第5話 ギャルズトーク(前)

 進路目標が決まってからは、これまで悩んでいたことが嘘のように楽になった。どこの大学に行きたいかというところまで考えられていないから、そこは今後決めていかなきゃいけないところだけど、とりあえず、今はできることをするべきだと思う。できることといったら、当然だけど一番は勉強。元々勉強する習慣は身に着けていたけど、勉強はいくらしたって損はない。成績がよければ、その分可能性と選択肢は広がっていく。これからは元よりあった勉強習慣をより強化していこうと思う。

 目標が定まったから、勉強に対するモチベーションは自然と作ることができた。キツく感じることはあると思う。でも、そんなことは大した問題じゃないと思う。自分の中で向かっていくべき方向性が定まっているかどうかは大事な気がする。ただ漠然と勉強しているだけじゃ、何のためにやっているのかわからないから、身につかないんじゃないかとアタシは思ってる。これは勉強だけじゃなくて、何をするにもいえることかもしれない。人間はそんなに出来たものじゃないから、どうしたらいいのかはっきりと理解していないと自分のためにならない気がする。

 どこの大学に行きたいか、何を学びたいのかはゆっくり考えていけばいい。アタシはまだ高校2年。残された時間はあまり多いとはいえない。それでも、まだ時間はある。今すぐに期限が迫っているというわけではないから、使える時間は最大限使って、最後まで悩んでいたい。必死になって悩み抜いた末の選択だったら、たとえどういう結果になったとしても、少しは後悔が薄れると思うから。


 進路のことはひと段落つきかけているような感じはする。だけど、アタシの中の問題には別の物が生まれてきていた。大学進学することが決まったのはいいことだけど、それから先生に呼び出されることはなくなった。アタシが声をかけないと、これまでみたいな放課後の、ふたりだけの時間を作る機会がなくなってしまったのだ。そのせいか、最近は学校で過ごしていてもあまり楽しくないというか、何か物足りないような感覚がある。アタシの中で随分と先生が大きな存在になっているみたいだ。

 アタシから特別な用事がなくても、先生のこと呼び止めてもいいのかな。進路相談っていう大義名分を失ってしまったアタシは先生に声をかけにくくなってしまった。思ってた以上に、アタシは先生との時間を楽しみにしていたらしい。それを失ってからというもの、アタシはずっと何かが足りないような感覚があって、一抹の寂しさを覚えていた。

「なーんか、最近るあってば付き合い悪くね?」

「いやそれなー。最近るあぴにかまちょしても全然構ってくれんしー」

「えっ、そ、そうかなぁ……」

「話しかけてもどこかうわのそらって感じだし」

 アタシは別に、友達たちを邪険に扱ったり、冷たくしてるつもりなんて一切ない。でも、最近は放課後先生と一緒にいることが多かったのは事実。いつも遊んでいるみんなからの誘いを断っていたことも何回かあった。言われてみれば、このふたりと話したのもなんだか久しぶりな気がする。それでこの反応なのだとしたら、アタシが悪いか…。実際、今だっていつものグループで集まって駄弁っていたところなのに、アタシは先生のことばっか考えていたわけだし。

「もしかして、ウチらるあぴに飽きられた…?ぴえん」

 いや、そんなわけない。そんなわけないんだけど、なぜだか明確に否定することができなかった。

「てゆーか、最近いつも放課後何してるわけ?もしかして、呼び出しでも食らってんの?」

「うん、まあ、そんな感じかなぁ…」

 厳密にいうと、呼び出している側のほとんどがアタシだから、当たってはいないんだけど、外れでもないわけで。実際に呼び出されてもいたし、結局どちらにせよ先生と会ってることには変わりないから、否定するのもなんかしっくりこなかった。それに、少し前までは実際に呼び出したり、呼び出されたりしていたが、ここ最近は違った。放課後はひとり教室でぼーっと考え事してたり、まっすぐ家に帰って勉強したりしていた。ここ最近のアタシが付き合いが悪いと思われているのは、明らかにこのせいだったのだと自覚した。

「ぎょえぇ!?呼び出しとかマ?え、なになに。るあぴ、不良にでもなったん?」

「ちげーし。ていうか、なんでアタシが悪いことした前提なん?」

 両親といい、友達といい、みんなしてなんなん…?アタシってそんなに不良っぽく見えんの?確かに、派手で目立つ格好はしてるけどさ。でも、だからって不良呼ばわりされるのはあんまいい気しない。ていうか、ギャル仲間にそんなこと言われるのは心外なんだけど。

