本編(読まなくていいです)

「ブレードオブデザイア  ~憧憬と宣誓と出会と焦燥と嫉妬と孤独と憎悪と敗北と挫折と諦念と陰謀と死闘と勝利と栄光と今更のそのすべて~」


(WEB掲載なので、読みやすいように行間だけ開けました。他は応募時そのままです)



 自分の手から弾き飛ばされた木剣が、回転する勢いのまま地面に突き刺さった。


 無様に膝をついた己の数歩先に、硬い大地を割って突き立つ木剣。


 同年代の少年たちが使うものよりもはるかに長大で、おまけに分厚いそれは、山を駆け回り、調べた限りもっとも固い種類の木を手ずから削って成形し、乾燥と獣脂に漬け込む工程を幾度となく繰り返した上、仕上げに炭焼きの要領で熱と圧力を加えて完成させた逸品だった。


 恐ろしく重く頑丈な、凶器といっていいそれを、あっさりと打ち払い、弾き飛ばしたのは、自分よりも頭一つは小さい少女だった。


 痩せぎすの体に薄汚れたチュニック、いつまでたっても伸びない身長。


 今、うなだれる自分を見下ろしているであろう、ぼさぼさの髪の間から覗くその瞳を、どうしても見返すことができない。


 どうしてこうなってしまったのか。自分はどこで間違えたのか。


 華奢なその手に握られた、自分のそれとは対称的な細身の木剣。森で拾った薪の、枝を払っただけの簡素なそれ。


 ……あれを作ってやったあの日から、自分と彼女の、いったい何が変わってしまったのか?


 答えは一つ。剣を失い膝をつく自分と、それを見下ろす彼女。


 今のこの状況、厳然たる実力差と、それに伴う誤魔化しようもない確かな敗北こそが、自分と彼女の関係の結末だった。



第一章 寒村の少年



 初めて剣を握ったのがいつだったのか、正確には覚えていない。


 おそらく物心つく前から棒きれじみたものを渡され、おもちゃにしていたのだと思う。


 村の子供たちはみなそうだった。財産という概念すらない山間部の貧村では、剣を修め、騎士となることだけがまともに成り上がる手段であり、村の子供たちはみな、長老の歌う騎士の勲歌を聴き、みずからもいずれ魔剣を生み出し、騎士となって夜の軍と戦うのだと、憧れに目を輝かせていた。


 子供のする遊びといえば半ば剣術の稽古じみたちゃんばら遊びで、自分の一番古い記憶も、村の子供や兄弟たちが勲歌のごっこ遊びをしているのをみていた時のものだ。


 これは長老の歌をもとに役を配し、勲歌の場面……たいていは戦場での土壇場を演じながら多人数が一斉に切り合うというもので、ごっこ遊びとちゃんばらと演劇が合わさったような、雑で派手な遊びだった。


 もちろん勲歌をもとにしているので勝ち負けは最初から決まっており、大体は技量が上のものが勝つほうに配される。自分も最初に演ったのは無名の切られ役だった。


 まだ手に重い木剣を振り上げ、遮二無二打ちかかったが、相手は年長で自分よりも体格で勝っていた。容易く剣を弾かれ、返す刃で胴を払われた。


 凄まじい衝撃と悪寒、内臓がきしむ感覚と、一瞬遅れて生じた言葉にできないほどの痛み。


 それまでの人生で感じたこともなかった激痛に、腹をかばいこんだままその場に倒れこんだ。全身の筋肉が引き攣り、痙攣するように力が入る。どうして自分の体はこれ以上曲がらないんだ、体の深奥にまで潜り込んだ痛みを必死に押さえつけながらそんなことを考えていると、周りの少年たちの笑い声が聞こえてきた。


