アイリア人の砦

R.J.マニング

アイリア人の砦

 エルランの丘の若き小領主フィリップ・リオダンがその話を耳にしたのは、実に五日前のことだった。小姓ペイジが言うには、何でも此処エルランから三十マイル程離れた所にあるポヴァリー近辺の村々が山賊に連日連夜襲われているらしく、その凶暴さは凄いもので、退治に向かったポヴァリーの騎士達が敗走の憂き目に遭ったとのことだった。


 この話に尾鰭おひれが付いているかは兎も角、この話を聞いてフィリップの心にまず沸き上がったのは喜びであった。何もポヴァリーを恨んでいる訳ではない。ポヴァリーへ行く恰好の理由が出来たことを喜んでいるのであった。というのも幼き日の頃、フィリップはポヴァリーの居館で一年程小姓として住んでいたことがあり、そこで一度伯父に連れられて見せられた古代アイリア人の砦を忘れられないのであった。それはとうの昔に打ち捨てられた野営地で、防壁の崩れかけた無惨なものだが、フィリップには何とも言い難い古の力を秘めている様に見え、砦に足を踏み入れた時に感じた不思議な高揚感と恍惚こうこつが忘れられず、エルランに帰った日からずっと熱に浮かされた様に焦がれているのだった。


 その砦に再びおもむくことを今までは彼の父と領主の息子であるという環境が許さなかった。だが今となっては阻む者は誰もいなかった。フィリップの父にしてエルランの前家督エドマンド・リオダンがデール人の貴族との小競り合いで武功を立て、その功績から鉄の諸公の一人、ウィリアム・ブラックウッド公の騎士として仕え始めたその日から、フィリップにはエルランの領地と家督だけが残ったのであった。


 父が消えた今、フィリップの最後の障害は領民を不安にさせずにポヴァリーへと向かう理由を作り上げるだけだった。そんな折に話を聞いたフィリップはこれ幸いと山賊退治をポヴァリーへと向かう理由とした。そして、以前から立てていた計画を前倒し準備を整え、鎧下衣ギャンベゾンの端を締め上げるとポヴァリーを助けに行くと領民に言い残して、革鎧に身を包み馬に乗った三人の騎士と旗手を含めた十人の短上衣チュニックを着た兵士と四匹の軍馬、それに五匹の荷馬と一匹の猟犬を引き連れてエルランを出立した。心晴れやかな顔をして馬に跨ったフィリップを領民が気持ち良く送り出したのは言うまでもない。




 一軒の旅籠屋はたごやに泊った次の日の朝方、ポヴァリーへと着いたフィリップら一行だったが、フィリップの叔父にしてポヴァリーの領主であるサー・アランの歓待かんたいとは裏腹に失望が彼らを襲った。彼らは山賊との戦いで生き残ったポヴァリーの騎士や兵士を集めて山賊の元へ向かう計画を立てていたのだが、ポヴァリーの兵達は想像以上にこっ酷く負けたらしく、砦の兵士は十数人程で、騎士もフィリップの伯父の側近を除けば二人しか見られなかった。今ならフィリップら一行だけでポヴァリーを落とせるのではないかと思わせる程の惨状さんじょうである。


 兵士の当てが外れたフィリップは居館の客間で伯父の口から語られる惨憺さんたんたる戦果に首を項垂うなだれて耳を傾けていたが、ほぼ全ての騎士と兵士の引き換えに山賊の半数以上が死んだと伯父が口にした所で顔を上げた。フィリップの伯父が言うには、フィリップら一行だけでも生き残りの山賊は倒せるだろうとのことだった。フィリップは心配を取り除いてくれた伯父に感謝すると共に、襲われている村々の近くには半日で着くから今の内に出発した方が良いという伯父の助言に従って、昼の内に一行を連れ、伯父が窓から指を差した南の山を目指してポヴァリーの砦を出発したのであった。




 ポヴァリーの胸壁きょうへきが遥か後方の木々の間に消えた頃、耕地とその石垣を横目に見ていた栗毛の若騎士グランがフィリップの暗くなり始めた顔に気が付き、その不安そうな表情を見かねて口を開いた。


