第2話 あったかい家族

「ヴァイオレット!!」


叫びながら鬼気迫る表情を浮かべて部屋に入ってきたのは、私と同じ髪、肌、眼の色の中年男性。

今更ながら、記憶の混濁についてはっきり言ってしまって良かったのだろうか。捨てられたりしないだろうか。大丈夫だろうか。


「記憶を失くしてしまったというのは本当か!?」


私の肩を掴んで激しく揺さぶる彼の表情からは、心からヴァイオレットのことを心配していることが伝わってくる。それを認識し、不本意ながらとはいえヴァイオレットちゃんの身体を奪ってしまったことを申し訳なく思う気持ちが溢れ出してくる。


「は、はい……。ごめんなさい……」


彼の顔をまっすぐ見ることもできず、顔を伏せてただ謝る私。謝るのも意味不明だが、他に発するべき言葉も思い浮かばない。


「あなた、いい加減にしなさい。慌てて何になるというの」


「あべっ!?」


私の肩を掴む男性が、後ろから頭頂部に何かしらの衝撃を受けて轟沈する。

彼の身体で埋まっていた私の視界に新しく映るのは、私の今の身体をそのまま成長させたような雰囲気の女性。掛け値なしの美人さんだ。私より少し目が細くて厳しそうな印象を受けるくらいの違いだろうか。


「はぁ……。阿呆の旦那がごめんね。それで、どれくらいの記憶が欠損しているの?魔族語は話せているようだし、身体の動かし方も概ね問題なさそう。さしずめ、自分や人間関係なんかに関する記憶だけが抜けてしまった、といったところ?」


「は、はい……大体そんな感じです」


「ふふ、ヴァイオレットが私に敬語なんて違和感しかないわね。私はスカーレット・アズガード。あなたの母よ」


「スカーレット……お母さん……」


どうやらこの女性は実の娘が記憶喪失だというのにかなり冷静らしい。正直助かるが、普通は目の前の男性――――推定実父のように慌てふためくものなのではないのだろうか、と何か得体のしれない不安も存在する。


「で、この阿呆がカーマイン。あなたの父。あなたを起こしに来たメイドがゼニス。一応あなたの専属よ」


「カーマインお父さんと……ゼニス……さん?」


いくら記憶を遡ろうとしても一切思い出せない三人の名前。でも何故か三人とも嬉しそうに口角が少し上がっている。


「?」


「おいスカーレット、お父さんだってよ。いい響きだなおい」


「ちょっと、私ニヤけないように我慢してたのよ!でも……お母さんって呼ばれるのも悪くないわ」


「私のことは『ゼニス』と呼び捨てでいいですからね。でも……たまにはその丁寧なヴァイオレット様もいいですね……」


ゼニスに至ってはもう隠すつもりもなく恍惚といった表情。


どうやら、私改めヴァイオレットは思っていた以上に家族に愛されていたらしい。

不謹慎ながら思う、本当にありがとう。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「さて、じゃあ着替えたら食堂にいらっしゃい。あ、そうそう。記憶についてはあまり気にしなくて大丈夫だからね、焦って思い出そうとしないようにね」


そう言って、母はまだ名残惜しそうな父を引きずって部屋を出ていく。

くせの強い両親だが、なんとか今のヴァイオレットを受け入れてくれているようで安心だ。


「さて、ではまずお着換えしましょうね」


「!?」


そう言って私の寝間着を引っ張って脱がせようとするゼニス。


「だだだ大丈夫、自分で脱げますから!!」


前世のことすらはっきりとは思い出せないが、恐らくは元成人女性。着替えを見られるくらいならともかく、脱がされるのは流石に羞恥心が暴れだす。

慌ててゼニスから離れる私だが、当のゼニスは不満げだ。


「むぅ……。以前よりしっかりしてくださっているのはいいのですが、もう少し甘えてくれた方が私としては嬉しいです」


「それは……ごめんなさい」


「あと、私に敬語はおやめください。ヴァイオレット様は伯爵家の御令嬢で、私は一介の従者に過ぎません。お屋敷の中なら問題ありませんが、対外的にはあまりよろしくありませんので」


先ほどの残念そうな表情から一転、真面目な声色できっぱり注意してくるゼニス。

創作物とかによく出てくる貴族、確かに従者に対して敬語なんて滅多に見ない。むしろ彼女の言う通り粗雑に扱うくらいでちょうどいいのだろう。

だが。


「分かったわ。でもその一介の従者が私の服を脱がせようとしているときにニヤニヤしているのはいいの?」


「それはそれ、これはこれです」


「便利な言葉だね」


滑らかな生地の寝巻を脱ぎ、ゼニスが用意してくれていた服に着替える。

その間ずっとこちらを凝視していたゼニスには壁の方を見ているように命じたし、そうでなくとも出来るだけ身体を見られないように急いで着替えた。

私がこちらを見ないようにお願いした時に彼女が発した、心の底から落胆したような声は聞かなかったことにする。


少なくとも私の記憶では今日始めて会った女性だが、なんとなくその扱い方を理解する。


この人、ヴァイオレット=私を溺愛どころか偏愛しているタイプの変態メイドさんだ、と。

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