 やってるやってる、手加減しろよ、みんなああなるんだよ、初めてか、だれだっけあれ、村長のとこの四男、マニフィの胴抜きか、年下相手に、真剣勝負だろ。


 頭上から降ってくる言葉には、いまだ殻すら落とせていない雛鳥を見るような、微笑ましいものに対するある種の温かさえ感じられた。


 先達ゆえの無意識の優越や憐みなど、四男坊の自分には慣れっこで、そんなものは最初から気にもならなかったのだが、


「…………ッ!」


 痛みに顔を顰めながら顔を上げると、地面に転がった自分の木剣が目に入った。乾いた地面に打ち捨てられた剣の姿に、自分でも理由が知れない大きな感情が沸き上がった。


 それこそ勲歌の一節のようだった。息絶えた戦士の手から零れ落ち、戦場に朽ち果てる剣の嘆き、まってくれ、まだ戦える、相応しい使い手の手にあれば自分は———、


 その辺に落ちていた薪の一本に過ぎない木剣が、そんな風に嘆いているような気がした。悲しそうに、寂しそうに見えてしまった。


 ──歯を食いしばる、木剣をつかみ取り、支えにして立ち上がる、未だ腹の奥で疼く痛みも、周囲の驚きの声も気に留めない。


「──うあああああッ‼」


 木剣を掲げて斬りかかる、相変わらずの見え見えの上段。先の一幕とまるで変るところのない、先の知れ切った無駄な抵抗。


 それでも、戦わないわけにはいかなかった。


 思えば、初めて戦ったその日から、諦めないことだけが自分の戦いだったのかもしれない。



 結局、一太刀も入れることすら叶わぬまま、遊びが終わるころには足腰が立たなくなるまで打ちのめされ、二の兄の背に揺られながら家に帰ることになった。


 一の兄は斬られた奴が何度も立ち上がるな、場面が移らなくて皆退屈してただろう、などとくどくどと自分を叱ったが、二の兄が穏やかに宥めてくれた。


「あれだけ打たれて、泣きもしないで立ち上がるのは大したものだ、皆も褒めていたよ」


 自分の生まれた村は、年を通して冠雪の消えない東方大連峰の麓にあり、夏場でも日の落ちる時間の風は冷たさを感じさせる。夕暮れの帰り道、一の兄が先を行き、二の兄が自分を背負いながらそれに続いた。三の兄がその時どうしていたのかは記憶にない。きっといつもの顰めっ面で、最後尾を歩いていたのだろうと思う。


「うちの弟は根性がある。シティスはきっと、僕らの中で一番強くなれるよ」


 自分は、夕日を見つめたまま返事をしなかった。結局最後まで手放さなかった木剣を握りしめながら、地平線を覆う赤い光をただ眺めていた。


 ……そう、そのころ自分はシティス(渇き)と呼ばれていた。水をよく飲むから、くらいの意味だったと思う。もちろん通り名だ。


 といっても自分の育った村では通り名以外の名を持っているやつなど居なかったから、名前といえば通名のことを指した。父……村長が来客を遇す時も、アエクイ(春分)という通り名しか名乗っていなかったから、皆がそうだったのだと思う。逆に、央都では誰もが通り名のほかに本名をもっているということに驚いたくらいだ。


 ちなみに、二の兄の名はプロピテ(親切)と言った。まさに名前の通りの性格であったと思う。


 話を戻すと、その日から自分は剣術というか、ちゃんばら遊びにのめりこむことになった。朝も昼も、日が落ちて眠るときでさえちゃんばらの時のことを考えていた。


 家の手伝いがないときはいつも木剣を握っていたし、血豆がつぶれて手の皮が剥けても気にも留めずに剣を振るい続けた。


 あの頃は、それがただただ楽しかった。



 そんな風だったから、上達するのも人よりは早かった。重い木剣は一年もするとすっかり手に馴染み、腕の延長のように自在に動かせるようになった。剣に体を振り回されることがなくなると相手の動きを見る余裕ができて、そうなるともう同年代の子どもたちにはほとんど負けなくなった。


 切られ役が逆に相手を倒してしまうことも多くなって、ちゃんばら遊びの役柄はどんどん変わっていった。


 兄に勝ったのもその頃だった。


ちゃんばら遊びも終わりに差し掛かった時、疲れからわずかに構えの下がった三の兄の肩口に、狙いすまして放った木剣の切っ先が吸い込まれ、兄は苦痛のうめき声をあげてその場に膝をついた。


 皆が驚きの声を上げる。すぐに二の兄が飛び出し、うずくまる三の兄に駆け寄った。構えたままだった剣を下ろし、兄が介抱される様子を眺めていると、突然肩を引かれて振り向かされ、思いきり頬を張られた。


「馬鹿野郎シティス! 何をやってる‼」


 一の兄だった。わけもわからず何をするのだと聞くと、兄は信じられないものを見るような目でこちらを見た。


 どうもこの遊びには不文律のようなものがあって、頭は強くは打たないとか、突き技は禁止だとか、敢えて言葉にせずとも守らなければならない決まりがいくつもあるらしい。自分でもなんとなくそれらに従ってやっていたつもりだったが、その中には年上を負かしてはならない、というものがあるということだった。


 絶対というわけではないが、基本的に腕を競い合うのは同年代のみで、年長者相手には遠慮をしなければならない。ましてや実の兄弟ともなれば、万が一目下の者が勝ちでもすれば長幼の序列が乱れてしまう。それ故、兄の切られ役に配された時などは、黙って攻撃を食らい勝ちを譲るのが当然である──という一の兄の言葉に、自分は猛然と反発した。


 なにをくどくどと、そんなの剣じゃない。そもそもこの遊びは騎士になるための訓練を兼ねているのに、そんなのおかしいじゃないか、さんざん稽古だ真剣勝負だと言っておいて、黙って殴られろとは何事だ?


 拙い言葉でだいたいそんなことを言ったと思うが、兄の心には少しも響くところがなかったようで、鼻を鳴らして切り捨てられるだけだった。


「未熟者が、生意気な口をきくな!」


 最初は自分を非難するように遠巻きにしていた村の子供たちも、この時点では兄にも冷たい視線を向けていたように思う。温厚な二の兄でさえ難しい顔をしていたし、いまだに肩を抑える三の兄は、一の兄のほうをこそ睨んでいるようにさえ見えた。


 そもそも三の兄と自分を試合わせたのは、村長の長男で子供たちのまとめ役だった一の兄自身の采配である。そういった不文律があるからこそ、実の兄弟姉妹や近しい親族同士では試合を組まないようにしていたのもまた不文律だったのだ。一の兄はそれを破って三の兄と自分を戦わせたのであり、その兄がきまりをどうこう言うのは道理に合わないというわけだった。


