的にどこも壊れず綺麗に残っている。ベンチに座り、初夏の風に当たって涼む。地図を取り出し、自分たちの現在位置を調べる。
「結構歩いたと思ったけど、まだ十キロちょっとかぁ」
「高校の時の遠足もこれくらい歩いたと思うんだけど。今歩くと意外と疲れないね」
「こんなことになってから、移動手段が徒歩になったからね。足も鍛えられたよ」
近くにスーパーがあることに気づき、ひとまずの目的地に設定した。立ちあがろうとすると、野宮のスマホが震えた。
「お母さんの名前だ」
ロックを解除し、スマホを耳に当てる。流れてきたのは男性の声。やはりか、と母親の声を少しだけ期待していた野宮は落胆した。
『もしもし、野宮さんかな。もしかしてすでにご家族に会うために出発したり……しているかい?』
「は、はい。丘木さんは今どこに?」
『僕は桜花市から動かないつもりだよ。ご家族さんを探しているんだろう。僕が動いてしまうとスマホの場所がわからないだろうからね』
「ありがとうございます」
『君の住んでいるところからかなり離れているから、安全に来なさい。僕もできるだけ生きているようにするから』
それで会話は終わった。スマホをポケットにしまい、再び立ち上がる。
「丘木さん、なんて?」
「私たちが来るまで、桜花市で待ってくれるって。ゆっくりでいいとは言ってくれたけど、なるべく早く行かないとね」
リュックを背負ってスーパーへ向かう。野宮がいつも通っているところよりもうんと広い。食料品だけでなく、日用品や家具家電、服もいくつか揃っている。もはやショッピングセンターに近いのではないか。
「広いなぁ。あまり来たことが無いし、しばらく見て回ろう」
「さっきなるべく早く桜花市まで行こうって言ってたのに……」
鈴本が思わず苦笑する。野宮は自分の発言の矛盾さに気づき、顔を赤くした。リュックを開けて足りない食料や日用品を詰め込む。しばらく物色した後、店を出ようとすると、動く影が見えた。野宮が影を追っていくと、婦人服のコーナーに女性が座り込んでいる。
「あの、大丈夫ですか?」
声を聞きつけて鈴本もやってきた。女性は痩せ細ってはいないものの、物も離せないほどに衰弱している。とりあえず水を飲ませ、家具売り場のベッドに横たわらせる。
「私たちのこと、わかりますか?見える?」
「あ、あぁ、人?」
ゆっくり瞬きをし、蚊の鳴くような声で話す。一言も聞き逃さまいと二人は必死に耳をそばだてた。聞き取れたのは、元々住んでいた地域が戦火に飲まれてはるばるここまで避難してきたこと、移住用のロケットに乗り遅れ、一人取り残されてこのスーパーで飢えを凌いでいたこと。愛する恋人がいたが、自分の目の前で死んでしまったこと。
「でも、もうだめかしら。生きる気力も無くなっちゃった」
「そんな……私たち、桜花市というところまで行こうとしているんです。もし良かったら、途中まででも一緒に行きませんか?」
たまりかねて野宮が手を差し伸べる。しかし、それに女性が答えることはなかった。ベッドに置いてあったタオルケットにくるまり、放っておいて、とそっぽを向いた。
「もう、ここで死ぬつもりなの。貴方たちはまだ目的があって生きているんでしょう?私に構わずにさっさと行きなさい」
「そんな……」
野宮は立ち尽くしてしまった。無理矢理にでも女性を生きながらえさせたい気持ちがあるのに、彼女はそれに応えようとしない。かといってこのまま立ち去るのも気が重い。悩んでいると、鈴本が荷物を持って出口へ向かう。
「鈴本」
「いいじゃない、死ぬことがその人の本望ならそうさせればいい。どうも、お邪魔しました」
野宮も荷物を持ち、急いで鈴本の後を追おうとしたが、最後の最後、残っていた良心に動かされ、ペットボトルの水をベッド脇にそっと置いておいた。
「これ、よかったら。未開封なので」
