第3話 早く慣れなければ?

変態メイドゼニスの視線に辟易しながらも着替えを終え、彼女の案内で食堂に向かう。


埃一つない綺麗な赤いカーペットの敷かれた廊下は質素で、しかし上品さを感じる雰囲気を醸し出している。

部屋の雰囲気やメイドの存在からなんとなく察してはいたが、どうやらヴァイオレットはかなりお金持ちの家のお嬢様なようだ。

長い廊下をしばらく歩き、いくつかの扉の前を通り過ぎる。

慣れ親しんだ身体より短い四肢に、少しぎこちない歩き方になってしまう。しかし私の少し前を歩くゼニスはこちらを一切振り返ることもなく私の歩幅にぴったり合わせてくれている。


「こちらです」


ゼニスはそのまま一つの大きな両開きの扉の前で立ち止まり、音も立てずにその扉を押し開く。


「ありがとう」


そんなゼニスに私は笑顔でそう返す。仕事モードで鉄仮面のゼニスの口角が明らかにピクピクしているのが見て取れたが、気にしないことにしよう。彼女の名誉のためにも、私の精神衛生のためにも。


食堂では既に両親が着席しており、数人のメイドが配膳を始めている。


「ごめんなさい、遅くなりました」


「あ、あぁ。いいんだ、気にするな」


頭を下げる私に、父―――カーマインが戸惑いながら答える。

そんな父の言葉を受けて着席する私の姿を見てメイドたちも困惑したような表情を浮かべている。


「どうか……されましたか?」


「なんでもないわ。こんなにお行儀のいいヴァイオレットを見るのが初めてだからみんな困惑してるだけよ」


あまりの周囲の反応の不自然さに思わず問いかけた私に、母―――スカーレットが口元を隠して笑いながら答える。


どうやら予想通り、以前のヴァイオレットはかなりのおてんば娘だったようだ。


「ちなみに以前の私はどういう立ち振る舞いだったかお聞きしても?」


「そもそも寝間着のまま屋敷中を走り回ってゼニスの手を焼かせて、そのままここに来て朝ごはんを食べ始める。食べてる隙にゼニスが櫛で髪を梳かしつつ食べこぼしを綺麗にする、というのが通例ね」


「思ったより滅茶苦茶だったんだな私」


スカーレットの話を聞く限り、そして周りのメイドたちの反応を見る限りその他にも色々とメイドの皆を困らせていたようだ。


そんなメイドの一人が、珍しくお行儀よく座る私の前にも朝食を配膳してくれた。


「ありがとう」


彼女の方を見てそう笑うと驚いたような表情を浮かべられる。

おい、ありがとう言っただけでびっくりされるって普段どれだけ自由奔放だったんだよヴァイオレット。


そう心の中でツッコみつつ、嘆息して自分の目の前に置かれた皿を見る。


美味しそうな匂いと湯気を漂わせるいくつかのパン、そして赤いスープのようなもの。

ミネストローネ的な何かだろうか。


しかし、その匂いが鼻に入ってくるとその予想が大間違いだったことを理解する。


「これ……血……?」


「ああ、どうかしたか?」


いや、なんとなく察してたよ。

どう考えても牙っぽいの生えてるし、肌の色とか髪の色とかイメージそのまんまだし。

当然のように出てきたこの朝食、そして私の本能がこれを美味しい食べ物だと認識してることでもう確定だ。


私が転生したの、吸血鬼だぁ……。




いや、とはいえ前世の、人間としての私の感覚が「え?これ飲むの?マジ?」と訴えかけてきている。

種族としての本能と、私の精神の理性が激しくせめぎ合っている。


「……もしかして、血苦手になった?」


「え?」


ただ座ったまま葛藤し続ける私にスカーレットが心配そうに問いかけてきた。


「それならそうとはっきり言いなさい。別に、私たち吸血鬼って血を飲まなきゃいけないってわけじゃないんだから。魔力への変換効率は落ちるけど、ヴァイオレットが望むなら他のメニューを用意させるわよ」


「お母さん……」


魔力への変換効率とかいう聞きなれない単語はすごく気になるが、今大事なのはそこではない。

冷たさを感じさせるような声色で、しかし最大限の慈しみを込めてスカーレットは「それに、」と続ける。


「分からないこととか言いたいことがあるなら隠さずに言いなさい。記憶喪失はあなたが悪いわけじゃない。今までの性格と違うからって私たちがひどい扱いをするなんてことはないわ。だって、今一番困ってるのはあなたじゃない。そんな子どもを蔑ろにするような非道な親ではないつもりよ」


食事の手を止めてこちらをまっすぐに見つめながらそう説くスカーレット。

そこでしっかりと彼女の顔を見て気づく。

冷静に、冷徹に見えたのはただ彼女が真剣だっただけだ。


「というか、確かにこれまでの記憶がなくなってしまったのならこのスープの臭いはキツいかもな」


アズガードも自分の皿から漂う匂いを嗅ぎながらうんうんと頷く。


「気にするな、そもそも血を飲むのが苦手だという吸血鬼は少なくない。うちの使用人にもそういうのが何人かいるから血を使わない料理の準備もしてある。おい、用意できるか?」


「はい、旦那様」


アズガードの声に凛とした声が反応し、既に用意されていた食事を盆に乗せたメイドが厨房から出てきた。

どうやら私たちの会話を聞いた段階で既に使用人用の食事をよそってくれていたらしい。

なんだろう、ゼニスもそうだけどうちのメイドさんたち優秀すぎない?


改めて私の前に出されたのは、今度こそミネストローネのようなスープだ。

使用人のために用意されたものということもあって質素だが、それでも先ほどの血生臭さとは天と地ほどの違いがある。


「あ、おいしい」


一口飲むと、それだけ料理のレベルの高さが伝わってくる。

流石に前世の飲食店で食べたり自分で作っていたものと比べると数段レベルが落ちるが、それでも十分すぎるくらい美味しい。


付け合わせのパンを千切って浸して食べるとまた違った味わいに。


「ヴァイオレットの口に合ったようでよかったわ。昼食と夕食も同じようにお願いね」


「畏まりました」


満足そうに頷いてからそう指示を出すスカーレットに先ほどのメイドが頭を垂れる。

彼女はそのまま厨房に下がっていった。


その後は特に変わったことのない普通の食事だ。

アズガードは何やら書類を片手に難しい顔でパンを齧っており、スカーレットは何やらメイドたちと話をしている。僅かに聞こえてくる内容を聞く限りでは内政や財政に関する話をしているようだ。


……家族の間に会話はないが、これがこの家にとっての普通の朝食なのだろう。

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