 だが、当時の自分はそんな理屈よりも、自分の中の憤りだけが全てだった。未熟だと、弱いと言われて黙っているわけにはいかなかった。兄の前に進み出て、木剣を肩に担ぎあげて啖呵を切った。


「未熟かどうか、確かめてみろ!」


 兄の顔がさっと赤く染まり、次いで怒りに歪んだ。


「生意気に……! 後悔するぞ!」


 自分の木剣を掴み、兄もまた前に進み出る。


 思えば──兄は、順調に腕を上げ、ちゃんばら遊びとはいえ試合でそれを周囲に見せつける自分に、ずっと思うところがあったのだろう。村長一家の跡取りを自任し、厳格に秩序立った生活を好む一の兄にしてみれば、相手の年齢も立場も何も慮ることなく、ただ剣を振り回すだけの自分は、その立場からすれば目障りな存在だったのか。


 一の兄は弟たちを、ゆくゆくは自分に従い村の統治を助ける、部下のようなものだとすら考えていた節があった。その兄にしてみれば、この場で自分たちは兄の権威に傷がつかない程度の強さを見せていればいいのであり、年上に打ち勝つような……まして、ゆくゆくは兄を超えるのではと言われるような実力を身につけるなどということは、まったく余計で不愉快な話だったのかもしれない。


 妙な試合の采配も、そのあたりの焦りや不満に起因した仕置きのつもりだったのか。器が小さいと言ってしまえばそれまでだが、なにしろ子供同士のことである。体面や権威を傷つけられるということは、遠慮や容赦といったものがない分、あるいは大人よりも切実で敏感にならざるを得ない問題だった。


 だがこうなってしまっては、もうどちらに道理があろうが関係なかった。異様な組み合わせの立ち合い、それも忖度なしの喧嘩じみた気配に、周囲の視線にも熱が入る。ひそひそと言葉が交わされ、自然と自分と兄を中心に円を描くように子供たちが輪を作って観戦する。


 ほかの兄たちにも水を差すことを許さない、その場を支配する規則はたった一つ。子どもの……否、それに限らずいつの時代、場所でも幅を利かせる救いがたい馬鹿どもの価値観。


 どうしようもないほど乱暴で、故に如何なる反論も許さない単純明快な真理──即ち、勝ったほうが正しい。


 互いに剣を構え、やや遠間でにらみ合う。この時自分は7歳かそこら、兄は仮成人の年だったからたしか12歳。身長がまるで違うので、普通に対峙してもこちらから見れば遠間になった。


 つまりは兄にしてみれば相手は既に間合いの内に居るわけで、必然、先に動いたのも兄だった。


 目に怒気を滲ませながらも、その動きと戦術は冷静さを保っていた。即ち、体格の違いを生かして終始自分から攻め立てること。リーチで圧倒的に勝る以上、間合いさえ適切に管理しておけば己だけが一方的に相手を攻撃できる。そうでなくとも膂力や速度でも年下の弟に劣ることはないのだから、余計な小細工を弄する必要がない。


 圧倒的な実力差を周囲に見せつけ、その上で生意気な弟を叩き潰す算段だった。 

 嵐のように振るわれる木剣を、後方に退がりつつ捌く。一方的に追い詰められていくように周囲には見えただろうが、自分の心は落ち着いていた。


 いつの頃からだったか、ちゃんばら遊びで相手の攻撃が激しくなればなるほど、逆に気分が落ち着いていくことに気づいた。どころか窮地に追い込まれるほど頭は冴え、視界も澄み渡るように広がっていくのだ。


 この時もそうだった。兄の剣を掻い潜り、あるいは僅かにそらして躱す。呻りを上げる剣先ではなく、剣を握る手元と足さばきにこそ集中する。襲い来る攻撃にひたすら即応するうちに、怒りや焦りといった感情は不思議なほどに凪いでゆき、逆に獣じみた狂喜と暴性だけが次から次へとこみ上げてきて、牙を剥くように唇が笑みを形作る。我は戦士也、我は狼虎也、牙が乾くぞ血を寄越せ。


 さらに兄が踏み込んだ。自分の退き足よりも速く体を押し込んで間合いを制圧し、さらなる連撃でこちらを防御ごと押しつぶす構え。


 だが自分のほうもその瞬間を待っていた、退歩すると見せて後ろに下げた足で逆に地を蹴り、継ぎ足で一気に体を前進させる。


「──っ⁉」


 即座に彼我の距離が詰まる、兄がとっさに引き上げた木剣に自分の剣が叩きこまれ、そのまま鍔迫りの形になった。


 兄は上背を使い、ぐいぐいと木剣を押し込んでくるが、鍔迫り合いは普通の押し合いとは違う。互いの接触面は手元の剣のみ、そもそも単純な押し合いではなく、押し技と退き技の機先を伺いつつ相手の姿勢をいかに崩すかという駆け引きだ。ただ押し込めばいいというものでもない。