それだけ言って駆け足でスーパーを後にした。暗い室内から出た後に浴びる太陽の光がいやに眩しい。近くの木の下で鈴本は待っていた。
「じゃあ、行こうか」
しばらく黙って歩く。気まずい時間が過ぎる。もしかしたらあの女性の態度に機嫌を損ねてしまっているのかもしれない。恐る恐る尋ねてみた。
「……怒ってる?」
「んーん、全然!ただ、ずっとあの場にいてあの人の対応をしていると、時間だけが過ぎていくから」
鈴本は振り返り、屈託のない笑顔を見せた。良かった、と野宮は思ったがもしかしたら貼り付けているだけの笑顔かもしれない。
「こんな世界だと死ぬことも選択肢に入ってくるからね。今の私たちも生き死にと隣り合わせ。誰と出会ってどんな経験をするのかわからない。だから、必要に応じて取捨選択をしなくちゃね。あの人には申し訳ないけれど、良心に付け込まれて何をされるかわからなかったし」
鈴本が止まり、野宮が隣に並んだ。その時、鈴本はいつになくなく真剣な目をしていた。そうだ。この世界は終わりに向かっている。平穏な生活を送っていた野宮も改めて気付かされた。
「私たちの為だったんだね。ありがとう」
「いやいや、野宮の気持ちもよくわかるからね」
なはは、と鈴本が笑い声を上げた。
「鈴本はすごいね」
「ふふ、どうも」
二人は再び歩み始めた。スーパーがどんどん遠くなっていく。あの人はこれからのどうしていくつもりなのだろうか。本当に死んでしまうのだろうか。ぐるぐる、考えを巡らせようとしたが、やめた。今は自分たちの目標に向かうだけで精一杯。きっと彼女は彼女の人生を送るのだろう。
日が暮れそうなので、宿を探すことにした。街に出たので探せばすぐにありそうだ。やはりビジネスホテルが見つかった。荒れていなければ嬉しいが、と開いていた自動ドアを通り中に入ると思っていたよりも綺麗だ。しかしよく見るとフロントのカウンターに血がこびりついていたり、観葉植物が倒されていたりと物騒さが伺える。
「ここも戦場になったのかな」
「ぽいね。ほらここ、銃弾の跡」
壁に小さな窪みができていた。
「今日はもう遅いし、このホテルの中を色々探検してみよう。何か収穫があるかもしれない」
最初に入った客室には一通り設備やアメニティが揃ったままだった。戦闘員などが奪っていったかと思っていたのでこれはラッキー。ベッドも綺麗に保たれている。
「良かったね、ここは襲撃に遭わなかったのかな。せっかくだしこの部屋に泊まろうか」
一度荷物を置いて再び廊下に出る。動かないエレベーターを横切り、階段で他の階層に移動する。リラクゼーションルーム、共同浴場、ランドリールーム。特別な場所は一通り見終わった。立ち寄った他の客室でアメニティをリュックに入る分だけ拝借し、部屋に戻る。ベッドが二つあるツインルーム。水で乾杯し、ビスケットの袋を広げる。
「いつものビスケットも場所が違うだけでこんなに美味しくなるんだね」
「確かに。いつよりも美味しい。だけど……」
「?」
「鈴本が来てから、味気ない食卓が華やかになった気がするんだ。メニューは変わらないけど、食べるのが楽しみになった」
野宮は照れたように笑った。鈴本はパッと表情が明るくなり、心底嬉しそうな顔をして見せた。
「それはこっちも嬉しいよ!お互いに助け合っていこう」
改めて、と二人はガッチリと握手を交わした。夜が更けて、二人は外に出る。満点の星空を見る為だった。
「今日は一日晴れていたから夜空も綺麗だね」
「皆、今頃どこにいるんだろう。あそこかな?いや、あっちかな」
星を見つめて話に花が咲く。家を離れてから一日経つ。これから何が起こるかわからない。家族の安否も心配だ。しかし野宮は、鈴本との旅に少しの楽しみを覚え始めていた。
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