「村から逃げて来たという人に話を聞いたのですがね、山賊は最近大規模な襲撃を止めて、村々から牛を二、三頭盗るだけになっているそうですよ。だから、あんまり心配そうな顔をしないで下さい。話通りなら相手は十人もいないのですから」


 フィリップはグランのはしばみ色の目をちらりと見たが直ぐに視線を前に逸らし、静かに分かっていると答えた。だがその言葉とは裏腹にフィリップは心の中で安易に山賊退治を理由にするべきではなかったと後悔していた。騎士道物語を聞いて育ったフィリップには戦いへの憧れというものがあったが、いざ戦いへ赴かんとすると途端に恐怖が鎌首をもたげるのであった。何より、戦の経験がある騎士に囲まれているとはいえ、人を殺そうとするのはこれが初めてであり、安心より不安が勝るのは必然であった。


「だが、恐ろしいのだよ。山賊とはいえ人は人。人を斬る思い切りがつかないのだよ」


 フィリップの呟いた言葉にグランは少し悩むそぶりを見せたが、あまり考えることなく直ぐに答えた。


「斬るのには思い切りも何もありませんよ。兎にも角にも相手を殺そうと思って斬るだけです。戦っていれば知らない内に叩き殺していることもあります。まあ、相手の姿を見れば自然と殺す気にもなりましょう。或いは、フィリップ様は見ているだけで済むかもしれませんよ」


 グランの答えは、彼の経験から導き出された単純な答えでしかなく、フィリップの暗い気持ちが解消されることはなかった。そして、フィリップがそうかと呟くとそれきりグランとの会話は途切れてしまった。


 やがて見えてきた小川を境に両側の石垣は途切れ、フィリップら一行は小川に掛かる丸太橋を越えて影の濃い丘陵きゅうりょうの樹林へと足を踏み入れた。イチイやトネリコの木が頭上で枝を差し交すただ土を均しただけの道は両側から突き出たいばらや丈の短いサンザシのやぶによりせばめられ、一行は自然と一列になって進んで行った。道は次第に丘陵から緩やかに下る丘となり、樹林を抜けて芝草の生い茂る丘の斜面から前景を見下ろすと、遠目に見えていた山は今や目前であり、そのふもとうずくまる様に建つ十二軒の藁葺わらぶき屋根の家々が見えた。教会もなく、村の入り口付近に見張り台と牛舎がそれぞれ一つある程度で、ぐるりを簡易な柵と堀に、前方を牧草地に、後ろを少しの耕地と木々に囲まれて牛や豚を育てているだけの貧相な村であり、かつての開拓者達の子孫の成れの果てとでも言うべき姿であった。


「それで、領主様。今日は何処で休むので?このまま丘を下りて村に入りますか?」


 振り返ると、灰色の顎髭あごひげいじる騎士トーレンの褐色の目と目が合った。西に目を向ければ、日が朱く分厚い雲の垂れ幕に覆われた空から薄ぼんやりと遠くに見えるハーレン山脈の向こうへと傾きかけ、辺りには暗い影が入り込み、間もなく夜が来ることを報せていた。


「いや、ここで野宿する。我々が村に泊っている間に襲われたら一溜まりもない」


 騎士達は特に何も言わなかったが、兵士達の間からは不満の声が上がった。だが、結局の所彼らはトーレンに発破をかけられるまでもなくしぶしぶと野営の準備を始めた。フィリップは樹林の中に天幕が張られていくその様子と、白髪の混じり始めた栗毛の騎士トマスが芝草を掻き分けて横たわったその余裕ある姿を見ながら、己の臆病さを心の中で叱咤しったした。そして、寝る直前になって明日は己を奮い立たせねばと心に思った。