 だが、自分はあえて正面からの力比べに乗った。体重で圧し潰そうとするかのような兄の動きに対し、下から剣を押し上げるように力を込める。


「──何っ⁉」


 ぐいと剣を押し返され、兄の顔が驚愕に歪む。


 刀身のみを合わせた状態で力を込めるのはそれなりに難しい。


 兄は剣に充分に力を伝えきれておらず、その状態でこちらを圧倒しようとするあまり、必要以上に上から圧しかかるような体勢になってしまっていた。


 こちらが体の小ささを利用して体軸の下に半ば潜り込んでしまえば、支点が無い兄は体重以上の力はどうやっても出せない。対してこちらは伸びあがるように全身の筋肉を使うことができる。


 首元まで剣を押し上げられ、兄が戦術を切り替えた。その思考まで見えるようだった。


 驚愕と焦り、自尊心と憤怒、そして恐怖。


 五つも下の弟にまさか力で押し負けるとは思っていなかったのだろう。視線や表情を読むまでもなく、剣を合わせるだけで乱れ切った思考が手に取るように把握できる。


 ──体勢が悪い。胸元まで剣を押し込まれた状態では力が出せない。離れなければ。弟相手に押されて下がるみっともなさも、周囲の視線も今はどうだっていい。とにかく腕を伸ばして空間を作る。ただただ後ろに下がって仕切りなおすこと以外何も考えられない。今──、


 追った。


 兄の退き足に歩調を合わせ、退がる分だけ踏み込んで追随する。噛み合った剣先は毫も動かさず、ずるりと同じ距離を剣を押し込んだ姿勢のまま移動した。


「……っ⁉」


 兄の三度目の驚愕。苦し紛れに後ろに跳んだところを、一切の遅滞なく同じ動きをした弟が追ってきたのだ。剣と剣は貼りついたように離れず、視線を合わせたまま地面を滑る様に動く弟の笑顔は、兄にとっては魔物のそれにも見えただろう。


 剣から伝い来る意念が明らかに変化した。自尊心や怒りを凌駕する、純粋な生物としての恐怖。


 兄がもう一度後ろに退がろうとする。先ほどのそれと比してもなお必死な、完全に逃走を企図した後退。もはや剣からも戦意が感じられない、完全に腰が引けている。


 ならば、仕留めるだけだった。


 下がる動きを今度は追わず、代わりに手首を回転させ、兄の木剣を巻き取るように跳ね上げた。力はいらない。拍子を合わせ、適切に力を加えればあとは絡み合った木剣自体の剛性が仕事をしてくれる。


 高々と宙を舞う兄の木剣。呆然とその光景を見上げる兄。


 皆の目が回転しながら飛んでいく木剣を追っている間にも、自分は止まることなく動き続けていた。


 遠間での踏み込み、剣を弾き飛ばした体勢からそのまま打ち込みに移行する。ようやく兄がこちらに視線を戻した。いまや無手となり、自身が完全に無防備であることに気づいたのか、あからさまに怖気をふるい、両手で頭を庇う。


 最後まで、読み易い相手だった。


 剣を振り下ろす動きはそのままに、わずかに手首を返す。ほんの少し手元に変化を加えただけで、切っ先の軌道は大きく湾曲する。無様に掲げられた兄の腕を迂回する形で、がら空きになった脇腹に胴払いを叩き込んだ。


 くぁ、と苦鳴らしきものを漏らし、兄がその場に膝をつく。体をくの字に折り曲げ、額を地面にこすりつけながら、必死でわき腹を抱え込む。首筋に脂汗を浮かべながら、腹の奥まで打ち込まれた痛みに耐える姿は、初めてちゃんばら遊びに参加した日の自分の再現だ。


「「切られ役」が立ち上がってきても構わないぞ」


 周りの皆は言葉もないようだった。子供たちのリーダーだった少年が、精々半分の上背しかない弟にあっさり敗れた。十数える間もなく決着した決闘の顛末に、息をするのも忘れたように自分と、倒れた兄の姿を注視する。


 周囲の視線を無視して地面に転がった兄の木剣に歩み寄った。自分のものよりいくらか長いそれを拾い上げ、ようやく顔を上げてこちらを見た兄の目の前に突き立てる。


「……僕は何度でも、相手になってやる」


 倒れた兄を見下ろして告げる。気に入らないのならぶちのめせばいい。諦められないのなら何度でも立ち上がればいい。そして最後に勝ったほうが正しい。


 兄だろうが弟だろうが、女だろうが老人だろうが関係ない。皆が手にしたそれは、剣とはそうしたもののはずだと、その頃の自分は本気でそう信じていた。


さあ立て。


剣を拾え。


もっとやろう。(・・・・・・)


 自分の考えが伝わったのか、兄の顔色が変わった。


 顔に怯えの色を浮かべた兄はこちらに背を向け、ふらふらと立ち上がるとそのまま歩きだす。


 強く口を噤んだまま、覚束ない足取りで歩く一の兄の肩を、駆け寄った二の兄がそっと支える。そのまま振り返ることもなく歩き去る二人の姿を、皆が無言のまま見送った。


 三の兄がいつもの不機嫌な顔で周囲を見回し、ふんと鼻を鳴らした後、数人の少年に何事か伝えると、こちらを見もせずに兄たちの後を追った。


 やがて残った子供たちもばらばらと散っていき、最後に残ったのは自分だけになった。


 皆がいなくなった後、自分は兄が拾いもせずに帰った剣を、寂しそうなそれを引き抜くと、自分の剣と一緒に担いで家に帰ったのだった。



 家に帰るやいなや父親に殴られ、飯を抜かれて外で寝ろと言われたが、そんなことは気にもならなかった。軒下に座り込み、土壁に体をこすりつけるようにして寒風を凌ぎながらも、胸に抱えた剣を握りしめるだけで、自分は正しいという確信と、勝利者であるという誇りが腹の底から湧いて胸を満たした。


