第8話
クラトが朝、目を覚ますとリーエは既に居間で起きていた。
立ち上がったクラトに気づいて、リーエが手をそろえて会釈する。「おはようございます、クラトさん。昨日はいろいろと、本当にすみませんでした」
「こっちこそ、ごめん。それに、ありがとう」クラトが軽く頭を下げて返す。
自分を思ってくれていることへの礼だった。
その反応が意外だったのか、リーエは戸惑ってクラトを見つめた。
クラトは気恥ずかしくなって少し目をそらす。
昨日は感情的なやり取りになってしまったが、クラトはなんとなく互いに好意を持っているのも感じ取っていた。
「あ、あの、朝食は何か用意しましょうか?」リーエの方も同じだったようで、ごまかすように話をそらした。
「えーと、軽いので頼むよ」
「はい」リーエは食品棚から食パンを取り出し、トースターにかけた。「飲み物は何にしますか?」
「お茶が棚あったと思うけど」
「はい」
クラトは棚を探るリーエの姿を眺める。
お互いに恥ずかしさを隠すのが、逆に、夫婦のやり取りのようになっていることに気づいて、おかしさを覚えて思わずクスッと笑ってしまった。
手を動かしているリーエは気づいていない。
仕事もないし、明日の生活も分からないのに、リーエがいることに安堵している自分がいる。
この数年間、いや、生まれてからもっとも幸福な朝かもしれなかった。
こういう日々を自分は望んでいるのだろうか、クラトは自問する。
リーエが用意したパンを食べてから、タブレット端末のメールを確認した。
求人募集が夜中に届いている。
失業の知らせが会社の方から職業紹介事業に行って、機械的に送られてきたらしい。
載せられていた案件は、即日採用が可能な案件だった。
人身道具の運送の仕事だそうだが内容はどうでもよく、採用かされるかが問題で選べる余裕はこっちにない。
タブレット端末に必要な情報を入力して返信メールを送ると、今日中の面接の予定が取れた。
昨日捨てられ、今日拾われる。
この異常な早さは超規制緩和改革からそうなっているものだ。
前にも、退職後に次の就業先がわずか数日で提示されたことがあった。
急いで身支度を整える。
人身道具の面接ならスーツを着る必要はなく、トレーナーとジーンズを着て、コートを羽織った。
「リーエ、次の仕事が決まりそうだ。行ってくる」
「あ、クラトさん」
リーエの返事を聞かずに、クラトは慌ただしく家を出た。
タブレット端末から面接場所を確認して向かう。
最寄りの駅から電車に乗り、面接場所に近い駅で降りる。
向かいながらクラトはリーエのことを考えた。
リーエが自分を好いている、例え思い込みでもそう思えることが救いになっている。
ここで働ければつつましくてもリーエと一緒に過ごせるかもしれない。
もちろん、彼女が望めばだが。
目的の場所は郊外にあり、降りた無人駅の周辺は 空き地か人通りのない道路が広がっていた。
閑散としていて、建物といえば空き家であろう閉められた飲食店が数軒見えるくらいだ。
ほとんど開発されていないか、もしくは過疎化した地域だった。
そこから歩いて十分ほどで、目的地についた。
面接場所は不自然にポツンと建った高層ビルで、やはり開発に失敗した地区に思える。
塀に囲まれた敷地は一面コンクリートで舗装されていた。
そこに入ると、クラトは驚いた。
警備のA・Gに『ダブルキャンサー』が入り口付近に配置されている。
こんな人気のないところに似つかわしくない高性能機だ。
A・G自体が高級自動車の数倍は高価なものだが、ダブルキャンサーはさらにその二体分はする。
『キャンサー』シリーズは『マイマイン』シリーズの次世代機で、より攻撃的だ。
ダブルキャンサーはその上位機になる。
かつて、人間に危害を加えかねない、自律型ロボットに平和主義者や研究者たちは強烈に反対したが、それを押しのけて、というより無視して政府は巨額の援助と、法整備をゴリ押しで進めたという。
『マイマイン』シリーズが大ヒットして、治安の改善に大きく貢献すると更なる需要を産み、性能強化への期待の機運は高まった。
それからは、かつての議論は何だったのかというほど攻撃性能が加えられている。
キャンサーシリーズは三メートルほどの身長に、名前の通りカニ型をしたのっぺりしたボディに、巨大なクリップ状のアームを持つ。
加えて、ダブルキャンサーはその機体が前後にくっついた形をしていて、四本の脚と腕があった。
機体の頭部には、二つの目がついたボーリングの玉のような可動部がある。
通常のキャンサーなら、このセンサー部分は前方の一つだけだが、ダブルキャンサーには後方にもさらにもう一つある。
これによって、通常のA・Gなら前方に絞られるセンサーの認識範囲が、後方にも拡大して、死角がほぼなかったはずだ。
こんなものを置いているということは、この会社は相当儲かっているところなのではないか。
クラトは希望を抱いた。
敷地内に入って脇を通り過ぎても、機体に特に反応はなく、起動していないようだった。
ビルに近づくと、様子がおかしいことに気付く。
看板もなく、人の気配が全くない。
「あのー」
声をかけながらビルの中に入る。
入り口から先は、何の照明もなく薄暗い。
面接場所はこのビルの三階とあり、エレベーターを使おうとボタンを押すが、点灯もせず何の反応もない。
「なんだよ、これ」
仕方なく階段で三階まで登るが、誰とも会わずしんと静まり返っている。
面接する会社のフロアに行こうにも、どこにも何も書かれていないので行きようがない。
ここは使われていない空きビルとしか思えなかった。
仕方なく、いったん外に出ることにする。
階段を下りきりビルの入り口を出ると、タブレット端末が着信音を発した。
表示を見ると、知らない番号からだった。
面接する相手が、指定場所を間違えたとかそういう連絡だと思い、それに出る。
「クラトさん、私です」声はリーエだった。
「リーエ、どうし……」
クラトの返事を待たずにまくし立てるように言う。
「求人のあった場所に行ったらダメです!」
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