「フィリップ様、起きて下さい」


 自らを起こす声が聞こえると共に、フィリップは焚火が誰かに消されて嫌に寒いことに気が付いた。そして、焚火を消した兵士に文句を言おうと手を伸ばして天幕を開いてみると、まだ夜中であることが分かった。何事かと起き上がって外に出てみれば、騎士も兵士も頭を押さえられた猟犬も、皆目を覚ましてただ一点を見つめていた。月が隠れている為に暗くてよく見えないが、目を凝らして彼らの視線の先を見てみれば、牧草地から村を目指して馬を疾駆しっくさせる鎧姿の騎士が見えたのであった。そして、フィリップは一瞬の後にこれが例の山賊の内の一人なのだと理解した。しっかりとは見えないが、鎖帷子くさりかたびらにポヴァリーの騎士長から奪ったであろう茶色と白の外衣サーコートを重ね、頭には大冑グレートヘルムを被っており、左手には三フィート半から四フィートの槍を携え、腰には一振りの長剣を下げ、跨る馬には茶色の馬衣を纏わせていた。


 村の見張りは初め、この山賊を騎士か何かだと思ったらしく、攻撃を仕掛けなかった。だが、みるみる内に速度を上げて近づいて来るその姿に何かを感じ取ったらしく、急いで矢を放ち始めた。しかし、矢は全て逸れるか、馬衣の端に刺さるか、本人の鎧に弾かれてまともに当たることはなかった。第二射を待たずして村の百二十フィート付近を過ぎた山賊はすかさず槍を振りかぶって投じた。槍は瞬く間に見張り台に立っていた指示役らしき村人の胸を貫き、それでも尚勢いは収まらず、その村人を見張り台から引っ繰り返らせて落とした。村の見張りに動揺が走ったのが見て取れた。そして、その隙を突くかの様に見張り達の後ろに人影が現れ、見張り達を次々と長剣や短剣で刺し殺していった。その一瞬後に大冑の山賊を乗せた馬が柵と堀を飛び越えて牛舎の方へ走って行き、その後を胸当てや革鎧を身に着けた血濡れの五人の山賊が追って行った。


「今からじゃ馬に乗ったとしても間に合いませんな。しかし、それにしても凄い腕だ。傭兵崩れかね。あれは——」トーレンの言葉は続かなかった。大冑の山賊が馬から下りて牛舎の扉に触れるや否や腰の左に下げた一振りの長剣を引き抜き、扉の隙間に叩き込んだからである。それは中から掛けられたかんぬきを叩き斬る為のものだったことがうかがえ、また一振りで終わったことからして閂を一撃で叩き斬ったらしかった。このことはフィリップらを心胆寒からしめた。彼に追いついて来た血濡れの山賊達は五人掛かりで牛舎の扉を開けて中に入ると、しばらくして更に血濡れとなって、二頭の牛を囲んで後ろから叩き棒で引っ叩きながら出て来た。そして、この時フィリップはやっと気が付いたが、大冑の山賊は周りの山賊より一回り背が高い様だった。


「俺は傭兵崩れではなく騎士崩れと見たね。こりゃあ、川の諸侯に味方したデール人の貴族が部下を引き連れて戦火から逃げて来たのかもしれませんな。何れにしろ、これで全員かな?後は拠点を突き止めて奇襲するだけですな」


 しばらくおいてトーレンに言葉を返した騎士トマスに返答する者は誰もいなかった。というのも、押さえられていた猟犬がいつの間にか手から逃れ、吠えたからである。猟犬を押さえていた兵士は急いで再び猟犬の頭を強く押さえたが、その時には遅かった。大冑の山賊が槍を死体から引き抜いている最中にふと動きを止め、冑の面頬めんぼおをフィリップらの方に向けたからである。かなり離れているとはいえ彼が聞き取ったのは明らかだった。


