第26話 賓客

「リカ、目が覚めたの?」

「リカ、お姫様みたい!」

 マドロンとミュゼットも、ひょこっひょこっと現れる。ふたりはいつもの格好だ。ミュゼットは足元が靴ではなくサンダルに戻っている。

「ふたりとも、なぜここに」

 ここがどこの屋敷なのか、リカ自身も知らない。ふと予想したのは、アルベールが祖父の面倒を見ているという、村の近くの屋敷だ。

「へへ。日雇い労働だよ。あたし、パン係」

「あたしは、ちょっと色々あって」

 けろっと答えたミュゼットに対し、マドロンは答えを濁す。アルベールが目を伏せた。

「話したいことがあります。人払いできますか?」

 アルベールが、侍女達にお願いするが、彼女達は、致しかねます、と首を横に振った。

「アンジェリカ嬢から目を離さないよう申しけられておりますので」

「では」

「では、じゃねえよ格好つけやがって。何度言ったらわかるんだよ。あんたの脚はまだ治りきってないんだ。そんな状態で姉貴を担いだら、また傷が開いて熱がぶり返すだろうが」

 なんか行動しようとしたアルベールを、ミシェルが口汚く注意する。その口の悪さが、リカには懐かしかった。リカが留置場ムショ暮らしをしている間にミシェルとアルベールが仲良くなり、アルベールの思考はミシェルに読まれている。

「また後で話すわ」

 マドロンは一瞬だけリカに近づいて耳打ちし、侍女に引き剥がされるように部屋から退出させられた。何もしていないミュゼットも退出させられた。入れ違いにやってきたのは、ジャンだ。

「お待たせ致しました。ご移動をお願いします」

 リカは椅子から立ち上がり、慣れないヒールに平衡感覚が掴めない。左右からアルベールとジャンに手を引かれ、ゆっくり一歩踏み出した。

「俺、必要ないじゃん」

 手も足も出なかったミシェルの呟きに、リカは良心が痛む気がした。もしもミシェルの脚が普通に動くことができたら、とっさに動くこともできたかもしれないのに。幼少期にもっとリハビリさせれば良かった、とリカは何度目かわからない後悔をした。

「きみは必要だ。僕が無茶をしようとしたら、また止めてくれ」

「自分で止めろよ」

 アルベールに軽口を叩き、ミシェルはいつもの調子に戻った。

 数歩歩いたところでジャンは手を離し、先導して廊下を歩く。

「リカにはまだ、言っていなかったね」

 アルベールはリカを見ず、歩調だけ合わせてくれる。

「ここは、祖父の屋敷。祖父は長い間、父に公爵の地位を譲らず、女王陛下の片腕として大臣を務めた。高齢と病を理由に大臣を辞し、父に爵位を譲り、ご自分はここで隠居生活を送られている」

「その話、聞いたことがあるかも」

 そうだ、ジョフロワだ。うざく語ってくれた。



 ――医療や衛生面について、以前だったら、大臣だったシモン公爵家が口うるさく意見していた。だが、そのシモン卿は高齢と病を理由に息子に爵位を譲り、今は別荘で余生を過ごしているそうだ。家督を継いだ息子は、自身と長男の出世にしか興味がなく、権威ある者の言いなりだ。国のやり方に口を出せるのは、王族の血筋の者しかいない。



 これがそのシモン公爵家で、新たに公爵になったのが、アルベールの父親。自身と長男の出世にしか興味がなく、自分の父親の世話は六男のアルベールに押しつけている。

「今日きみを呼んでいるのは、祖父ではない。実は、きみが捕まっていた間に来客があって、しばらく泊まっているんだ。きみに縁がある御方だよ」

 案内されたのは、食事をするような広間だ。広間といっても、昔々何度か訪ねたことのある階級あるお屋敷よりもこぢんまりしていて、長テーブルなんか、想像しているような長さではない。

「ミシェルは入らないの?」

「俺は廊下で待機だって。賓客の方が俺のことをお呼びでないようで。何かあったと思ったら突入するぜ」

「ミシェル、ありがとう」

 慣れないドレスの裾が煩わしいと思いながら椅子に腰かけたとき、アルベールが「坊ちゃん、ちょっとちょっと」と、いかにも「おばちゃん」な中年の女性に呼ばれた。アルベールも「はいはい、どうしました?」と気さくに応える。二三言葉を交わし、おばちゃんの方が「承知しました」と恭しくお辞儀した。リカを見て、あら、と驚いてから、からかうようにアルベールを小突く。

「坊ちゃんも隅に置けないわねー」

「ちょっと、やめて下さいよ。そんなんじゃないですから」

 ふたりのやり取りは、気の許した者同士のそれだった。彼もあんな親しげな態度を取ることがあるのか。おどけた道化師のような所作でもなく、超人的な身体能力でもなく、ごく普通の青年のようなアルベールの一面に、リカはちょっと安心し、それが自分以外の人に向けられることがひとつまみだけ悔しかった。

「祖父も同席する予定だったが、体調が芳しくないようなので、無理強いさせないことにした。リカにも会ってもらいたかったけど」

 今、この屋敷には、アルベールとその祖父サイドの使用人と、賓客側の使用人がいて、賓客側の使用人が主導権を握ってあれこれ準備している。

 部屋の隅にある美術品のような時計は、そろそろ13時を示そうとしている。リカの家には時計がなく、鐘の音を頼りに生活していたので、すぐに時刻を確認できる便利さを痛感した。時計があれば、生活リズムを把握して健康状態を見直したり改善につなげることができるのに。

「陛下がお見えになります。昼食をご一緒されることになりますが、粗相そそうのないようにお願いしますね」

 賓客側の侍女に釘を差され、空いていた席にアルベールが着いた。リカの正面になるのは、おそらく、陛下と呼ばれる賓客だ。

 時計の針が13時ちょうどを示すと、オルゴールの洗練された音色が控えめに広間に響く。

 従者を伴ってやってきた人を見て、リカは言葉にできない感慨深さが胸に込み上げてくるのを覚えた。

 堂々とした佇まいなのに華奢で、フリルの少ない黒いドレスも相まって、一層体が薄く見える。胸部は多分人並みだが、腰の細さが際立ってしまう。黒いヴェールで顔を隠しても、20歳前後の年齢だとわかる。

 この人は、こんな大人に成長したのだ。

 喪の女王、イレーヌ。

 一国を統べる若き王が、ここにいる。

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