第4話 Re:お悩み相談

 家族会議が終わった翌日、アタシはさっそく大学進学が両親に認められた旨を先生に伝えにきていた。

 「先生、聞いて聞いて!!」

 「随分と嬉しそうですね。そんなに慌てなくても、私は逃げたりしませんよ」

 そんなに浮かれているように見えたのだろうか。それに対して、先生はいつも通りのすまし顔。アタシが嬉しそうにしているからか、心なしかどこか嬉しそう。だけど、それさえひっくるめて先生にはどこか大人の余裕みたいなものが感じられた。この差は一体なんなのかと思うと、頭の中がぐるぐるしていく。アタシが大人になるには何が足りなくて、先生とは何が違うのか。いくら考えても答えが出ないから、先生と自分を比べるといつだって頭の中がぐっちゃぐちゃになる。

「先生っていつもさりげなく子ども扱いしてくるよねえー」

「まぁ、子どもなので」

 いや、そりゃそうなんだけどさ。そうだけど、アタシはちょっとでも大人だって思われていたいわけで。先生の態度には自覚があったのだと知って、少しだけムカついてしまう。仕方ないことだってわかってるけど。

「確かにまだ子どもだけどさー。でも、見た目だけならもうだいぶ大人っぽいと思うんだけど」

「…そうかもしれませんが、見た目で判断されるのは朝比奈さんが一番嫌いなことではありませんか」

 本当にその通りだった。先生はいつもこうだ。先生はまるで全部わかりきっているかのような調子で、淡々と私の気持ちを言い当ててくる。本当に、全部見透かされているみたいだ。けど、不思議とそれに不快感はなかった。先生にはなんでもお見通しで、アタシの心は丸裸にされる。なんでも知られているなんて、普通は嫌だと思うけど、どうしてだろう。アタシは先生に対してならいいと思えるんだよね。

 胸の中の奥の方が、ちょっとだけムズムズするような、変な感じはするけど、この感覚、アタシは嫌いじゃなかった。だって、身体の内から外側まで、じんわりと温まっていくような、そんな心地よさも一緒にあったから。そんなこともあってか、実は先生に子ども扱いされるのも嫌いではなかった。アタシのことを子ども扱いしてくるときの先生は、いつもより優しい表情をしてる。きっと先生は子どものことが好きなのだろう。アタシに限らず、生徒に自慢話なんかをされている時は、とても嬉しそうにしながら聞いてくれるから。まあ、少しずつ成長してるんだから、もっと褒めてくれたっていいじゃん、とは思っちゃうけどね。先生はいいと思ったらすぐ褒めてくれる人なのに、こういうところに関しては全然褒めてくれない。先生から見たら、まだまだ未熟ってことなのかな。

 だけど、こんなことを考えてるなんて先生に知られるのはやっぱり恥ずかしいから、

「そうだけど、そうだけどーぉ。少しくらい認めてくれたっていいじゃん」

 拗ねたように文句を垂れ流した後、「ぶーぶー」なんて、本当に子どもみたいなことを言いながら悪態をついてみる。こういうところが、子どもっぽいってことなのかな。

「心配しなくても、あっという間に大人になりますよ」

「あーあ。早く大人になりたいなぁ」

「…大人なんて、そんなにいいものじゃないですよ」

 先生の瞳はどこか憂いを帯びていた。その瞳は大人になんてなりたくなかったと語っているようで…。

 大人はみんな大人になんてなりたくなかったっていう。大人になるって、そんなに嫌なことなのかなぁ…。

 アタシは本当に早く大人になりたいと思ってる。でも、それってなんでなんだろう。理由を聞かれたら、答えられないかもしれない。

 いや、きっと…。きっと、先生に早く追いつきたいんだと思う。先生と生徒っていう、上下関係のある関係じゃなくて、ただのアタシと、「和田さん」として、対等な関係で過ごしたい。そんなことを思うのは我儘なのだろうか。

「子どもはたくさん大人に甘えていいんです。だから、私のことを頼ってくれてもいいんですよ」

「それはもちろん、とっても頼りにしてるしっ。てか、またアタシが愚痴ってばっかになってるし。大学のこと話しに来たんだった」

「話を聞く前から、それだけ嬉しそうにしているのを見ていたら、結果がどうだったかは容易に想像がつきますけどね」

 そういって先生は微笑ましそうな顔をしてこっちを見つめている。むぅ…。やっぱり子ども扱いしてる。いつかびっくりさせて、その余裕そうな面の皮ひん剥いてやるんだから。

「ともかく、進学の道が開けたということは、朝比奈さんにとってよいことだと私は思います」

「その気がないのであれば、無理に進学する必要はないと思います。ですが、朝比奈さんは学力も校内では高い方ですし、少しでも進学したいという気持ちがあるなら、そちらを念頭に置いていいと思います」

