第20話 変な奴がうろうしている

 綿花の苗木は、日に日に背丈を伸ばす。それに対して、リカの生活は遅々として進まない。

 街に行かず、村外れの森の家に籠もること1週間。重い腰を上げて、町に出た。リカを知っている者は、リカを一瞥してわざと避けるように道をすれ違う。何も変わらないのは、街角に居座る小太りの中年ミシェル氏だ。

 パン屋に行って、ミュゼットの父と話をしようとしたが、一方的に怒鳴られて追い返されてしまった。

 給金をせびりに来たのか。もう支払う分なんかないのに。

 お前のせいで店の評判が地に落ちた。

 お前があの病であることを隠していたせいだ。

 お前のせいでミュゼットまで頭がおかしくなって出ていった。

 ミュゼットが家を出ていったのはお前のせいだ。

 お前はもう生きるな。

 遠回しに解雇を告げられ、新聞をまとめて投げつけられ、話し合いすらさせてもらえなかった。

「店の評判は落ちてなんかいないのに。親父さんはやり過ぎだが、『魔女』の孫も浅はかだな。自分の言ってることやってることがどんな風に他人を悪く変えちまうのか、考えもしないんだろうな」

「村の年寄りの世話を焼いているんだろう。本人は善行をしているつもりかもしれないが、見返りをせびっていることになってると気づいてないのか」

「いっそのこと、使用人になった方がいさぎよいんじゃねえか」

「だな。中途半端に他人の暮らしに首を突っ込むより、だ」

「そもそも、パン屋で働いていたのも、売れ残りをもらうためだな」

 村ではすっかり、リカの噂は聞かなくなった。それどころか、頑張りな、と発破をかけられるくらいだ。だが、町ではそうもゆかなかった。

「今日はあの道化師は出てこないな」

「いてもいなくても、変わらないな」

 道化師のことを聞きたかったが、リカが歩み寄ろうとすると、人の集まりは解けてしまった。

 買い物できる金もなく、投げつけられた新聞の束を手にして、リカは村へ戻る。新聞をよくよく見ると、ミュゼットが家出した日から今日までの朝刊だった。連載小説を楽しみにしていたミュゼットを、父親は心配しているのかもしれない。

 連載小説の作者、マリー・マンステールを筆名にしているミュゼットの交際相手、ジョフロワは、ここ1週間見かけていない。

「リカ、久しぶり!」

 新聞の束を抱えてやってきたリカを、ミュゼットは仔牛を抱えて迎えてくれた。

「ミュゼット、ごめんなさい」

 乳牛農家で住み込みで働くようになったミュゼットにリカは謝り、新聞を渡した。

「あたしが自分で決めたことだよ。あの父親が何と言おうと、あたしは帰る気なんか、ないもの。あたしはリカの味方だよ。あの父親が病の人やリカのことを悪く言ううちは、絶対に帰らない」

「ミュゼット……」

 新聞を渡して仔牛を抱っこして、リカは自分が言いたいことを飲み込んだ。

 年齢を重ねれば、ミュゼットはいずれは、親元を離れることになっただろう。だが、そのきっかけが今回のような父娘の決別では、後々後悔しかねない。リカのせいで、ミュゼットの父親の一面が露見してしまった。あろうことか、娘に見せてはならない一面が。

「あ、いたいた! 探したのよ!」

 息を切らせて、マドロンが駆けてきた。その後を、マドロンの夫のピエールが、えっちらおっちらと追いかけてくる。

「お義母さんが! あの匙で食べられるようになって! 自分で立てたの!」

「お義母さんて、マソンさんの?」

 石工のマソン氏の妻に、持ち手を加工した匙をマソン経由で渡したのも、1週間前だ。そのときは、ピエールとマドロンに頭ごなしに叱られてしまったが、その匙でマソンの妻は食事を摂ることができたのだという。

「おっ……おふくろ、歩きたがってるんだ! でも、危なくて、見ていられなくて、一緒について歩く余裕もなくて……」

 追いついたピエールも、息絶え絶え説明する。

「あっ……あんたさえ良ければ、おふくろに歩く練習をさせてやってくれないか? ……あんな酷いことを言ったのに、どの面下げてと思われてもおかしくないが」

「自分で食べられて、顔色が良くなって、歩こうとするお義母さんを見たら、あんたのやっていることも悪くないと思ったの。使用人でもないのに、中途半端によその家に首をつっこんで少しだけ世話を焼いて何になるのかと思ったけど、あんたみたいな看病も、案外悪くないわね。むしろ、あんたみたいな世話の焼き方が、これからの老人の暮らしには良いのかもしれないわ」

 リカ自作の匙がきっかけで回復したマソン夫人を目の当たりにした驚きなのか、興奮気味に喋る夫婦に、リカは頭が追いつかなかった。この前は頭ごなしにリカを否定したのに、手のひらを返したような態度だ。マドロンに関しては、リカにだけ打ち明けてくれた過去のこともあり、つらく当たっていたが、ピエールは母親の回復に感動しているようだ。

「おばちゃんの歩く練習は喜んでさせてもらうけど、あたしのやっていることは、褒められるものじゃないよ」

「他人が何と言おうと、あたしは褒めるわ」

「おふくろのことに関しては、褒めるしかないだろ」

「リカ、良かったねー」

 話を聞いていたミュゼットが、自分のことは棚に上げて、にこにこほっこり笑う。

「あら、サンダル娘。今日は靴を履いているのね」

「マドロンがくれたから。仕事中は靴を履いていた方が安全だもの」

「仕事以外でも履きなさいよ」

 その靴俺が贈ったやつ、とピエールがしゅんとなった。

「そうだ。最近、うちの近くを変な奴がうろうろしているんだ。リカ嬢、何か知らないか?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る