第15話 マドロンの過去

 ミュゼットが元気に去った後、マドロンは目元を拭った。

「あなたと、さっきのあの子なら、話しても良いのかもしれないわ」

 木々の合間を、爽やかな風が吹く。マドロンは顔を上げ、一度口を結んでから、再度口を開いた。

「あたしが生まれたのは、王都の貸間住宅アパルトマン。日の当たらない路地裏の部屋で、親と、兄弟と、親戚と一緒に暮らしてた。日雇いの仕事しかなくて、皆、その日その日を生きるのに精一杯だった。そんな中、叔母があの病に罹ったの」

 マドロンの、カップを持つ手が震える。

「叔母のことはすぐに近所に知れ渡り、あたしの家族も後ろ指をさされるようになった。家族でさえ、叔母を厭うようになった。叔母はもともと、繊細で奥ゆかしい人なのに、誰もが叔母を性格の悪い女だと嫌うようになった。悪いのは病であって、叔母は悪くないのに」

 リカは、何と声をかけたら良いか、わからなかった。らいと呼ばれ忌み嫌われるあの病がこの社会に及ぼす影響は、リカが想像するより遥かに絶大だ。前世のリカが生きていた日本という国の社会にも感染症による影響はあったが、衛生環境が整っていたお蔭で感染症はかなり食い止められており、病による偏見は少なかった。ハンセン病と呼ばれていた病は、日本の衛生環境で感染することは少なく、飛沫による感染だということが明らかにされ、感染しても治療法が存在した。

 このマルグリット王国のあるこの社会は、衛生環境が不十分である。リカこそ自然の中で伸び伸びと暮らし、好きなときに水を汲んで湯を沸かし、じゃぶじゃぶと洗濯をしてなるべく清潔を保っている。だが、都市部は特にそうもゆかない。マドロンの生まれ育ったという王都が衛生的だという話は聞かない。

「あたし達の家族は、叔母を置いて王都を離れた。あたし達を知る人がいない土地でも、噂話が広がった。あの病を抱えている家族なのだろう、と。非難される前に土地を離れ、転々とし、あたしは独りで流浪するようになった。流浪の民族だと誤解されることもあったけど、病の血族だと言われるよりましだった。1年くらい前にこの村に流れ着いて、居酒屋で働き始めたときに、ピエールと出会った。熱烈に口説かれたわ。あんたはこんなところにいるような女じゃない、って。に出入りしている客がどの口で言うんだ、と思ったわ。口説かれているうちに、何となく、ピエールはあたしをあの環境から足抜けさせたいんじゃないかと思うようになって、あたしはピエールと結婚した。父娘みたいに見られることが多いけど、なんだかんだでピエールはあたしを守ってくれてる。ピエールにも、義理の両親にも、叔母のことを話していない。幸せな生活を手に入れるために、あたしはピエールのことを利用しているだけなんじゃないかと自分を疑うこともある……ごめんね、こんな話。あんたになら、話せると思ったの。あの病の人を避けなかったという、あんたなら」

 マドロンは一気に喋り、ミュゼットが持ってきたクイニーアマンにかじりついた。

「美味しい……! こんなに甘いの、初めて食べた!」

 砂糖たっぷりの発酵菓子に目を輝かせるマドロンが、リカにはその辺にいる普通の女性に見えた。

「ミュゼットのパン、美味しいでしょう。いっぱい食べてね。お茶のおかわりも淹れるから」

「あんた、甘やかすのが上手いわ」

「話したいことがあったら、また来てよ。ミシェル……あたしの弟は薬草や香草、香辛料を使った料理や菓子が得意なんだよ」

「ミシェル……ピエールの友人と同じ名前ね」

 そう言われ、リカは町で見かけた小太りのミシェル氏を思い出した。悪魔に取り憑かれていると言われているが、リカは密かに疑っている。そんなこと、とても言えない。前世だったら納得してもらえる根拠があるが、今の社会にはその根拠が存在しないからだ。

「町にいるミシェルさんのこと……?」

 リカが訊ねたとき、茂みを掻き分ける音が耳に入った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る