第7話 いつもと違う
昼を過ぎると、リカは無性に編み物をやりたくなる。リカにとって編み物はある種の義務であるが、趣味でもある。町や市場を歩きながら糸扱う店を探してしまうのは、そのためだ。いつもなら、編まないけれどお守り代わりに編みかけを持って来るのだが、今日は忘れてしまった。帰宅したら日が翳るまで編みまくろう、と心に決め、定時まで己を律した。
「リカ、今日もありがとう。心ばかりだけど、持ってって」
明るいうちに村に帰れるように、リカは閉店よりかなり早く退勤させてもらっている。朝の売れ残りを帰りに持たせてもらえるのはありがたくもあり、申し訳ない。
「うちだけじゃ食べ切れないし、捨てるのも勿体ないから、リカのお家でも食べてもらえるとありがたいな」
「ミュゼット、いつもありがとう」
麻の袋一杯に、様々な種類のパンを詰めてもらい、リカは帰路につく。相変わらず、街角には小太りのミシェル氏が居座っていた。編み物に使えそうな糸は売られているが、リカが買えるようなお手頃価格ではなかった。
人の流れが奇妙に感じ、リカは目を凝らした。路肩のある部分を避けるように、人々は行来している。近くまで来て、リカも気づいた。ぼろぼろの布を頭からかぶり、申し訳なさそうに体を丸くしてよろよろ歩く独特の雰囲気の者を、人々は避けている。その者の容貌は見えないが、リカも気づいた。皆が避けているのは、癩病に罹患した者だ。
その者を過剰に避ける理由は、リカには無い。他の人とすれ違うように、その者の近くを通った刹那、石が腕に当たり、思わず足を止めてしまった。
「あいつ、
変声期真っ只中の
「あいつ、看病の魔女だ!」
「ミュゼットの店で働いてるよな!」
「あのパン屋も
「皆さーん! あのパン屋は病気を隠してるんだぜー!」
弟よりも幼い少年が声を張る。周りの人は怪訝そうに眉をひそめて通り過ぎる。
リカは、思わず歯を食いしばっていた。自分が悪く言われるのは構わない。だが、ミュゼットをはじめとする自分以外の者を中傷されるのは話が別だ。
「看病の魔女、観念しろ!」
少年のひとりが、
刹那、
いつの間にか、リカの隣に、幾何学模様のつなぎを着て黒い仮面をつけた道化師がいた。仕事に行く途中で石畳に足を取られたリカを、支えてくれた人だ。道化師は仮面の顎の部分を器用にずらし、銀色に光る横笛を吹く。生まれてこのかた見たことがないその横笛と旋律に記憶があり、リカは驚愕のあまり言葉を失った。だが、少年達は違う。
「うわ! 変な奴が来た!」
「気持ち悪い音楽!」
「逃げろ!」
少年達は蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
「リカ!」
肩を掴まれ、リカは我に返った。ジョフロワがリカの肩を掴んで息を切らしている。
「ジョフロワ!?」
「騒ぎを聞いて野次馬に来たのだが……怪我はないか? 店に戻ろう」
「いいえ、実家に帰らせて頂きます」
リカは冗談交じりで断り、辺りを見回した。申し訳なさそうに体を丸めて歩いていた者も、道化師も、姿が見当たらなかった。
「僕も悪かった。もっと速く駆けつけるべきだった。人に石を投げるなんて、誰に対しても許させることではない」
「助けてほしいなんて言ってないんですけど」
リカは歩みを速めるが、ジョフロワは付いてくる。リカが病気だという誤解が解けないまま近くを歩かれると、ジョフロワも感染すると誤解に拍車をかけるおそれがあるのに。
「言われてないが、助けるさ。放っておいたら夢見が悪いからね。ましてや、王族の……」
「あたしは関係ないからね!」
リカは感情的になってジョフロワに当たってしまった。
「……失礼。失言だった」
「あたしも、ごめん。でも、本当に、付いてこない方が良いよ。ミュゼットに勘違いされてしまうかもしれないし」
「あんたに何かあったら、ミュゼットが悲しむ。彼女を泣かせなくない」
市街地から離れ、舗装されていない村に向かう道へ進む。
「……あんたは知ってるんだね。うちの事情」
「まあね。嫌でも耳に入ってくる。陰口ではなく、単に過去の出来事としてね」
やっぱり、知っているんだ。
王族、とジョフロワが口に出したとき、リカはムキになって否定した。だが、リカはマルグリット王国の王族と全くの無関係ではない。
先々代の王と王宮務めだった女が関係を持ち生まれたのが、リカの母親だった。
当時は王族に女子がおらず、王族の女子が継ぐはずの編み物が絶たれてしまうおそれがあった。先々代の王妃は、もともとの楽観的な性格もあり、王族唯一の女子の誕生を喜び、立場上は養子にできなかったが、実の子のように大変可愛がった。どこに行っても恥ずかしくないよう教養を身に着けさせ、王族の女子が継ぐ編み物の編み方を教えた。女子の母親にあたる、王宮務めだった女には、惜しみなく支援した。「好きに生きなさい。大変なときは頼りなさい。喜んで力になります」それが、王妃の口癖だった。本当に母娘のように仲が良かったらしい。腹違いの兄にあたる王太子が他国の姫と結婚するとき、ふたりでレースを編んで衣装をつくり、その姫に贈ったくらいだ。
成長したリカの母親は、幼馴染みだった青年と結婚した。村のはずれの森に住む、「魔女」の一人息子だった。3人の子に恵まれた。
リカの父親は風邪をこじらせ、「魔女」である祖母はミシェルが後を継いだのを見届けて老衰で亡くなり、母親は肺炎で命を落とした。命の灯火が消える寸前、母親はリカに言った。
「周りが何と言おうと、あたしは幸せな人生だったわ。唯一の心残りは、3人の子どもの成長が見届けられなかったこと」
村に入ると、いつもの変わらない様子に、リカは安堵した。だが、噂はいつ村に伝わるかわかったものではない。
「……宙ぶらりんな立場なんだよね。うちは徴税される正規の土地じゃないから、役所に登録されているのかも怪しいのに、血筋だけはしっかりしたところを継いでいるという」
「そんな人、ごまんといるさ。世の中には、血筋だけはしっかりしているのに廃嫡されて自由にやっている者もいるのだよ、マドモアゼル」
ジョフロワは村のはずれの森までついてきた。
「姉貴、おかえり……げ、ジョフロワ」
ミシェルは顔を歪め、ジョフロワを睨みつける。
「ごきげんよう、少年。お姉上を休ませて差し上げなさい。僕は失礼するよ」
ジョフロワは家にも入らず、
「ジョフロワ!」
リカが呼び止めると、ジョフロワは歩みを止めた。
「あたし……ミュゼットとお店に迷惑をかけちゃった、かも」
「あんたは何もしていないさ。まだ、何も、ね」
意味深な言葉を残し、ジョフロワは軽薄に片手を振って去っていった。
「ミシェル……ごめん。休ませてもらう。パンをもらったから、好きなものをたべて」
リカはベッドに身を投げ、目を閉じた。頭の中をぐるぐる回っているのは、道化師の横笛の音色だ。あの銀色に光る横笛は、フルートという。この人生で見たことはないが、記憶にある。道化師が奏でていた旋律も。
「(わーかく、あかるい、うたごえにー……なーだれは、きえる、はーなもさくー)」
あの旋律が、記憶を呼び起こす。
「(……あーおい、さんみゃーく)」
この世界に存在しないはずの、歌と記憶を。
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