「それもこれも、先生のおかげだよ。アタシひとりじゃ、答えなんてでなかった。期限を一旦先送りにしただけな気もするけど、せっかくアタシは大学に行ける権利があるんだし、行きたいって、そう思った」

 権利ってのは、行使して初めて効力を持つものだからね。持ってるだけでいいものなんて、ほとんどないような気がする。せっかくもらった権利だ。アタシは存分に使わせてもらうことにする。

 直近の問題が片付いたこともあって、それからしばらくは雑談に花を咲かせていた。先生だって暇じゃないだろうに、アタシの我儘に付き合ってくれる。流石に片手間にノートパソコンで作業しながらではあるけど、それでもアタシに構ってたら効率が悪いはずだ。作業をしながらも、アタシの話はちゃんと真剣に聞いてくれる。ただの雑談であっても、適当に流したりしないで答えてくれる。それでいて仕事もこなしちゃうんだから、先生はとても器用な人なんだと感心していた。

 話題に挙がっていたのは、なんでもないようなことが中心だった。今日は最近流行りのメイクとか、ネイルとか、髪型とか。そういうファッションの話題が中心だった。先生はあまりそういうことには興味がないみたいだけど、熱心に語るアタシの話を真剣に聞いてくれた。興味がないと言っている割には、おすすめしたものは調べてくれるし、それについて感想をくれたりする。案外、興味がないってわけじゃなくて、そういう機会がないから関心を持ちにくいだけなのかもしれないと思った。先生は学校ではいつもスーツだし、休みの日はあまり出かけず家で過ごすことが多いみたい。そういう生活スタイルだったら、確かに服を買う機会も着る機会も少ないから、関心がなくても何ら不思議じゃないとは思った。

 ふと、先生のことを見つめてみる。ただノートパソコンで作業をしているだけなんだけど、その姿がなんだかカッコよく見えた。少し傾いてきた日差しが、先生の顔をめがけてぶつかってくる。少し顔をしかめながらも、日差しのことなんてお構いなしという様子で淡々と作業を続けている。眩しいならカーテンを閉めて電気をつければいいのに。先生のそんな姿はちょっぴり可愛く見えた。

 というか、もうこんな時間なのか。段々と帰らなきゃいけない時間が近づいてくる。先生はいつも暗くなる前には帰るように厳しく言ってくる。普段あんまり厳しことを言ってこない先生が、どうしてそんなに口うるさく言うのか気になって聞いてみたら、

 「朝比奈さんみたいな可愛い子が、ひとりで夜道を歩いていたら危ないでしょう」

 と、凄く真面目な顔で、当たり前のように言われた。先生って、たまにこういうこと平気で言うんだよね…。口数はあまり多くないのに、たまにクリティカルヒットするようなことを言ってくるからズルいと思う。

 単なる社交辞令の可能性もなくはないけど、先生に可愛いって言われたことは素直にうれしかった。それに、先生の言ってることは何も間違ってない。女がひとりでいるというのは、どう考えても安全なことではないから。

 

 アタシが呼び止めれば、先生はいつでも居残りしてくれた。最近はアタシが進路希望調査に苦戦していたから、先生の方から呼び出されることもあったけど。それは別としても、アタシが声をかければいつでも快く応えてくれる。アタシはそれがたまらなく嬉しく思う。

 けど、アタシ以外だったらどうなんだろう…。先生は来る者拒まずって感じだから、どんな人でも生徒が頼ってきたら応えてくれそうだ。別に、アタシのことが特別だからいつもアタシに構ってくれているわけじゃないんだろうと思う。

 例えば、男子生徒が真剣に悩みを相談していたら、話を聞いてくれるのかな。アタシは女だから、同じ女同士ってことで近付きやすいところはあるように思う。もし、アタシが男の子だったら、同じように接してくれていたのだろうか…。アタシは先生の担当クラスの生徒だから、そういう意味では特別な存在ではあると思う。でも、そんなことをいったらウチのクラスの子は全員先生の特別ってことになってしまう。アタシも、ただの「その他大勢」のうちのひとりに過ぎないのかな…。そんな風に考えていたら、アタシの胸の中に何か黒いものが渦巻いていた。

 

 

 先生にこんなことを求めるなんて、きっとおかしなことなんだってのはわかってる。わかってるんだけど、それでもアタシは先生の特別になりたいって、心のどこかで感じてしまっているような気がする。

 

 こういう我儘なところが子ども扱いされちゃう理由なのかな…。

 

 先生にとっての「特別」ってなんだろう。なんとなく想像したけど、アタシにはまったくイメージできないものだった。アタシは先生と仲がいいと思ってる。だけど、先生は友達じゃない。それは紛れもない事実だ。アタシと先生の関係って、どう説明できるんだろう…。気になって考えてしまったら、言葉を交わす数が減っていき、やがて会話が止まってしまった。会話が円滑に進まなくなったのは、帰りの時間が迫ってきていたからだと思うことにして、アタシはひとり物思いに耽るのだった。

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