 彼がフィリップらの方を見つめてどれほどの時が経ったのか、しばらくすると山賊は顔を背けて家屋の向こうの森の中や背後をじっと見つめ、やがて槍を手に馬に乗り直し、仲間の山賊の後を追って村の背後の裏口から耕地を越えて森の中へと入って行った。彼が目を逸らした時点でフィリップらは安心感に襲われたが、それでも彼が森の中に消えるまで知らず知らず息を潜めていた。月が隠れている以上、見つかる筈がないと分かっていたが、それでも何か動きを見せればその大冑が再び向きを変え、今度こそ見つかる様に思えたのだった。そして、山賊が森の中へ姿を消すと、フィリップらは無言で各々の天幕へ戻った。誰も何も言わなかったが、山賊退治の最大の脅威になるであろうものを前にして、死人が出るかもしれない、もしかするとそれは自分の身の上に降り掛かるかもしれない、そういった思いが出て来て、それらの思いを早く消したかったからである。何より、万全の状態で挑まねば死ぬのは自分であることを皆自然と理解していたのである。猟犬を蹴っ飛ばす余裕など誰にも無かった。




 次の朝、さっそくフィリップら一行は固いパンとチーズを食べて軽い朝食を済ませ耕地へ下りて行った。すると、村に近づくにつれ悲しみと諦念の混じった微かな嗚咽おえつが聞こえ始めた。泣いている姿は全く見えなかったが、家々の隙間から覗く幾つもの視線がその主でないことは明らかであった。一行が村の傍を横切った後も声は止まず、視線は変わらず静かに見つめていた。その痛ましい泣き声と無言の視線に一行は何故もっと早く来なかったのだと責められている様な気がして互いに一言も話すことなく村から離れた。そして、山賊の痕跡を嗅ぎつけた猟犬の後に続いて急いで森の中へ入って行った。


 猟犬の後について日が昇り終わった頃、フィリップら一行は昼食を済ませ、水割りの葡萄酒を飲み過ぎたグランが用を足すのを待っていた。そんな時、兵士の内の一人が後方から誰かが追って来ていると報せた。振り返って森の奥を見つめてもそこにはただ鬱蒼うっそうしげるるオークの木々ばかりであったが、しばらく待っていると馬の足音が聞こえ始めた。その頃にはグランも既に用を足し終わり、フィリップら一行は各々が剣や槍を手に追跡者が現れるのに備えていたが、それでも追跡者が現れた時には驚かずにはいられなかった。木々の間から現れたのは、茶色の乗用馬にまたがって黒い馬衣の軍馬を後ろに連れた、これまたどす黒い外套がいとうに身を包み槍を担いだ、幽鬼の様な大男だったからである。


 一行は幽霊にでも遭遇したかの様に固まってしまったが、追跡者が彼らの目の前で馬の足を止める頃には既に気を取り直して男を囲み始めていた。だが、それより早く猟犬が男に駆け寄り、彼の乗る馬の脚にみ付こうと飛び掛かった。男はそれを見るや鼻を鳴らして手綱たづなを引いた。途端に彼の馬が前脚を跳ね上げて猟犬を蹴り飛ばし、猟犬は悲鳴の様な短い鳴き声を発して二、三転宙を舞って男の隣に落ちた。幸い命に別状はないらしく、猟犬は地面に落ちるや否や走ってフィリップらの後ろに回り込んで怯え始めた。


 フィリップもまた恐怖を覚えて固まってしまった一人だったが、犬がフィリップらの後ろに回り込むと共に声を張り上げて誰だと誰何すいかした。男は間を置いて外套の頭巾ずきんを頭の後ろにずらすと低いながらも嫌によく響く流麗りゅうれいな言葉で答えた。


「誰だと聞かれたからには名乗らせて頂こう。私の名は、ウォルター・ハーディング公の息子、騎士殺しのフレデリック。ポヴァリーの領主サー・アランに頼まれ山賊狩りの増援に参った。さて、一応の確認だが、私に刃を向ける君たちは何者かね?まさか山賊とは言うまいな」


