第14話 ミュゼットの家出

 作業用の卓を外に出し、リカはハーブティーと茶菓子代わりにクッペを出した。ミュゼットの店の、昨日の賄いパンだ。

「お待たせ。ごめんなさい、焼き菓子を切らしていて」

 ミシェルがつくる香辛料を盛り込んだ焼き菓子は絶品だが、あいにく貯蓄ストックを切らしていた。

「いいえ。むしろ、気を遣わないで頂戴……ハーブティーは興味あるから遠慮なく頂くけど」

 ミシェルの薬草畑を珍しそうに眺めていたマドロンは、椅子に腰かけた。木漏れ日に目を細め、カップに口をつける。

 と、そのときだった。

「リカ!!」

 未確認生物……ではなく、いつものように素足にサンダルという足元の、ミュゼットがやってきたのは。

「ミュゼット!? 珍しいね、うちに来るの。お店が忙しいんじゃないの?」

「もしかして、あのときの、パン屋のサンダル娘?」

 マドロンの中で、ミュゼットはそのような認識だった。

「あ、履物を拾ってくれた人。あのときは、ありがとう」

「あのときも言ったけど、あなた、靴を履きなさいよ」

 ミュゼットとマドロンは全くの初対面ではなかった。

「万引き犯を捕まえようとしてサンダルを投げた後、この人が拾ってくれたんだよ」

「そもそも、あのときサンダルが当たっていなかったわよ。あのときも言ったけど、あなた、靴を履きなさいよ。上流階級みたいな彼氏がいるでしょう。おねだりしてみたら?」

「ジョフロワは靴を贈ってくれるよ。部屋に飾っているの」

「履きなさいってば」

 飄々としたミュゼットと、世話焼きせんばかりに靴を履くことを勧めるマドロンの姿が、リカには漫才のように見えた。

「靴が当たったら、相手に怪我をさせちゃうかもしれないよ? あのとき、サンダルを当たらなくて良かったと思ってるの。ミシェルおじさんに怪我を負わせちゃったかもしれないもの。それより、リカ、聞いてよ! あたし、家を出たの! 今日から村で住み込みで働くからね!」

「ミュゼット、何があったの?」

 リカには、ミュゼットが家出するような人には見えない。親を大切に思っていて、リカみたいな村外れに住む者や、お忍びで町に繰り出す貴族みたいなジョフロワにも分け隔てなく接するような、心の広い子なのに。

 ただ、リカに思い当たる節があった。

「もしかして、昨日のことで、ミュゼットに迷惑をかけてしまった……?」

「噂話は、とっくに町に知れ渡っているよ。迷惑をかけられたのは、リカの方だよ! まったく……うちの父親が、あんなに酷い人だとは思わなかった! リカ、本当にごめんなさい!」

「待って待って。話が見えない。お茶を淹れるから、ゆっくり話してくれる?」

「もちろん! 持ち出せるだけのパンを持ってきたから、食べて食べて!」

 リカが、ミュゼットの分のハーブティーと大皿を出すと、ミュゼットは持ってきたパンを山積みにした。今朝焼いたと思われるバゲットや、プレッツェル、クイニーアマンもある。

「はー……ハーブティー、落ち着く。ミシェル特製の味がする。最近、ミシェルに会ってないな」

「酒と薬を持って村に行ったよ。早ければ、そろそろ帰ってくるかも」

「本当に? ねえ、聞いてよ、リカ! うちのお父さん、本当に失礼しちゃうんだよ! リカを解雇クビにするって言い出したの! 昨日のあの件で! リカは悪くないのに!」

 昨日のあの件。その言葉にびくりと体を震わせて過剰に反応したのは、マドロンだった。だが、目を伏せ、目に涙がにじむ。

「お父さんは、リカのせいで店の風評被害が出ると思ってるの。リカもあの病に罹っていると思い込んでいる。だから、風評被害と、リカにあの病の症状が出る前に、リカを解雇するって。ふざけんなよって感じですよ。今までリカにお店を手伝ってもらったし、お母さんが倒れた面倒を見てくれたのはリカだったし」

「親父さんの考え方は、仕方ないよ。お店を守らなくちゃならないんだから」

「リカは優し過ぎる! それと、あたしは頭が悪いから見当違いのことを言うかもしれないけど、あの病は先祖や家族に遺伝する病だとは思えないの。もしも遺伝する病だったら、リカもミシェルも、おばあさんも症状が出ていたはず。それなのに、誰も一切出ていない。だから、あの病は遺伝の病だと思わないの」

 マドロンが、ミュゼットの話を聞きながら、涙ぐんでいた。

「あたし、あんな父親と店やっていけない。しばらくの間、この村のどこかで住み込みで働いて、お金を貯めてから、自分の店を開くの。村の人にも様々な美味しいパンを食べてもらいたいから。あたし、負けないよ。父親にも、自分にも」

 一方的に宣言して、リカは村の方へ行ってしまった。

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