第十三話 心の居場所について

「フロウ、フロウ! あーん!」

「わかったからあんま揺らすな……ほら、熱いから火傷するなよ」

「ふーふーしてください!」

「ワガママ言ってんじゃねえ、まったく」


 賑わう広場の輪に加わって、俺とアオイは並んで座っていた。

 輪の真ん中では、討伐したルピーヒドラをオークの男たちが解体し、女たちはその肉や骨を使って様々な料理を作っている。


 料理の役に立たない俺たち二人は、運ばれた皿を空にする大役を任されたのだが……。


「ふーんふんふふーん! あーん!」

「はいはい」


 俺の役目はというと、腕にひっついてくる異界の蛮族に餌付けをすることだった。

 さっきまでの死闘の気配はどこへやら、宴の空気にあてられたこともあってアオイはいたく上機嫌だ。


「俺も食いたいんだが……そろそろお前も自分で食えよ」

「何を言いますか! 首級を討ち取った家臣を褒めるのは主君の務めです!」

「あー、つまり?」

「フロウは私をもっと甘やかさなければいけません!! ほら、あーん!!」


 ……懐かれてしまったものだ。


 邪竜の心臓について黙っていたのは、売るつもりのない恩を感じさせて気を使わせたくなかったからなのだが……。

 なんか思っていたのと違う。


「――って、主君だと?」

「はい、アオイはフロウを今生の主と決めました! これより先は、私がフロウの刀となりましょう!」

「なんだそりゃ……主っていうなら、もっと気を使えよ」

「宴の席は無礼講にて、これでよいのです!」


 なんもかんも勝手な理屈で片付けられた。


 とはいえ、俺もアオイの意志の確認をしたいと思っていたところだから、これはある意味で好都合とも言える。


「――じゃあ、これからもうちで働くってことでいいんだな?」

「ええ、もちろんです!」


 あまりにも元気であっけらかんとした返事に、思わず苦笑してしまう。


「いいんだぞ、心臓のことは気にしなくたって。お前はこの世界で、好きなように生きていい」


 そもそも、俺にすれば縁を交えるつもりもなかった。

 あの時アオイが店にやってきたのも、試験的に預かることになったのだって、ただの成り行きだ。

 俺にはこいつを縛り付ける権利も理由もない。


「私の意志はすでに伝えました。フロウは、どうしたいのですか?」


 それでもアオイがそう言ってくれるなら、俺はそれに寄り添うまでだ。



「俺には、お前の命を助けてしまった責任があるからな、その役目くらいは果たさせてもらうさ」



「なるほど――それでそれで?」

「……今ので納得しろよ」

「こういう時、フロウの最初の言葉は方便であると、アオイはもう知っておりますゆえ」



 面倒なやつを助けてしまったものだ。

 だが、面倒なやつとの生活には慣れているし――嫌いじゃない。



「……ちょうど護衛を探してたところだからな、お前がいてくれたら、その……嬉しいよ」

「――合点承知!!」



 再び腕にしがみついてくるアオイは嬉しそうな気持ちを隠しもしないで、いっそうこちらの気恥ずかしさが増してくる。

 こうなってしまえば俺にもう勝ち目はない。


 嫌いじゃなくても、恥ずかしいものは恥ずかしいし弱いものは弱いんだよ。



「お前たち、功労者がこんなところで――ずいぶんと仲が良さそうだな?」



 上機嫌のアオイに揺られていると、ラガニがこちらへやってきた。

 ラガニは俺たち二人を見て笑いながら腰を下ろす。


「二人とも、しっかり食っているか?」

「はい、たっぷりといただいております!」

「俺はこいつに全部取られてるよ」

「はっはっは、心配するな、我らの宴で食事と酒が尽きることはない!」


 ラガニは楽しそうにそう言って、二つの盃を差し出してきた。

 受け取ると、そこへ紫色の酒が並々と注がれる。


