第9話


「何を言って……」


 リーエが強い口調で遮った。


「聞いてください!

 四、五年ほど前のことです。その年のあたりに老年を迎えた世代の人たちは、若い時の労働環境が過酷でした。それで、体や心を病んだ人たちが多く出ました。そういう人たちが引退した後、働き手も減って生活を支えるのにたくさんのお金がかかるようになって、それで税金がものすごく増えたんです。特に富裕層の人たちへの」


 リーエがいきなり訳の分からない話を始めて、一方的に続ける。


「それに不満を抱いた富裕層の人たちは、A・Gを使って人知れずそういう人たちを虐殺し始めたんです。

 それを事故死に見せかけることと合わせてA・Gの法整備はされました。

 今もそれは続いているんです。

 選別のような、恐ろしいことが。

 殺される人は、ランダムで選ばれるんです。

 能力とか年齢とか関係なく、AIが家族を含めて資産の低い失業者を抽出して。

 その求人はダミーです。

 ハッキングして分かりました。

 クラトさん、そこに行かないで!

 殺されてしまいます!」


「そんなバカな……」思わず口から漏れた。


「こんな話信じられないかもしれませんが、本当なんです。この世界はもう狂い始めてしまったんです!」


 いくら何でもさすがにそれはないだろうと、リーエの話は到底飲み込めなかった。


 だが、どのみち何もないここには用はなかった。


「この国の経済はもうボロボロで、富裕層もそこまでしなければならないほど追い込まれているんです!」


 タブレット端末のリーエの話を聞きながら、敷地を抜けようとダブルキャンサーの脇を通ろうとする。


 そのとき、さっきは完全に制止していたのに、いきなり機体がウインと稼働音を鳴らすのが聞こえた。


「は?」クラトは呆然とした。


 機体のセンサーを搭載した頭の球体の可動部がグルグルと動き出して目が光り、クラトの方を向いて狙いを定めた。


 四本足を動かしてこちらに向かってくる。


「な、何だ?」


 クラトは恐怖し、後ろを向いて全速力で逃げ出した。


 ビルの方から出るとオートで反応するように仕込まれていたらしい。


 ダブルキャンサーは機能の制限を解除してあるのか、自動車並みの速さで追ってきた。


 途中で曲がって、振り切ろうとするが、認識範囲の広い機体には意味がなくあっさりと方向転換して追ってくる。


 そして、クラトはとうとう追いつかれた。


 ダブルキャンサーは真後ろから、巨大なアームを振り回してきた。


 「があ!」クラトは、吹き飛ばされ、地面に転がった。


 打撲したところが痛み、仰向けになって上半身を上げるが受けた衝撃でそれ以上体が動かない。


 牙をむいた機体が迫ってくる。


 それでも、タブレット端末を握り続けた。


 その先に、リーエがいるから。


 ダブルキャンサーが足元まで来て止まり、クラトを見下ろしていた。


 あれを動かしている悪意は、自分を不要なゴミだと認識している。


 クラトは、リーエの言っていたことの意味を理解した。


 使わなくなったから、捨てる……殺す。


 後で生かすのに金がかかるから。


 散々いいように使っておいて、最後はこうやって処分する。


(人間を何だと思ってる!)


 死の恐怖を通り越して、クラトに瞬発的な怒りが沸き上がった。


『違います!クラトさんは道具じゃありません!』


 激痛の中で、昨日のリーエの言葉が、泣いて訴えてくれた姿が、目前の敵のヴィジョンを押しのけて頭に浮かんだ。


 まるで、今自分を殺そうとしている機械と、その後ろある悪意に、真っ向から立ちふさがって、クラトをかばってくれているようだった。


 クラトは、そのありがたさと尊さをかみしめた。


 彼女の言葉が、最後の最後になって、ごく当たり前で、過酷な日々の中で忘れていた、そして大切なことを思い出させてくれた。


「俺は人間だ!

 道具じゃない!」


 死ぬ前ぐらいはそうでありたいと、大声で叫んだ。


 その時、手元のタブレット端末から声がするのが聞こえた。


「やっと、そう言ってくれたんですね!」


 リーエだった。


 その途端、足元のコンクリートの地面が揺れて、水流のような一本のひびが入った。


 轟音とともにひびが左右に大きく開いて、盛り上がる。


 ダブルキャンサーの後方の地面を突き破って、下から巨大な何かの塊が出てくる。


(なんだ?)


 クラトは尻に地面をつけたまま、その様を見た。


 十メートルはある、見たことのない、全身黒色の人型をした巨大なロボットが立っている。


 クラトは啞然として言葉を失った。


 コートをまとったような、強靭な体躯が厳然と構える。


 機体の右手には、巨大なシャベルらしき、長い柄に尖った五角形の金属が先端に付いた武器を縦に掲げていた。


 その姿は、まるで巨大な番人だった。


 全身にかかったコンクリートの破片がガラガラと落ちる。


 背中に長方形の柱が何本も立っている。


 クラトには、それが墓に見えた。


 いくつもの墓を背負った、鋼の機体。


 ダブルキャンサーがその機体に反応して、クラトから離れてその方向に突っ込んでいく。


 ダブルキャンサーが右腕のアームを伸ばして、体長が二倍はあるそのロボットを掴もうとする。


 ロボットは巨大なシャベルを上から振るい、その右腕を引きちぎった。


 破壊されたところがショートして火花が飛び散る。


 クラトは混乱しながらも、あの黒い巨大な機体はダブルキャンサーと戦っているのだと理解した。


 ダブルキャンサーはまだロボットに攻撃を仕掛けようと体を横に振るが、ロボットはシャベルを胴体の関節部位の露出した部分に突き刺した。


 シャベルを両手で持って、ダブルキャンサーを地面に押さえつける。


 シャベルの先端が回転して、それに合わせて突き刺さっているダブルキャンサーが腕と脚を動かしながら地面にこすれて回転する。


 地面がえぐれ、敵の機体が沈んでいった。


 ロボットがシャベルを引き抜き、それを横に振り払うと、吹き飛んでガシャンと大きな音を立てて地面に落ちる。


 クラトを殺そうとしていた機械の四肢は止まり、目の光も消えて完全にスクラップになった。


 あっけに取られて尻餅をついたクラトの方に、ロボットは体を向けた。


 ひざを曲げて姿勢を低くすると、その胸部のハッチが上方に開く。


 中から操縦席に座ったリーエの姿が現れた。


 クラトの買った長袖のピンクのセーターと白のパンツを着ている。


 ロボットが操縦席の前に手のひらを置いて、リーエが立ち上がってその上に乗った。


 腕を下方向に動かして、手首を地面の上に添え、そこに乗っていたリーエが降りてくる。


 そして、倒れて服もボロボロで傷だらけのクラトの下に駆け寄った。


「クラトさん、こんな、酷い」言いながら、クラトの背中を支えた。


「リ、リーエ……」クラトはほとんど体に力が入ららなかった。


「でも、良かった!間に合った!」リーエはクラトの頭を抱きしめる。


 クラトは柔らかく、暖かい感触に包まれた。






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