第12話 リカの記憶⑤
充実した時間が、あっという間に過ぎてゆく。
少女は18歳、「娘」は高校3年生になった。
少女は定時制高校に通いながら、介護職員初任者研修の全過程を修了した。
「娘」は長期休暇に老人ホームでボランティアをして、高齢者と編み物作品を完成させたことをきっかけに、作業療法士を目指して大学を受験。志望校に合格した。
「妹ちゃん、来てくれたんだ!」
「娘」の高校の卒業式。伯母にスーツを買ってもらい、少女は保護者として出席した。すぐに「娘」の友人に見つかり、式の後に真っ先に捕まった。
「おかーさーん! この子、おばあちゃんの施設を探してくれた人!」
友人の母親も少女に気づき、丁寧に頭を下げられた。友人の祖母は、少女が働く老人ホームには入所しなかったが、気に入った施設で心身共に健やかに過ごしているらしい。家族は相談室も利用し、かなり負担が軽くなった。
「妹ちゃん、格好良いよね。仕事しながら定時制に通って、ヘルパーの資格まで取って、えっちゃんと同じ習い事をして。どんだけこなしてるの」
友人に褒められて、少女は首を横に振った。
「そうなんだよ。同い年とは思えないくらい、しっかりしてるんだよ」
「娘」も少女を褒める。
「えっちゃんと妹ちゃん、一緒に東京に行くんだっけ?」
「うん。ふたりで暮らするの」
「えっちゃん、妹ちゃんに負担をかけちゃ駄目だよ」
「頑張ります」
「うちも上京するから、また一緒に遊ぼうね」
「またよろしくね」
「娘」は友人と円滑に会話をする。少女は会話に入ってゆけない。だが、「娘」も友人も、そんな少女を理解して少女に懐いている。
「皆で写真撮ろうよ。妹ちゃんも一緒に!」
「妹ちゃんも打ち上げに行こうよ!」
卒業生どころか在校生でもないのに、少女は集合写真のメンバーになり、打ち上げにも参加することになってしまった。
「娘」が言った。
「皆、あんたが大好きなんだよ。あんたがいるから、皆、楽しいの。私もね」
この先きっと、人生の大きなイベントとか、大変な仕事とか、岐路とか、楽しいこととか、今は想像できないことが待っているのかもしれない。この日、見えた世界は、少女にとって輝いて見えた。今後も、こんな風に世界が輝いて見えることがあるのだろう。
そう、信じたかった。
引っ越し前の、老人ホーム最後の勤務日。
「お嬢ちゃん、行っちゃうの? また戻ってきてよ」
朝から、入居者は少女の腕にすがり、目頭を拭う。
「お姉ちゃまも、また来てよね? 編み物やりましょう」
「娘」もボランティア最終日だ。編み物の大作に取り組んだお蔭で手のリハビリになった入居者は、すっかり「娘」を信頼していた。
「皆さん、今日は見学のかたがお見えになります。いつも通り、元気に挨拶をして下さい。皆さんはいつも丁寧なので、そのままの皆さんでお願いします」
数日前から見学の予定は申し送られていたが、施設長が再度アナウンスしてくれた。
見学の人達は、予定通りの時間に来所した。二十代後半に見える男二人組だ。
「僕は、おじいちゃんおばあちゃんの面倒を見てくれる施設を探してて、こいつは僕の腐れ縁なんですけど、こいつは中学時代からお母さんが病気で働けなくなって、やっぱり施設で……」
二人組は施設長に身の上話をする。若いが苦労している、というのが、二人組の印象だった。
では実際に入居している人の様子を見てみますか、と案内されたとき、ひとりがにわかにスマートフォンを出した。
「どうも、ダイチです!」
「コウダイです! ふたりで……」
「『ダイダイちゃんねる』です!」
「今日は老人ホームに見学にやってきました! 老人ホームは本当に虐待をしているのか、介護士は心の闇を抱えているのか、リアルタイムで配信します! 気になる人は、チャンネル登録よろしく! じゃあじゃあ、あっちの車椅子のおばあちゃんから……」
その場の空気が、ピリついた。見学に来た二人組は、無断で施設内の動画を撮ってリアルタイムで配信始めたのだ。
「お客様、申し訳ありません。個人情報保護の観点から、撮影は……」
施設長がスマートフォンの前に立ち、撮影を止めようとした。他の職員も、入居者がスマートフォンのカメラに入らないように移動を試みる。この場で警察に通報して男ふたりを確保してもらうのが最も手っ取り早いが、この職場に限らず介護施設では携帯電話を持ち込んで業務することが禁止されている場所が多い。職員の何人かは「スマホがあれば」と呟いていた。
「少女ちゃん、えっちゃん、事務所に行って110番通報して」
職員は、少女も、ボランティアの「娘」も、被害を被らないよう、フロアから離そうとする。そのとき、ひとりの入居者にカメラが向けられた。
「あー! ヘルパーが! 年寄りを! 無理矢理歩かせようとしていまーす! これはー……虐待確定でーす!」
「ですねー? 警察に通報します! もしもし、ポリスメン? 老人ホームで虐待です。住所を言いますよー」
止めなくては。少女は考える前に体が動いた。
「あ、器物損壊罪です! 職員がスマホを壊そうとしています!」
男からスマートフォンを奪おうとする少女と、阻止しながら撮影を続ける男。もうひとりの男が少女を引き離そうとして、少女はバランスを崩し、壁に設置された手すりに頭を強くぶつけた。
「
「娘」が少女の名を呼んだ。
少女は起き上がろうとしたが、頭がふわふわして思うように動けない。
「
少女は「娘」の名を呼んだ。
「娘」の泣きじゃくる声が遠くなる。少女は意識を手放した。
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