第4話 マソン

 リカは自作の匙を手に、村に向かう。訪ねたのは、生前父が仲良くしていた、石工のマソン氏である。リカは幼い頃から、孫のように可愛がってもらっていた。

「マソンさん、おはよう」

「ああ」

 70歳になるはずのマソンは、今日も工房で仕事に取りかかっていた。口数が少ないのも、作業中は人と目を合わせられないのも、昔からだ。

「マソンさん、例の匙、こんな感じでどうかな?」

 リカはマソンに、彫りたての匙を見せる。マソンは豊かな眉をわずかに動かした。リカは手応えを感じた。

「こうやって握ると、指の背が穴に入って固定されて、匙が持ちやすくなるはずなんだけど……おばちゃん、持てるかな?」

 木の匙は、マソンの妻のために試作していた。マソンの妻は昔から体が弱く、特に近年は身の回りの世話に人の手を要していた。50歳になる一人息子がいるが、昨年初婚になったばかり。20歳そこそこの新妻が可愛くて、母親のことは一切気にかけない。そんな息子にかわり、リカはマソンの妻を手伝っていた。

 できることは時間がかかっても自分でやる。できないことはできるように工夫する。そんな姿勢スタンスのリカは、いつの間にか「看病の魔女」と呼ばれるようになっていた。祖母と弟が「魔女」の役割をしているのに対し、リカは「看病」が強調される。

「看病の魔女、また来やがったのか!」

 まるで砲撃のような太く低い声が、工房を撃ち抜かんばかりに響いた。体の大きい、マソンの一人息子、ピエールだ。

「出ていけ! お前の魂胆はわかってるんだよ! うちの土地となけなしの財産を独り占めしようっても、そうはいかないからな!」

 そうよそうよ、と援護射撃するのは、小柄な新妻、マドロンだ。居酒屋で働いていた彼女をピエールが見初め、財産目的で嫁いだと専らの噂である。

「お義母さんに取り入っても、あんたの思い通りにはならないわよ! 残念だったわね!」

 元気な新婚夫婦に騒がれ、マソンは手を止めて顔を上げる。そんな父親を、ピエールは頭から怒鳴る。

「親父も目を覚ませよ! おふくろはもう駄目なんだよ! 何をしても良くならないに決まってる! 諦めな!」

 弁の立つ息子に言われっぱなしのマソンの目が悲しそうに伏せられたのを、リカは見逃さなかった。リカは思わず言い返そうとしたが、マドロンに遮られた。

「何よ、これ? こんな玩具おもちゃで誰が遊ぶっていうの? せっかくだからたきぎの足しにするわ!」

 マドロンが、リカの手から匙をもぎ取ろうとする。しっかり握って指が固定され、なかなか匙は手から落ちない。

「ちょっと! 離しなさいよ! こいつ!」

 雑巾を絞るごとく手首をねじられ、リカは小さく悲鳴を上げた。

「看病の魔女め、俺の妻をいじめるな!」

 ピエールの息子の太い腕が、リカの腕を締め上げる。刹那、遠い記憶が脳裏に蘇った。どう足掻あがいても何を訴えても報われなかった、胸が痛む記憶だ。

「親父! 何してんだよ!」

 マソンが新婚夫婦をリカから引き離してくれた。大人しいが、ちからがある。

「……諦めんよ。妻が元気になるまで、俺は諦めん……リカ、愚息が失礼なことをした。すまない。この通りだ」

 マソンは腰を曲げ、頭を下げる。

「おい、看病の魔女! 俺の親父に何てことをさせるんだ!」

「そうよそうよ! お義父さんにこんな屈辱を味わせるなんて! さすが、魔女の孫ね! 人を思いのままに操るなんて、変な薬でも飲ませたのかしら!」

「……お前達、やめないか。医者も診てくれないようなこの村の医者代わりになってくれているのは、このリカや、亡くなったお祖母さん、リカの弟のミシェルなんだぞ」

 マソンは決して声が大きくない。だが、ピエールは黙った。

 マソンは、リカが試作した匙を受け取り、再び頭を下げた。

「……リカよ、嫌な思いをさせて、悪かった。今日はもう帰りなさい。いつも、ありがとう。妻も俺も、あんたが来るのを楽しみにしているんだ。それだけは覚えておいてくれ」

 リカは、ピエールに言い返そうとした言葉を飲み込み、口に出さないことにした。

「覚えてなさい! いつか化けの皮を剥がしてやるから!」

 元気なのは、マドロンだけである。

 マソンは息子夫婦を無視し、敷地の外までリカを送ってくれた。

「……ところで、時間は平気なのかい」

「あ!」

 村の教会の鐘が鳴り、リカは今の時間を思い出した。

「行かなくちゃ! マソンさん、ありがとう! マソンさんも、体に気をつけて!」

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