「祝い酒だ、ルピーヒドラの血を沸かして混ぜてある」



 三つ目の盃にまた並々と酒を注いで、それからラガニは俺を見た。

 ――ああ、そういうことか。


「見てろアオイ、これはこうやるんだ……というか、そろそろ離れろ」

「? わかりました」


 ひっついていることよりも興味の方が勝ったのか、アオイはすんなりとこぶし一つ分離れた。

 やっと自由の身になった俺は、ラガニと向かい合って盃を掲げる。


 盃をラガニの口元へ運ぶ。

 ラガニの盃もまた、俺の口元へ。


 そうして相手の盃から半分の酒を飲み、互いの盃に残った酒を自分で飲み干す。


「獲物の血を混ぜた酒を分かち合う――こうやってオークの戦士は互いの勝利を祝うんだ、ほら、やってみろ」


 俺がそう言うと、アオイは姿勢を正して座り直し、ラガニに向き合った。

 たった今見たばかりの作法に則り、掲げた盃をラガニに差し出す。


 二つの盃を満たした酒が、二人の中へ染み込んでいく。


 ヒューマンとオークを隔てる歴史の溝を埋めるには、とても足りない盃の酒。

 しかしそれは、二人の戦士をたしかに繋いでいた。



「――戦士アオイ、これをお前に贈りたい」



 戻ってきた盃を空にしてから、ラガニは懐から革の紐で作った首飾りを取り出した。

 首飾りには、黒曜石のようなものがぶら下がっている。


「……これは?」

「ルピーヒドラの爪、最も勇敢に戦った戦士の証だ、受け取ってくれ」

「――なるほど、では、ありがたく」


 朝日に輝くヒドラの爪をじっと見つめてから、アオイは革の紐を首にまわした。

 爪はちょうどアオイの鎖骨の間に治まって、その存在を堂々と主張している。



「どこかでオークと会うことがあれば、その爪を見せてこう伝えろ――戦士アオイはガラテアのラガニが認めた勇士であると。そうすれば、我らオークは皆お前に力を貸すだろう」



 ラガニは笑ってそう言った。

 その言葉には、全てが詰まっていた。


「――さあ、堅苦しい話はここまでだ! 我らの宴は三日三晩は鳴り止まぬ、やすやすと帰れるなどと思うなよ!」


 最後にアオイの肩を叩いて、ラガニは立ち上がる。

 俺たちに背を向けて、宴の中心へ肩を揺らしながら歩いていく。


 ふと隣を見れば、アオイはルピーヒドラの爪を手にとってじっと眺めていた。


「どうした?」

「……少し、恋しくなりました」


 悲しさをはらんだものではない、しかしどことなく切なさを滲ませて、アオイは微笑んだ。


「それは……シモツキが?」

「無論、それもあります。しかし今は、ビーグッドのあの店が、やけに恋しいのです」

「――そうか、だが、三日は帰れないらしいぞ?」

「ええ、友の宴の誘いを拒むは不義理、この恋しさは祝いの馳走とともに飲み干しましょう」


 アオイは顔を上げて、広場の真ん中に視線をやった。

 そこには変わらず、笑いながらヒドラの肉を捌くオークたちの姿がある。

 近くの焚き火では歌と踊りを楽しむ者もおり、中には小さなラニー少年もいた。



「私は、ビーグッドのアオイです――そうして、ここで生きようと思います」



 それから俺たちは少しの間、何も言わずに宴の様子を眺めていた。

 焚き火の薪の爆ぜる音、料理をする女たちの賑やかな歌声、踊る男たちが大地を踏み鳴らす足音。

 たくさんの音に、俺たちはしばらく耳を傾ける。


 そのなかに、小さく潮騒の幻聴が交じったとき。

 俺もふと、アオイと暮らしていくあの店が恋しくなった。

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伝説のパーティを陰で支えた勇者の弟が、異世界からきたサムライ娘を拾ったらしい 水田陽 @MizutaAkira

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