 そのまま眠らずに空が白むのを眺めていた。名も知らぬ星々の煌めきを数えながら、誰に誓うでもなく決めた。


 己の生き方を──剣を極め、最強の騎士になることを。



 次の日から、ちゃんばら遊びに自分の役はなくなった。一の兄はこちらに目を向けようともせず、家でもまるで自分がいないかのように無視するようになった。 


 三の兄はいつも通りの仏頂面で黙り込み、二の兄はしきりに自分から一の兄に詫びをいれるように勧めてきが、正直もう遊びのことも兄のこともどうでもよかった。



 それ以降、自分は子供たちの輪の中に入ろうとはせず、たった一人で剣を振り続けることになる。



 そんな日々が数年続いたある日、自分は彼女に出会ったのだった。



 その日も、自分は一人で剣を振っていた。

 勲歌は『海渡りメロローパの勲』思い描くは風管戦争の大英雄、鉄槌のガゼンナタス。大地の怒りそのものと言われた巨漢が、今、自分の目の前にいるのだと考える。


 踏み込む。鎧姿の巨漢は雲つく高さとの記述もあるが、住居のひさしに頭がつかえる描写から一般的な成年男性よりも頭二つ分ほど高い姿を想定。体の厚さは複数の描写からおそらく普通人の三倍以上。深い懐を存分に使い、迂闊に間合いに踏み込んだ獲物に豪打を叩き込む。


 ぎりぎりで身を躱す、破壊の化身のような鋼の塊にさらに肉迫する。岩すら砕く両手持ちの重鉄槌は受けの一手を許さない。怖気をふるえば死ぬ。後ろに下がったところで追い詰められ、頭を叩き潰されるまでの時間を先延ばしにすることにしかならない。死の暴風の内側にしか活路はない。鎧の隙間に剣を突き入れるべく、さらに前へ──。


 勲歌から古代の騎士の姿を夢想し、仮想のそれといかに戦うべきかを考え検証するというのが、そのころの自分のお決まりの遊びであり訓練だった。


 漫然と剣を振っても身に付く物はなく、なにより面白くない。様々な勲歌にて語られる神話の英雄たちの戦いを自分なりに検証し、その戦法を理解しようと試みる。時には英雄になりきるように彼らの技を修練し、時には逆に英雄の技を破るための戦形を自分なりに考察する。


 まともな剣術の指南を受けたことさえない素人の、生兵法の上に生兵法を重ねるような稽古ではあったが、当時の自分には他にやりようがなかった。そもそも一人しかいないのだから、何をどうやっても想像の相手と戦う他ない。


 なので、練習相手の存在が欲しくなかったといえば噓になる。


「ねえねえ、いっしょにやろうよ」


 想像上の鉄槌に五回ほど叩き潰され、煮詰まっていた所に声をかけられた。


 相手が誰かはもうわかっていた。ここ数日、自分の稽古を見に来ていたちびのガキだ。


 最初はこちらを恐れるように遠巻きに眺めていただけだったのだが、そのうち少しづつ動きが大胆になり、距離もどんどん近づいていった。最終的にすぐ近くに座り込んでこちらを観察しつつ、それはなにかとか、なにをしてるのだのとあれこれ声を掛けられるようになり、もとより人当たりが良いとは言えない自分は、少しうるさく感じるようになってきていた。


 そろそろ殴って追い払おうかなどと思っていたところにかけられた言葉に、思わず剣を下ろして振り返ってしまう。


「……一緒にって、剣をか?」


 木剣を示して見せると、背の低い少年は勢い込んで頷いた。妙に嬉しそうなのは普段ろくに返事もしない自分がまともな反応を返したからか、笑顔になると前歯が一本欠けているのがわかる。「馬鹿面」チルテバクという英雄の勲歌を思い出しながらも、疑問を口に乗せた。


「剣術がしたいなら、川向こうでやってるのに混ざればいいだろ」


「入れてもらえないもん」


 兄と村の子供たちのやっている遊びに混ぜてもらえと言ってみたが、答えは簡潔だった。


 まあそうかと思う。目の前のちびは、数年前に父親と二人で村に移住してきた新参だった。


 嫁や余所の村で養いきれない子供が養子として貰われてくることはあっても、一家がそろって村に移住してくることなどほとんどない。排外的で疑り深い村長が受け入れたのだから、逃亡農奴や犯罪者の類ではあるまいが、では自由身分の人間がなぜこんな田舎に越してくるのだという疑問は残る。


