第21話 アルベール
妻の回復に感動して寝込んだマソンと、元気になったマソンの妻の相手をして、リカは家に戻った。
マソンの家で昼食をすすめられ、ミュゼットが今朝焼いたばかりのパンを持たせてくれようとしたが、町で言われたことを気にして断った。差し入れを頂くことを、せびる、と言われると、何も言い訳できない自分がいた。
ミシェルは家にいなかった。薬を届けに行ったか、飲み友達のところにいるか、どちらにせよリカが干渉することではない。酒瓶を持って飲み友達のところに行くのは、男でしか話せない話題があるからだ。可愛いミシェルだって、大人の男になろうとしている。それを邪魔立てするつもりは、ない。ただ、酒の飲み過ぎに気をつけてほしいだけだ。
この1週間で、我が家に鉢植えが増えた。いつの間にか家の前にカミツレの鉢が置かれていたのだ。気になって水車小屋に行ってみると、もぬけの殻だった。あれから、カミツレの香りを纏う男性とジャンを見ていない。
リカが独りで昼食を摂っていると、来客があった。窓から外を見ていたのに、戸を叩かれるまで気づかなかった。
「失礼。『看病の魔女』殿ですか?」
リカと同年代の、小柄な青年だった。白い肌にアーモンド型の黒い瞳の人形のように美しい。木漏れ日を受けた緑の黒髪を首の後ろでひとつに束ね、庶民のリカから見ても上質な衣服を着ていることは明らかだった。ただし、足元には雑草がひっついている。黒く磨かれた靴は泥で白くなっていた。
「お初にお目にかかります。シモン公爵家の六男、アルベールと申します。本日は、『看病の魔女』殿に折り入ってお願いに参りました」
公爵家の六男、アルベールと名乗る青年は、芝居がかったように頭を下げ、はっとしてから貴族のように胸に手を当てて礼をした。
「そんな風にかしこまらないで下さい。あたし、そんなに偉くないです」
リカを「看病の魔女」だと知って訪ねてきたのだから、リカの素性は知っているようだ。見方によっては、リカは公爵家よりも立場が上だと思われてもおかしくないが、リカは村外れの森に住む「魔女」の孫だ。階級なんか持ち合わせていない。
「何もおもてなしできないけど、入って下さい。お話くらい聞きますよ」
「では、お邪魔致します」
アルベールは無駄のない身のこなしで家に入ってきた。
リカはミシェル調合のハーブティーを淹れ、焼き菓子を出した。
「お口に合うかはわかりませんが」
「そんな風にかしこまらないで下さい。僕はそんなに偉くないです」
アルベールは、先程のリカの言葉をそっくりそのまま返した。公爵家の子なのに偉くないとは一見皮肉に感じられたが、彼が従者を連れている様子は、ない。
「すみません、あなたの分しか用意しなくて」
「僕ひとりなので、大丈夫です。むしろ、お願いに上がった立場なのに、もてなしてもらって良いのか……」
公爵家の子なのに、腰が低い。このままだとアルベールは自己否定感に潰されかねないので、リカから話を促す。
「あの、お願いというのは」
「すみません。ふたつあります。ひとつは、誰にも見つからずにマドロンという女性を連れてきてほしい」
それを聞いたリカは、反射的に眉をひそめてしまった。ぱっと思い出したのは、マドロンがリカに打ち明けてくれた過去だ。叔母が
「そうですね。身構えますよね」
アルベールは、ジャケットの内側からあるものを取り出して自分の顔に当てた。
「あのときの……!」
リカは一瞬で理解した。アルベールが自分の顔に当てたのは、道化師の黒い仮面だ。投石からリカの注意を逸らしてくれた、あの道化師の仮面である。フルートで「青い山脈」を奏でていた。
「なんで、公爵家の人が、道化師の格好をしてたの!?」
「まあ、色々あったもので……隙を見て、あなたが守ろうとしていた女性を保護して屋敷に連れて行きました。その人はもう、自力で動くのは難しいほど弱っていて、今もうちで寝ています。その人は、昔一緒に暮らしていた姪を探しているのだそうです。姪の名は、マドロン。今は村にいて、20歳になるとか」
アルベールはジャケットの内側に仮面をしまい、ハーブティーに口をつけようとしたが、やめた。
「申し訳ありません。そのマドロンを探そうと屋敷から村に向かう途中で、たまたま聞いてしまいました。マドロンがあなたに打ち明けた、昔の話を。そして、逃げてしまいました。あのときあなたが追いかけていたのは、僕です。本当に申し訳ない」
それを聞いてリカは、頭の中を整理する。
リカが町でかばったと言われていたのは、病で苦しむマドロンの叔母で、その叔母を連れて帰ったのが、道化師の格好をしていたアルベール。叔母の事情を聞いたアルベールは、マドロンを探そうとして偶然マドロンの話を聞いてしまった。聞き耳を立てていたら気づかれてしまい、その場を離れた。
「そもそも、あんな森の中にうっかりいます?」
「あの森は、祖父の屋敷から村やキャトルブールの町に行く近道なんだ。踏み固められた道を選んで通っていたら、遠回りになってしまう。僕ひとりなら、あの森の中を通ってゆける」
「いや、結構深い森よ」
「あなたも通っていたのに」
「あたしは地元住民だから」
「今日もあの道で来たけど」
「そもそも道じゃないっす」
真面目な話から漫才のような掛け合いに逸れてしまい、アルベールが咳払いをした。
「そういうわけだから、誰にも見つからずにマドロンを叔母上に会わせたい。叔母上は、マドロンに無理強いするつもりはないそうだが、本心では一目会いたいそうだ。亡くなってから悔やんでも、遅いのだから」
「叔母さんという人は、そんなにお悪いの……?」
アルベールが、黙って頷いた。
「1週間近く村で見ていたが、マドロンの周りは常に人がいるから、僕が連れ出すのは難しい。だから、事情を知るあなたに協力してほしい」
「わかった。やってみます」
「ありがとう。恩に着ます。それと、もうひとつ。祖父の介護を手伝ってほしい」
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