第27話 女王陛下の妹

「女王陛下の御前で無礼な振る舞いを……! 恥を知りなさい!」

 侍女がリカを睨みつけ、鋭く言い放つ。頭を下げずにまじまじと見つめてしまったことが、侍女の方が気に入らなかったようだ。

「わたくしは、構いません。いつまでも喪に服した自分の方が珍しいと、自覚しておるので」

 気品のある口調に年相応の可愛らしい声が、侍女をなだめようとする。

「しかし、陛下」

「構いません、と言ったはずです」

「……っ!」

 侍女が、悔しそうに眉を歪めた。

「ごきげんよう、『看病の魔女』アンジェリカ。わたくしは、イレーヌ。本日は、急に昼食の席を用意して頂き、誠に感謝致します。病み上がりなのに、ごめんなさいね」

 喪の女王、イレーヌの口元が、わずかに綻んだ。顔のほとんどがヴェールに隠れて表情が見えない。愛想笑いなのか、嘲笑なのか、不意にこぼれた笑みなのか、判断が難しい。昔はこんな子だったっけ。リカは記憶を手繰り寄せるが、7歳までの記憶がこんなにも曖昧であるという事実に打ちのめされた。

「この屋敷の方々にも、大変感謝しております。突然訪ねたにも拘らず、滞在を許可して頂けて、有り難いことでございます」

 滞在、するのか。女王陛下が。リカは何かちょっと複雑な気持ちになった。アルベールの反応を伺うと、彼は一瞬だけリカを見て、感情の読めない真表情になった。

「さて、食事にしましょう。『看病の魔女』、どうか無理はなさらないで」

 リカが返事をする前に、女王陛下の言葉で使用人達が動き始める。

 リカに前菜を運んできたのは、マドロンだった。何か言いたそうな表情だが、女王陛下の前では勝手に口を開くことができず、用が済むと下がってしまう。

 リカはここ数日、まともな食事を摂っていなかった。急に食べて胃がおかしくならないか不安はあったが、普段食べている野菜が平皿にお洒落におかしこまりしており、これなら食べられそうな気がした。ほとんどが蒸し野菜だ。馬鈴薯だけ、包丁で切った断面に焼目がついている。味付けは、塩と胡椒、ローズマリーだ。

「……美味しい」

 食べ慣れた野菜が、胃の腑に優しく落ちる。リカは思わず言葉をこぼしていた。

「無礼者! 女王陛下の御前で勝手に喋るのではありません!」

「何も無礼ではありません。よほど美味しかったのでしょう」

「だからといって、場をわきまえずに……!」

「正式な会食ではありません。彼女をいたわりなさい」

「あの者が陛下をいたわるのが道理なのに……!」

 侍女は、リカを睨みつける。

「こんなのが、女王陛下の妹だなんて!」

 言われてしまった。

 リカは、母が亡くなる前に言ったことを思い出した。

 ――唯一の心残りは、3人の子どもの成長が見届けられなかったこと。

 リカと、ミシェルと、10歳で王都に連れて行かれた姉、イレーヌ。幼かったミシェルは、姉が乗せられた馬車を先回りして止めようとして、轢かれて大怪我をした。

 廃嫡された王太子の代わりに王位継承者になったイレーヌは、この10年、一度も実家に帰ってきたことがなかった。それを許される立場にいなかった。女王陛下に関する新聞記事を読むことがリカにとって唯一の、イレーヌの近況を知る手段だった。

 まさか、こんな形で再会するなんて。

「……すみません。ごめんなさい。あたしのせいです」

「そうですよ! もう二度と、このような礼を欠く行為は」

「礼を欠いているのは、あなたの方です」

 同席していたアルベールが口を開き、女王陛下の侍女を非難した。

「こんなこと、僕が言える立場ではありませんが、あなたの発言は見苦しいです。アンジェリカと女王陛下を責めるような発言をなさるのなら、他の人に代わってもらいたいです。もしも祖父も同席していたのなら、祖父も同じことを言うでしょう。短い時間ではあったけど、一緒に仕事をしたことがある女王陛下が頭ごなしに否定されている様子を、祖父は黙って見ていられないはずです」

 侍女をイレーヌが非難すれば、女王陛下が人前で人を叱責したと評判を落としかねない。リカが謝っても謝らなくても、火に油を注ぐだけ。アルベールが指摘することが、この場を無難に収まる唯一の方法だ。

 侍女は、あごを歪めて歯を食いしばり、他の者に代わります、と言って広間を出ていった。

 代わりの者が、スープを運んでくる。澄んだコンソメスープだ。

「わたくしの監督不行き届きです。おふたりには、不快な思いをさせてしまったでしょう。ごめんなさい」

「あたしは平気です。それより、アルが」

「言いたかったから、言ったんです。僕はすっきりしました。リカにはもう、傷ついてほしくありません」

「リカ。アル」

 ふたりの略称を復唱し、イレーヌは、ふっと笑うような溜息をこぼした。

「やはり、そなた達はお似合いです。婚約を提案して、正解でした」

「……なー、にー!?」

 リカは、一度手にした銀の匙を床に落としてしまった。やっちまったな。

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