 ちびの父親は無口な男で、ふらりと村にやって来るや、村の大工(兼農家というかそちらが本業だが)に小さな小屋を建てさせ、そのまま居着いてしまった。賦担の類はきちんとしているようだったし、礼物をけちるような人間でもなかったが、いかにも訳ありの余所者というだけでも、山奥の寒村という閉鎖的な環境では、それとなく避けられるのには十分な理由になった。受け入れられたというより、今のところ追い出す理由がない、といったほうが正確だったかもしれない。


 父親からしてそんな調子だったから、その息子であるこのちびも、兄をはじめとした村の子供たちの遊びには混ぜてもらえなかったのだろう。それで仕方なく、一人だけ離れた場所で剣を振り回す変な子供であるところの自分に近づいてきたという訳だった。


「……お前、剣は?」


「持ってない。勝手に拾っちゃだめだって言われて……」


「…………ついてこい」


 少年を伴って薪拾いの森に入り、適当な枝を見繕ってやる。


 薪の一本ですら村の財産なのだから勝手に拾うことは許さないとか、いかにもあの兄の言いそうなことだった。閉鎖的な村の空気にうんざりと顔をしかめながら、細かい枝を落としたそれを相手のほうに差し出す。


 ちびがうれしそうに即席の木剣を受け取るも、それだけでふらふらと足元がよろけた。たしか同い年くらいだと思ったが、ずいぶんと痩せて背も小さい。


「あ、ありがとう。大事にするよ!」


「…………」


 自分は小さくため息をついた。一人きりでの修練に不安がないではなかったし、練習相手が欲しいという思いはあったが、これではとても期待できそうにないと思ったのだった。


 元の場所に戻り、とりあえず立ち会ってみることにした。


 剣を持って対峙し、かかってくるように示してやると、ちびは何やらむにゃむにゃ唱えながら木剣を振り回し、最後に思い切り両手で振り上げ、そのまま一直線に打ちかかってくる。


 反射的にやや半身になりながら捌く。体ごと横を向きつつ振り下ろされる相手の剣を打ち払う動きだけで、やせっぽちな上体が思いっきり前に流れた。


 完全に無防備になったちびの頭に、これまた反射的に返しの一打を入れてしまう。


「痛ったぁ──っ⁉」


「…………」


 軽くとはいえ木の棒で頭をシバかれればそれは痛かろう。さすがにやりすぎたかと思ったが、ちびはすぐさま立ち上がると、更なる闘志を瞳にたたえ、再び突進してきた。


「まだまだぁ──‼」


 がむしゃらに剣を振ってくるが間合いの見切りが甘すぎる。一歩前に出て小手払いをかけるだけのつもりが、またも反射的に蹴りまで入れてしまう。


 最近は空想上の英雄とばかり戦っていたせいもあるだろうが、考えてみればこれまでの人生で手加減というものをしたことがない。そのせいか、ほどほどに相手をするということが全然できないのだった。


「ぐぶぇぇぇ……」


 ちびが腹を抑えてうずくまる、小手も初めてもらったのなら相当痛むはずだ。


 終わりかと思い剣を下ろして近づこうとした瞬間、ぞわりと首筋が粟立った。


「隙ありぃぃっ!」


 腹を抱えた姿勢は誘いだった。


 うずくまった状態から片膝を立て、座り技の抜き打ちを放ってくる。狙いはこちらの脛斬り……のはずだが、筋量が足りず地面スレスレを振りぬくことができていない。


 やや上向きに体を捻じりながら無理矢理に振るった結果、その軌道はこちらの大腿部、内腿の血管を狙うような動きになり、それはそれで避けにくかった。


「あだぁ⁉」


 それでも、まともに剣を振る力もないような奴の片手打ちを、わざわざ食らってやるほどのお人好しでもない。


 右斜め下方から迫る剣を、前方に跳んで躱す。


 屈んだちびの頭上を飛び越え、空中で一回転して着地する刹那、ちょうどいいところにあった頭を、やっぱり軽く打ってしまう。思いっきり体が泳いでいて実に殴りやすい。


「っ、ま、まだだぁぁぁあ!」


 もはやヤケクソの態で、それでもちびは立ち上がって襲い掛かってくる。諦めを知らない底なしの闘志は、いつかの誰かの姿を見ているかのようだ。


「…………」


 なんとなく気恥ずかしさを感じながらも、構えの隙のある部分に──つまりは全身にということだが──満遍なく木剣を打ち込んでいく。


 どうも根性はあるというか、なんとなく遠慮する必要はないと思ったのだった。


「あだあぁぁぁあ⁉」


「…………」


 結局その日は日が暮れるまでの間、初めて剣を握ったであろう少年をひたすら小突き回し、よろよろと去っていく後姿を見送った後、自分も家に帰ったのだった。



 翌日、さすがにもう来ないだろうと思っていたが、ちびはやってきた。


 打たれた跡は一夜を経て青黒い痣に変わっていた。それらが全身を満遍なく、ほとんどマダラに染め上げる有様は相当に痛々しい姿だったが、本人は気にした様子もなく、笑顔で声をかけてくる。


「遊ぼう!」


 第一声からしてこれで、10年も昔からの友人のような顔で近づいてくるちびの姿に、自分はやや憮然として向き直った。


「……これは遊びじゃ──」


 ない、と言おうとした言葉は途中で止まった。先述した通り、村の子供にとっては剣術の稽古と遊びに違いなどほぼ無い。


 実際に剣で身を立て、武芸で禄を得ることが叶うことになる者など殆どいないことなどを考えると、子供の剣術修行もどきを、遊びと言われてしまえばそれはその通りという気もする。