 フィリップらは思わず互いに顔を見合わせた。というのも、男が名乗ったのは、最近のデール人との戦でよく耳にする騎士の名だったからである。フィリップは改めてこの男の姿を観察した。この男の見た目は、最北のハーディング領から伝え聞くハーディング家の親衛騎士たる〈黒衣の男たち〉の姿とそっくりであった。噂に聞くとんがり冑は被っていないが、膝下まである夜闇の様に黒い外套を身にまとい、丸太の様に太い脚には分厚い革の深靴を、自らの首程もある腕には繊細せんさい浮彫レリーフを施された鋼鉄の手甲をめていた。外套の中には革と鋼の鎧に覆われた分厚い肉体が見え、またその体からはかすかに鎖帷子のこすれ合う音が聞こえた。外套を巻き付けた雄牛の様に太い首の上のその顔は若く、均整が取れて整っており、彫りが深く、その浅黒い肌と短剣で剃ったらしい荒々しく跳ねたインクのように深く黒い短髪は最北の出自とは裏腹に彼が古いアイリア人の末裔であることを窺わせた。また、完璧に髭を剃ったその精悍せいかんな顔立ちには言葉の隅々に現れていた若々しさが張り付いており、刃の様に鋭い蒼白い瞳はまるで黄金に縁取られている様に輝いて見え、見る者を畏怖いふさせた。だが、何よりその七フィートに達するかという巨躯きょくが物凄い威圧感をかもし出すのであった。


 噂に聞くフレデリックの特徴を全て備えるこの男を前にして、フィリップは兵士達が動き出さぬ内に急いで返答した。


「皆、武器を収めよ。私は、エルランの領主フィリップ・リオダンである。この度は山賊の噂を聞き付け退治に参った。部下が刃を向けたことは詫びる。そして、非礼を承知で訊ねるが、我々と共に戦わないだろうか」


 男は騎士と兵士が引き下がると共に、旗手の旗を一瞥いちべつしてこう言った。


「無礼は忘れよう。しかし、じろじろと見る前に答えることだな。気を取り直して、ありがたく私も共に戦わせて頂こう。改めて、私はフレデリック。君たちの増援に来た」


 こうして、フレデリックは一行に加わった。




 フレデリックの一件から馬で歩き始めて天に日が昇った頃、ずっと無言でいるフレデリックにフィリップは気になっていることを訊ねた。


「所で、貴方の様な戦場の騎士がどうしてこんな所にいるので?」


フィリップがこう聞くと、フレデリックは小さくうなってあまり話したくなさそうに口元を微かに歪めていたが、しばらく経って苦々しそうに事の顛末てんまつを語り始めた。


「何、戦に負けて逃れて来た。色々あってレンの大河の川上における川の諸侯の反乱の鎮圧軍側に参加していてな。鎮圧したは良いものの、まだ籠城を続ける者もいる状況、私の部隊を率いる貴族が砦を落とそうと先走ったのだ。上に掛け合って見捨てようかとも思ったが、成功した時の報奨を思って目が眩んでしまった。そして増援にしてやられたのよ。仲間は散り散り、私の方は路銀を巻き上げられていたものだから、近くのポヴァリーに身を置いていたのだ」


 フィリップはこの言葉に吟遊詩人ぎんゆうしじんは意外と話をそのまま伝えているのだなと思った。フィリップの知るフレデリックの歌は幾つかあるが、その何れにも共通しているのが、騎士道物語からかけ離れた金で動き、主君を直ぐ変える傭兵の如き騎士だという点であった。更に決闘裁判にもよく参加しているといい、殺した騎士は数知れず、付いた呼び名は騎士殺し。華々しい騎士の歌からかけ離れた血と金に塗れた騎士であり、多くの人に嫌われ、フィリップもまた好感の持てぬその一人であった。しかし、その噂を凌ぐ程、その剣技の強さを歌われているのであった。王国最高の騎士、黄昏たそがれの騎士サー・ローランド・ドレイスに匹敵するとまで言われ、事実、戦場から伝わって来る戦果は素晴らしいものばかりであった。


「すると、サー・アランは貴方を相当信頼して送った様だ。しかし、何故私たちがポヴァリーを訪れた時に出て来なかったので?」フィリップの言葉にフレデリックは鼻を鳴らして答えた。


