第29話 マドロンの叔母
「女王様が……? あたしなんかに……?」
マドロンは、がちがちに緊張している。女王陛下を叱責していた使用人が広間に戻ってきて、マドロンを急かすように腕を引っ張った。マドロンが転びそうになると、アルベールがすばやく動いた。
「焦らせて、申し訳ない。女王陛下の近くに行って差し上げて」
使用人の行動を、アルベールが謝る。
「は……はいっ!」
マドロンが萎縮して言動がままならない状態を、リカは初めて見た。跳ねっ返りに見えて色々なことを抱えてきたマドロンは、自分が強く出ることで己を守ろうとする傾向があるように見えたからだ。
「何なの、あの女。礼儀も何もなってない上に、シモン公爵家の御方に迷惑をかけるなんて」
使用人が、独り言にしては大きく、他人が口を挟むには小さい、微妙な声量で言った。
「大事な話をします。そなた達は下がりなさい」
「陛下とシモン卿のお孫殿を、粗末な村人共と一緒に居させるなんて、できません。我々は他言しないので、ここにおります」
使用人は食い下がるが、他の従者は一礼して広間から出てゆく。
「ジャンは残って下さいな。それで良いでしょう」
「良くなんか……!」
元気な使用人は、他の人に両脇を抱えられて退出した。
「俺なんかが聞いていても、平気なのでしょうか」
「わたくしは、そなたを信用しています。あの出来事からあの者を守り続けてくれたのです。感謝しかありません」
「感謝どころか、俺は……」
「そなた、マドロンといいましたね」
イレーヌはジャンの言葉を打ち切り、近くに来てもらったマドロンに話しかける。
「はっ……! はい! すみません、ごめんなさい……!」
マドロンは声を裏返して謝り、ひれ伏そうとする。アルベールが強い力で止めているからひれ伏せないが、アルベールもちょっと無理しているように見えた。リカも座り込んでいないで手伝わなくてはならないと思うが、いかんせん、量の多いドレスの裾と慣れないヒールのせいで立ち上がることができない。
活きの良い魚のようにアルベールに抗うマドロンに、イレーヌは席を立って歩み寄る。すると、静かにマドロンを抱きしめた。
「謝るのは、わたくしの方です。つらい思いをさせてしまって、ごめんなさい。そなたも、そなたの叔母上も、そなたの家族も」
マドロンの動きが止まった。アルベールは静かにマドロンを離した。
「
「……女王様! 離して下さい! あたし、触ったんです! 叔母の手を握ったんです! 女王様に
マドロンは再び、水揚げされたばかりの魚のように暴れ始める。驚いて離したイレーヌに代わり、アルベールがマドロンを羽交い締めのようにして止める。
「僕からちゃんと話します。リカにも、まだ報告していませんから」
外野になっていたリカに、ようやく話しが振られた。
マドロンはジャンに任せ、アルベールは席に戻る。紅茶を一口含み、深く溜息をついた。
「僕は、リカに祖父の面倒を見ることをお願いしたときに、もうひとつ頼み事をしました。マドロンをひとりでこの屋敷に連れてくることです」
アルベールがリカの家に来たときに聞いた話だ。リカにとっては同じ話をまた聞くことになる。
「投石被害に遭っていたあの病の者を、僕はこの屋敷に連れてきて面倒を見ていました。その人はどうやら、マドロンの叔母上のようでした。一度マドロンに会わせようと、僕はお節介を焼くことにしました。死んでからでは遅いですから。女王陛下の御一行がこの屋敷に滞在することになったのは予想外でしたが、この機会を利用させて頂きました。人手が必要だから、働きに来てほしい、とマドロンに声をかけたのです。目眩ましのために、他の者も呼ばせてもらいました」
「それで、ミュゼットも?」
ミュゼットは、日雇い労働だとリカに言っていた。おそらく、マドロンの事情は知らない。
「それも、ある。だけど、ミュゼットは純粋にパンの担当をしてほしかった。女王陛下に召し上がって頂ける質のパンをつくれると思ったから。僕も町で、ミュゼットの父親の店で買い食いしたことがあるんだ。あ、道化師の格好でなくて、ぼさっとした格好で。リカがいない日だったな。ジョフロワとかいう者はいたけど。ひとりでよく喋っていらしたよ」
「うざいね」
「本当に、うざかった」
話が逸れた。
「女王陛下のお付きのかたに、マドロンの叔母のことを知られてしまったのは、失敗だと思った。女王陛下のご慈悲がなければ、シモン公爵家自体が処罰されかねない状況だった……陛下、見過ごして下さり、本当に感謝申し上げます」
「とんでもないことでございます。わたくしは常々、あの病のせいで白い目で見られる者達が不憫でならないと思っておりました。他にも流行り病はありますが、あの病に深く根付いた偏見は、他の病とは比べ物になりません。どうにかしたくて、シモン卿をはじめとした大臣達と話し合いをしたり、王都を出て様々な土地を訪問して現状を見るようにしているのですが、なかなか……」
「その節は、祖父が大変お世話になりました。それで、マドロンの叔母上が……その」
アルベールが口を濁した。水を打ったように静まり返る。口を開いたのは、マドロンだった。
「あたしで良ければ、話します。叔母は、亡くなりました。アルベール様が色々面倒を見てくれたから、あたしは間に合いました。叔母とも少し話ができて、叔母は泣きながら笑っていたように見えました。叔母に会えて良かったです。後悔はありません」
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