 中でも自分はたった一人で想像上の敵手を相手に剣を振るうという、傍目には遊戯としか映らないであろう行為を延々と続けている変わり者であり、自分でも果たしてこれで強くなれるものなのだろうか、とか思わないでもないので、尚更それを否定し辛かった。


 ……もっとも、その頃の自分は知らなかったが、盗賊などに身を堕とし、暴力で口を糊することになる者は村にもそれなりいた。というか深刻な飢饉の年などは村が丸ごと山賊と化すこともままあり、それらに対抗する必要性も考えれば、剣術は収めておくに越したことはない技能ではあったのだが。


 自分が黙り込んでしまったのを他所に、ちびのほうはお構いなしに話を進めていった。


「今日は勲歌ごっこしようよ。『ムルシエルの勲』がいいな。私が『赤角のパメオン』で、君が『血の道を往くトリミイリオス』ね」


 村の子供がする勲歌ごっこを、この少年もやりたいらしかった。


 それにしても赤角のパメオンとは、と思う。大逆戦争時代の騎士で、いくつもの勲歌で主役として描かれる大英雄である。


 目の前のちびが演ずるには控えめに言っても烏滸がましい、ついでにそれにコテンパンにやられる切られ悪役に自分が配されていることも引っかかったが、あえて口にはしなかった。全身に残る青あざを見ると、流石に昨日は殴りすぎたな、という気分にもなる。


 ……仕方ない、付き合ってやるか。


 ちびに正対し、剣を構えた。普段のそれよりやや大仰に姿勢を崩して見得を切る。


「……産湯をつかるはレンドリアは霧の谷、育ちはタウベラルトの予言府院。立ちふさがるは不心得故皆殺し、縋る凡ては煩わしい也斬り捨て御免、屍山血河を踏み越えて、紅い轍を曳く処刑人。やがて天上の貴御座に辿り着くまで、阿房の屍肉を、軽骨を、積み上げ重ねて御階とせん!

 さあ!今宵我が剣に掛かり、轍となって踏みならされるのは誰だ⁉」


 ……物心ついたころから続けてきただけのことはあった。結構なブランクがあったが、体はごっこ遊びの作法をしっかりと覚えていた、特定の所作で見得を切るだけで、やたらと冗長で難解な名乗り口上がすらすらと口から滑り出る。


 ちびの瞳が輝いた。いそいそと剣を構え、だだんと震脚を踏んで見得を切る。


「生まれも育ちも地名とくれば定かならず、この現世に絶えることなき地獄の風景、我が故郷こそは戦場の二文字!」


 よろよろとよろけながらも剣を振り回す。いかにも危なっかしいその所作は、昨日も立ち合いの前にも見せたものだ。


 ──なるほど、あのもごもご言っていたのは口上だったのか。


「だが故にこそ!止まらぬ 惨苦を止めんがため、終わらぬ悲劇を終えるため、ただそのためだけに私はこの剣を振るう‼

 災禍の使者よ、我が剣を恐れよ!赤角のパメオンが魔剣『アドホク(他の何故でもなく)』を‼」


 最後にもう一度足を踏み鳴らし、こちらに向かって剣を構えた。


 ずっとやってみたかった、という心持ちがまっすぐに伝わってくる立ち姿に苦笑が漏れる。ちびの口元は浮かぶ笑みを噛み殺そうとしてできずにむにむにと緩み、剣先は待ちきれないというように揺れていた。


「……では、尋常なる立ち合いを──」


 半身で手首を返し、剣を目線の高さに上げる、「月」と呼ばれる構えで待ち構える小さな英雄に対し、「嘲り」と呼ばれる、片手に持った剣の切っ先を軽く回す動きで歩み寄る。基本は送り足、まっすぐ進むのではなく、相手の右手側に回り込むように動くのがこの戦形の基本だ。


 勲歌『ムルシエルの勲』に謳われる悪漢『血の道を往くトリミイリオス』はそのいかにもな悪名に反し、巧妙なる防御を得意とする護剣の達人である。その動きを、自分なりにイメージして再現するよう努める。


 一見無造作な足取りであっさりと間合いを割る、ちびの剣が反応する、さあ──



『──いざっ‼」




 ……考えたこともなかったが、自分は自分で思っているよりも調子の良い性格だったのかもしれない。


 ちびに請われるがままに勲歌の英雄悪漢になりきり続け、結局日が暮れるまでチャンバラごっこをして過ごしてしまった。


 もう家族は皆眠りに就いているかもしれない。魚油が豊富な都とは違い、山間部の寒村では日が落ちればすぐ床に就くものだ。この頃の自分の生活はだいたい夜明けから始まり、家の手伝いの後朝食、そこから本格的な作業を挟んで午食を摂り、その後は日が暮れるまで剣を振るというものだった。


「……痛むか?」


「ううん、平気」


 それはそれとして手加減ができないのは相変わらずだった。新しくできた痣をさすりながら夕暮れの道を歩くちびと、何とはなしに言葉を交わす。


「明日も来るのか?」


 つい聞いてしまう、別に来てほしいというわけではないが、気になった。


「……来てもいい?」


 ──いや、いまさら聞くか?