「ちょちょちょちょい、タンマタンマ。るあぴおこなん?ごめんティー。許しちぇ……?」

 アタシが少し怒ってるのを感じたようで、つっきーこと月岡茉優まひろはすかさず謝ってくる。少しむっとした程度のつもりだったのだが、思いのほか感情を剝き出しにしてしまったようだ。冷静になって少し反省する。しかし、初めからそれほど怒ってはいなかったけれど、つっきーの顔を見たらすぐに怒りのエネルギーはどこかへ行ってしまった。上目遣いで、瞳を潤ませながら許してくれだなんて懇願されて、許さない人なんているだろうか。しかも、すこぶる顔がいいというおまけつき。

「…そんな顔されたら怒れないっての」

「わーい。るあぴマジ神!しゅき~ホント好きすぎ!!愛してりゅ~」

 心の底から安心し切った様子でつっきーが抱きしめてくる。少し痛いくらいしがみついてくる。確かに痛いけど、この痛みは嫌なものじゃなかった。どこまでもつっきーの暖かさを、文字通り肌で感じることができているから。

 つっきーは良くも悪くも、一切の裏表がない。だからこの子には打算や作為的なものはまったくなかった。今みたいに、デリカシー皆無なことも平気で言ってくることもあるけど、そんなことは気にならなくなるくらい、明るくて朗らかないい子だと思う。天真爛漫という言葉は、この子のためにあるんじゃないかと思うほどにしっくりくる。

「それはそうと、呼び出し食らったりするくらいなんだから、実際になんか問題はあったってことっしょ?」

 「…うん。進路のことでちょっと悩んでたから相談に乗ってもらってた」

「あー、なんだぁ。そゆこと?すみみん担任だもんね。そりゃ心配にはなるかー」

 「担任だから」ということを意味する言葉に、なぜか引っかりを覚えた。まったくもって、おかしなことはないはずなのに。もし、アタシが担当クラスの子じゃなかったら、同じように相手してはくれないのかな…。

 あぁ、またこれか…。最近、どうにもおかしい。先生のことを考えていると、先生のことが誰かの話題に出てくると、アタシは決まっておかしな気分になる。ひとつひとつの言葉に、異様なまでに過剰反応して、一喜一憂してしまうのだ。

 アタシ、どうしちゃったんだろ。こんな感覚、初めてだった。初めてのことで、経験がないから、アタシはこの気持ちとどう向き合えばいいのかわからなかった。今のアタシは、困ったことがあったら誰よりも先に先生に聞いてほしいって思ってる。だけど、どうしてかこの気持ちについての悩みだけは先生に伝えるのが怖かった。だからといって、友達や親に話す気にもなれなかった。吐き出せない気持ちは、どんどん溜まっていくばかりだ。

 このままアタシの中に溜まり続けてしまったら、どうなっちゃうんだろう。

 そんな未来を少しだけ想像してみたけど、すぐになかったことのようにして考えることをやめた。このまま考え続けていたら、アタシはどんどんこの真っ黒な何かに飲み込まれてしまいそうだと思ったから。

「……るあぴ?」

「…えっ、な、なに…?」

「るあぴ、さっきからずーっと難しい顔してんじゃん。進路のこと以外にも悩み事とかある感じ?」

いっちゃっても、いいのかな…。自分の中で考えがまとまってないから、吐き出すのをどうしても躊躇ってしまう。

「吐き出したら楽になることもあるよ。アタシたちに話したくないっていうなら、無理に聞き出したりはしないけど」

 「万依禾…」

 清和せいわ万依禾まいかは最後まで語らかなったが、言わんとすることは伝わってきた。無理に話さなくてもいいけど、話してくれないのは寂しいと思っていることが、視線から、表情から、わかりやすく伝わってくる。あえて言葉にしないのは万依禾なりの優しさなのだと思う。

「……自分の中でも考えがまとまってなくて、ぐっちゃぐちゃで、わけわかんないんだけどさ…」

 本当に、なんと伝えたらいいのか、そもそも、何に対して悩んでいるのかが全然わからない。わからないけど、きっと、アタシは……。

「和田先生のこと考えてると、なんでだかわからないけど、変な気分になっちゃうんだよね。アタシの心の中が乱されてるみたいで、落ち着かない感覚っていうか…」

アタシは自分の抱えている違和感を、疑問をありのまま打ち明けることにした。 

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恋はつもれどはかれない 柊木創(ひいらぎ はじめ) @hiiragihazime

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