第31話 シモン卿

「では、ジャン。さっそくだけど、リカをお祖父様に会わせたい。ついてきくれますか」

「かしこまりました……アルベール様? お孫様?」

「普通にアルベールでお願いします」

 アルベールはなぜか敬語だ。

「すみません。いわゆるがついたことがなくて、どうしたら良いか……」

 へえ、とリカは驚いてしまった。公爵家の者であるアルベールが従者をつけたことがないとは、意外だった。そういえば、リカの家を訪ねてきたときも、ひとりだった。

「慣れて下さい、としか言いようがありませんが……慣れて下さい」

「頑張ります」

 頑張る方向性が違う気がするが、アルベールは頑張ることにした。

 アルベールの祖父、シモン卿は、体調がすぐれないということで、女王陛下との昼食をとりやめた。今は執務室を兼ねた自室にいるということで訪ねたのだが。

「あ、お……じじい……っ、様!?」

 アルベールが、「じじい」と言いそうになって取り繕った。

「ミシェル!?」

「あ、姉貴。まだその格好してんのか」

 リカの弟、ミシェルと高貴な老人が、テーブルに向かい合ってチェスをしていた。口うるさい女王陛下の侍女に見つかったら烈火のごとく怒られそうな様だ。ミシェルは女王陛下の弟とはいえ、爵位ある貴族ではない。公爵家の者と気兼ねなくチェス盤を囲める身分ではないのだ。

 それに加え、ミシェル謹製の果実酒とグラスがテーブルに置かれ、ふたりは酒を酌み交わしながら対局しているのだ。

「リカ、すまない。うちの祖父が」

「アル、ごめんなさい。うちの愚弟が」

「え、何? なんかやばいの?」

 ミシェルが、きゅるんと無垢な目で姉と義兄を見上げる。その隙に、ミシェルはチェックメイトされた。

「負けた! じいさん、強いな」

「じいさん、じゃないでしょう。この御方は、シモン卿。公爵だった人で、大臣も務めた人だよ……ね?」

 リカは不安になってアルベールに確認すると、アルベールは首肯した。

「いかにも、その祖父です。お祖父様、こちらの女性は、アンジェリカ。女王陛下の妹君で、僕の婚約者です」

 シモン卿は、チェス盤を見つめ、孫の顔を見ない。

 リカはなるべく体を屈め、アルベールとジャンに支えられながらシモン卿になるべく目線を合わせる。

「初めまして、シモン卿。アンジェリカです。お孫様と婚約させて頂きました。このたびは、素敵なご縁を頂き、感謝申し上げます」

 シモン卿の目線が、わずかに動いた。孫と似たアーモンド型の双眸は、若い頃は美青年だったのではないかと思わせられ、今も「イケオジ」ならぬ「イケジイ」だった。ほぼ真っ白な白髪だが、わずかに見える黒髪から、もともとは黒髪だったと思われる。ひげは剃っているが、もともと薄そうだ。

「今後はこちらに出入りすることが多くなりますが、ご容赦お願いします。体調はいかがですか? お暮らしにご不便がありましたら、何なりとお申しつけ下さい」

 リカは頑張って丁寧な言葉遣いをしてみた。相手は貴族だ。認知症状があるとアルベールから聞いているが、認知症状がある人も案外こういうことは理解していることがかなり多い。認知症状があるからといっても、人は人だ。接するに当たり、最低限の礼儀は必要になる。

 リカは、失礼します、と断ってから、シモン卿の手を取った。シモン卿は顔を上げ、アーモンド型の目を見開いた。

 リカが前世で介護従事者だったとき、認知症の進行が激しかった人が我に返ったような目をすることがあった。シモン卿も今この瞬間、本来の自分自身を取り戻しているのだろうか。

「弟が大変失礼を致しました。お酒を飲まれたようですが、大丈夫ですか?」

 シモン卿は答えず、俯いて目を伏せてしまった。酔った様子は、ない。

「無理をせず、休んで下さい。じゃあ、あたしは失礼します」

 リカはよたよたと立ち上がり、ふらふらときびすを返す。

「もう良いの?」

 アルベールに訊かれ、良いの、とリカは返す。

「今日は挨拶だけのつもりだから。それに……豪華な衣装、疲れた。貴族の女性達は、普段からこんなに苦労してるの?」

「さあね。そうなんじゃないかな」

「差し出がましいのは承知していますが……」

 ジャンが口を挟んだ。

「昼間の衣装としては、かなり良いものでございます。人前に出るにはこれくらいのものでないと、品位を欠いてしまうかと。普段のお召し物はもう少し軽いかもしれませんが」

「人前に出るには、ね」

 リカは、そこだけ繰り返してしまった。あんなに口うるさかった女王陛下の侍女達でも、ドレスの質に関しては何も言わなかった。

 ミシェルが家から持ってきてくれていた普段着に着替えたリカは、体がかなり軽くなった心地になった。

「うちで泊まっていけば良いのに、と言いたいところだけど、ゆっくりできないよね。ご自宅でゆっくり休めると良いね」

「アル、気遣いありがとう。アルも、足を治してね。準備ができたら、近いうちにまた来るから。それと、アルとミシェルに言っておきたいことが……」

 アルベールとミシェルを呼んでおきながら、ジャンにも情報共有しておく。

「……騙すことになるとは、わかってる。でも、このままでは良くない」

「身内としても、致し方ないと思う。協力する」

「俺は姉貴の味方だ。できることなら、何でもやる」

「俺にも、何なりとお申しつけ下さい」

「皆、ありがとう」

 自分はつくづく優しくないな。リカは反省してもし切れない。

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