「休んでいたのもあるが、何よりかくまってもらっていたのだよ。まあ、金に釣られてこうして出て来た訳だがね」


 この言葉の後、フィリップは伯父のアランのことを心配性だなあと思ったが、ふと会話を切り上げ黙って考え込んでしまった。フィリップには、フレデリックの話が何処か言い訳染みて聞こえたのだった。それからというもの、フィリップは不思議に思うことが一つ一つ増えていった。その中でも一番不思議に思ったのは、これから共に戦おうというのにも関わらず、兵士らと言葉の一つも交わさない物静かさだった。兵士を率いたことのある人物が、兵士に声を掛けないなどということがあるのだろうかと。フィリップには、フレデリックが自分達と一定の距離を置いてあまり関わり合いたくない様な、そんな印象を受けた。実に不思議な印象だが、フレデリックの主君を直ぐ変える性格を考えると納得出来る部分もあった。


こうしたことを考えている内にフィリップはフレデリックにつられて猟犬を追い越し、一行から離れて行った。そして小山を下り、岩だらけの渓谷に出、浅い渓流に沿って南下している時だった。


「馬の足音が聞こえる!」


 グランの言葉に一行は立ち止まって再び耳をませた。十に近い数の馬がフィリップら一行に向かって山を駆け降りて来るのが聞き取れた。徒歩の山賊はもっといることだろう。兵士は一斉に槍を肩から降ろして両手で握り、騎士は乗用馬から軍馬に乗り換える中、フィリップは嫌な予感と考えが頭に思い浮かんでフレデリックに向かって言葉を零した。


「あんたじゃないか?」


 フレデリックは無言で馬の背の荷物から頭頂の尖がったつばのある冑を被ると面頬を閉め、肩から槍を離して外套を後ろに跳ね除け全身を出すと軍馬に乗り換えた。フィリップはかまわず言葉を続けた。


「山賊の頭目はあんたじゃないか?領主に頼まれたなど嘘っぱちで、昨日俺たちが見ているのに気が付いて追って来るのを待ち構えていた。——そうじゃないのか?」冑の奥からは静寂しか返って来なかったが、しばらくして聞きたくもない答えが返ってきた。


「ご名答。だが、フィリップ・リオダン、お前の命を取るつもりはない。だから、引っ込んでいろ」そう言ってフレデリックは馬を引き返させると槍をくるりと反転させ、投げた。槍は凄まじい勢いでフィリップの肩の上を飛び越え、鎖帷子を手に馬で二人に走り寄って来ていた騎士グランの咄嗟とっさに手で防ごうとした喉を貫いた。グランは呻き声さえ上げずに馬から転げ落ち、己の血の中に沈んだ。そしてフレデリックはフィリップの鎧下衣の襟首えりくびを片手で掴んで馬からり下ろすと岩陰に放り投げた。信じられない程の力であり、フィリップの抵抗は何の意味も成さなかった。


 皆一瞬何が起こったのか分からなかったが、騎士トーレンは直ぐに状況を把握すると兵士達に「密集陣形で槍を構えろ。お前達は山賊に集中するんだ」と言って騎士トマスを連れて馬を走らせ、フレデリックに斬り掛かろうとした。しかし、それより早くフレデリックは一振りの長剣を引き抜きながら馬を走らせ、二人に挟まれない様にトマスの側面に張り付いた。そして、彼の振るう剣を打ち払い、ちがい様に雷光のごとき素早さで革鎧ごと二の腕を切り裂いた。トマスの口から苦悶くもんの声が上がり、右腕がだらりと垂れ下がった。まともに戦えなくなったのは明らかであった。


 トーレンは冷や汗を流しながら立ち止まったトマスを置いてフレデリックの後を追ったが、フレデリックが馬を直ぐに引き返させた為に急に立ち止まることになった。二人はしばらく小さな円を描く様に馬を歩かせながらにらみ合っていたが、唐突に剣を打ち合い始めた。辺りに焦げ付いた臭いが漂い、二人が剣を交える度に青い火花が散った。一瞬早いのはフレデリックであるらしく、五撃六撃と行かぬ内にトーレンは焦って剣を突き出した。突き出された剣は喉元に届くことなく火花を散らして受け止められ、一瞬後に弾かれた。フレデリックは待っていたとばかりに瞬く間にトーレンの手首を斬り落とし悲鳴が上がるより早く胸を突いて殺した。