 呼ばれてもいないのにやってきて、強引に遊びに誘ってきたと思ったらこれである。正直、思考の方向性が読めなくて調子が狂う。


「やっぱりお前、変なヤツだな……。そうじゃなくて、明日も来るなら木登りとか、なんか別のことして遊ぶか?」


 殴られてばかりではつまらないだろう、と思って聞いてみる。というかこのまま勲歌ごっこばかり続けたら、数日でちびの全身が紫色に染まってしまう気がする。


 正直自分は剣術以外にはまったく興味がないのだが、木登りなど体を使う遊びなら、同時に体を鍛えられるので付き合っても良い。勲歌でも、立木を重い木剣で打ったり、体に重りをつけて川を泳いだりといった鍛錬をする英雄の唄を聞いたことはあったので興味はある。


「ううん、剣術がいい」


 だが、ちびはかぶりを振ってそう答えた。


「……強くなりたいんだ」


 歩きながら手に持った剣を掲げる。夕空にきらめき始めた星、その輝きのことごとくを切り伏せようとでもいうように。


「強くなれば、力があればもう失わなくていい。なにも諦めないでいいんだ。勲歌の騎士みたいな力があれば、なにひとつ……」


「…………」


 ……自分も、この村がとんでもない田舎であることくらいは知っている。


 そんな東方のド辺境まで、ちびはその幼さで父と二人、流れてきたのである。並々ならぬ事情や過去があることぐらいは、自分でも察することができた。


「…………」


 そして、同時にこうも思った。こいつは兄たちとは上手くやれないだろう、と。


 ちびは真剣に強さを求めている。理由はわからないが、あれだけ殴られてもまるで堪えずに稽古を続けようというのだから本気なのは間違いない。


 そういう意味では自分と同じということになる。


 そしてそんな自分があの集団の中でどうなったかを考えれば、ちびもろくでもないことになるような気がする。


 もちろん、ちびが自分などよりよっぽど賢く、一の兄やほかの子供たちとうまくやっていける可能性もなくはない。


 だが、相手はあの兄である。そもそも現状からして訳ありのよそ者を集団からはじき出そうとした結果こうなっているわけで、今後にまともな対応が期待できるとも思えない。


「……そうか」


 正直、余計なお世話かもしれないと思う。


 自分とチャンバラ遊びをしていたからと言って、強くなれるとは限らない。素人のめちゃくちゃな訓練に付き合って、ただ時間を無駄にしてしまう可能性もある。


 どころか自分なんかとばかり遊んでいれば、いよいよ村の主流からは外れてしまうだろう。この小さな村では、それは結構な生きづらさになってしまうかもしれない。


 だが……。


「……じゃあ、明日もあの場所で勲歌をやるか」


 つい、そう言ってしまった。自分は自分で思っていたよりもお調子者で、おまけにおせっかいな性分だったようだ。正直、そんなこと知りたくもなかったのだが。


「──っ! うん‼」


 軽く遠い目になる自分に、ちびは人間はこんなに喜べるのかと思うくらいの全力の笑顔で答える。薄暗い田舎道をゆく足取りが、見る間に浮ついて危なっかしく揺れだした。


 宙を歩いているような覚束ない足取りで、くるくると体を回転させ、全身をつかって喜びを表現する。やった、やったと口にしながら夕空を仰いで両手と木剣を振り上げる。


 頭がおかしくなったようなちびの振る舞いに、自分は何も言うことができず、ただ黙ってその奇妙な踊りを見続けることしかできない。


 ──分からない。こいつの考えていることは、何から何まで理解できない。


 鼻つまみ者のガキとチャンバラの稽古をするようになったことの、何がそんなに嬉しいのか?


 疑問に思っても、答えてくれる相手はいない。


 結局そのあとは黙って家に帰った。ちびはそのまま空にでも飛んでいきそうな様子で、ふらふら歩く背中を、やはり無言のまま見送った。


「ねぇねぇ!」


 と、思ったら戻ってきた。


 なんだ、と問うと、ちびはうれしそうな笑顔のまま口を開いた。


「名前! なんていうの?」


「…………」


 これまた今更の話だった。そういえば名乗ってなかったし、聞いてもいなかった。今更ながら、剣とかかわらないことにはまったくと言っていいほど興味がわかない、自分の偏屈さに気づかされる。


「……シティスだ」


「シティス! いい名前だね!」


 褒められた。ありふれた名前だと思うが、何か感じるところでもあったのだろうか。


 しばらくシティス、シティス、と繰り返したのち、こちらに向き直る。


「私の名前はね、ススルス(ささやき)っていうの! これからよろしくね!」


「…………」


 不意を突かれて、さすがに言葉が出なかった。


さすがにその名はないだろうというか、どこの馬鹿がこのやかましいちびにそんな名をつけるのか?


 まったく、なにひとつとして、わからないことばかりだった。

 



 こうして、ちび……ススルスと自分は、一緒に剣の稽古をする間柄になった。


 というより、自分は、生まれて初めて友人ができたのだった。





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