 他にフレデリックに手を出す者はいなかった。犬でさえフレデリックにはうなるだけで怖がって近寄らなかった。まず、彼は兵士の誰の目にも映っていなかった。というのも、トーレンが殺される直前に山賊が雪崩込んで来たからである。兵士らは力の限り戦っていたが、ほどなくして山賊に飲み込まれ、乱戦となっていた。


「どうして貴方の様な人が山賊なんかに身を落としているんだ」


 近づいて来るフレデリックにフィリップは怒りが込み上げて思わず訊ねていた。フレデリックの表情はまるでうかがえなかったが、返って来る言葉は酷く冷たかった。


「金がないと言っただろう。雨風はしのげず、食事にすらありつけん様だったのだ。だから、たまたま見かけた山賊の頭目を殺して成り代わったのよ」


 フィリップはその蛮族染みた答えに面食らい、フレデリックに対する怒りも吹き飛んで何も言えなかった。やがてその心は親しい騎士と兵を無くした悲しみで一杯となり、何故己も共に戦わなかったのだろうと後悔した。だが、フィリップはその答えが自ずと分かっていた。あまりの出来事に呆気に取られて何も出来なかったのだ。そして、思わず心から漏れ出る言葉もあった。


「私は人質か」


 フレデリックは静かに答えた。


「そうだ。だが、ただ大人しく人質になるだけでは不満だろう。来い、戦ってやる」


 フレデリックはそう言って馬から下りてフィリップに剣を向けた。後悔にさいなまれていたフィリップにはこの言葉がありがたかった。騎士達と共に戦わなかった後悔は、今や身を焼き焦がさんばかりであった。


 フィリップは剣を抜くと心のままにおどり掛かった。初めての闘いであるが、不思議と恐怖心は込み上げず、幼少期から剣術を叩き込まれた手は寸分違わずフレデリックの革に覆われた脇腹を綺麗に斬り裂こうと剣を走らせた。だが、フレデリックはそれよりも早く片足を前に踏み出し剣を振るった。一撃一撃が死の暴風であり、その剛腕で振るわれる剣はまともに受けることの出来ぬ必殺の剣であった。フィリップも過去の騎士達の剣術指南で多少は剣に自信を付けていたが、この男の前ではまるで意味を成さなかった。三撃四撃と続かぬ内に腕は痺れ、剣は震え、三撃目において剣は叩き斬られ、折れた剣をフレデリックの喉に突き立てようとした所を柄で叩き落された。そして、続けて顔に叩き込まれた拳の一撃で気を失った。


 フレデリックはフィリップが気絶したのを確認すると、しばらく辺りを見回し、騎士トマスも猟犬も含めて一行が一人残らず殺されたことを確かめた。そして剣を納めると、フィリップを腹這いにして乗用馬の荷から取り出した縄で軍馬の背に括り付け、乗用馬に乗り直すと軍馬を連れて山の中に入って行った。死体を漁り終わった山賊もまた早い者勝ちで生き残った馬に跨ると彼の後を追って山の中へ入って行き、やがて辺りは静まり返った。後に残ったのは、物言わぬ死体の山とおびただしい血の跡ばかりであった。




 エピローグ


「で、この貴族を連れて帰って来たと?」川の諸侯との戦からフレデリックと共に逃れて来た元隊長サー・グレゴリー・ソーンは今まさに焚火で串焼きにされている牛肉の滴り落ちる脂を見ながら、言葉をこぼした。フレデリックは彼を無視して牛肉の串を地面から抜くとフィリップに持ち手の方を突き出した。そして、もう一方の手で革水筒から水割りの葡萄酒を飲んでこう言った。


「いい加減に食え。何も食わんのは体に悪い。それに、もう無くなるぞ」


 フィリップは突き出された牛肉の串を縄で縛られた手でうやうやしく受け取ると牛肉にかじり付いた。そして、周りに目をやった。辺りはすっかり夜の様相を呈し、幾つかの焚火と月が周りを照らしていた。


 山賊達は実に二十人近くおり、焚火を囲んでてんやわんやの大騒ぎをしていた。そして、その内の騎士だと思われる鎧下衣を着た数人が芝草の上で寝転がって暇を潰していた。後の数十人は殺し合いをする仲間を応援するのに熱中してフィリップらには目も向けていなかった。フィリップの周りには、髭もじゃの騎士サー・グレゴリーとフレデリックとその後ろで寝息を立てる口と手と足を縄で縛られたポヴァリーの貴族らしき人質三人衆しかいなかった。


 サー・グレゴリーは食べ終わった串をフレデリックに向けながら言った。


「話を最初に戻すが、人質交渉を二度もするのはやはり愚かとしか言い様がないな。まずエルランとポヴァリーは二日で着く距離と聞く。私が思うに、ポヴァリーで離した方が身の為だ。さもなくばポヴァリーの騎士が追撃してくるだろう」この言葉にフレデリックはムッとして答えた。


「いや、今ポヴァリーの兵は少ない筈だ。なんせこいつらがついこの間蹴散らしたらしいからな。兵は十人も残っていないだろう。だから、追撃なんぞ出来んさ。或いは今ならポヴァリーを落とせるかもしれんな」


 この言葉の後、フィリップは連れて来られて初めて言葉を発し、ずっと疑問に思っていることを口にした。


「何故ポヴァリーの領主の名を知っていたので?」


フレデリックはふむと言葉を漏らすと、静かに答えた。


「簡単な話だ。戦の時はその周辺貴族の名と場所を頭に叩き込んでいる。まあ、元より貴族の名は全て頭に入れているつもりだがね」


フィリップは続けて幾つかの疑問を一つ一つ訊ねたが、その何れにもフレデリックは屈託なく答えた。だが、次のことを聞くとフレデリックは一瞬固まった。


「身代金を受け取って、その後、一体何をするつもりで?」


 フレデリックはフィリップの方を向いてじっと見つめると、やがて苦笑いして答えた。


「道中戦に負けたと言っただろう。川の諸侯の砦が落とせなかったと。未だにそのことが心から離れなくてな。だから、身代金を受け取った後、南へこいつらを進ませ、その砦に急襲をかけるつもりだ。上手く行くかは分からんが、何、川の諸侯に一泡吹かせたいのよ」


 この話を聞き終わると共にフィリップは何だか体から力が抜けた様に感じて、後ろに寝転がり、心の中の気持ちに整理を付け始めようとした。だが、寝転がった途端、背中の感触に既視感を覚えて上体を起こした。周りにしっかりと目を向ければ、つたの絡まった胸壁に囲まれており、芝草の上に目を向ければ古いオークの切り株が幾つかあり、それに何人かの山賊が腰を掛けているのだった。


「ここは——」フィリップは思わず声に出していた。それにフレデリックは何でもないことの様に答えた。


「昔の、数百年前のアイリア人砦だろうな。所々崩れているが、雨風を凌ぐには丁度良い所だ。まあ、こいつらが言うには何年も前に見つけたのを住みやすい様に整えたとのことだ」


 フィリップは何とも言えない気持ちになった。それは、恋焦がれて止まなかった砦に再び足を踏み入れたことに対する歓喜と、親しい騎士や兵を己のせいで失ったことに対する後ろめたさ、そして山賊が踏み荒らしたが為にかつての神秘を失ってしまった砦に対する悲しみの混じり合った、何とも名状し難い気持ちであった。その気持ちを前にして、フィリップはただ茫然ぼうぜんと縛られた手元を眺めるだけだったが、しばらくして芝草の上に横たわった。そして目元を手で抑えて、誰にも気づかれない様に静かに涙を零すのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アイリア人の砦 R.J.マニング @001-003567

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