第3話 家族会議

 先生との話のおかげで、アタシの中では進学したいという気持ちがほぼ固まりつつあった。だけど、アタシはまだ子ども。どうしたって親に頼らなければならない部分はある。その最も大きい部分が経済的なことだと思う。つまり、親の許可が下りなければアタシは進学することができない。少なくとも、今すぐには。

 先生は社会人になってから大学に行くという経験をしているみたいだから、もしその可能性があるのなら、そこは先生にアドバイスをもらえればいい。きっと快く答えてくれるだろう。先生と話して、大学に行く方法は1通りじゃないんだってわかった。高校卒業してそのまま大学へ進むだけが正解じゃないんだってわかっただけで、凄く気持ちが楽になる。少し前まで将来の不安でいっぱいだったのが嘘みたいだ。

 まあ、次は親を説得できるかどうかで不安なんだけど。不安というやつはいたちごっこにもほどがあるとつくづく感じる。目の前の不安が解消されたって、気が付けば別の不安がまたすぐに押し寄せてくる。人間が不安に悩まされなくなる日は来ないのかもしれない。

 思えば、親とこういう話をする機会ってなかった気がする。高校進学の時は家から通いやすかったし、髪型とか髪色も自由で、制服とかのルールも緩かったからここにした。あとは公立校だったっていうのも大きい。経済的な心配は少なかったから。アタシは最初からほかのとこいくつもりなんてなかったし、親とも特に話し合ったりしたこともなかった。

 でも、やっぱり大学進学ってなると大きく変わってくる。当然かかるお金が桁違いだし、絶対行かなきゃいけないところでもないし。

 親はアタシのこと、どう思ってるんだろ。高校に入ってすぐ、髪染めて、メイクして。ばっちりギャル武装してるアタシのこと、不良だと思ってるのかな。そういうことも全然話したことがなかったのだと自覚する。別に親と仲が悪いわけではない。だけど、自分のことを話すのはあまり得意じゃなかった。親の方も特に何も聞いてこないから、アタシは自分のことを話してこなかった。でも、親が何も言ってこないから、気にも留めていなかったというのが正しいのかもしれないなとも思う。

 「っと、着いちゃった…」

 いろいろと考え事をしながら帰路をたどっていたせいか、あっという間に家についてしまった。まだ心の準備はできていないが、いつまでも先延ばしにしても仕方がない。意を決して、アタシは家の扉を開いていく。

 幸い、今日は両親ともに家にいるみたいだ。時間が経ってしまえば、アタシの決意は揺らいでしまいそうに思えたから、今すぐに実行できるのはむしろ好都合かもしれない。


 「…ただいまー」

 「あぁ、おかえり」 

 「いつもより遅かったね。なにかあったの?」

 「うん、まあ、ちょっと。担任の先生につかまってて」

 言い方がマズかった。これじゃあまるで、アタシが悪いことでもやらかして、担任に詰められてたみたいじゃん。両親が少し怪訝そうな顔をしているのがわかって、自分の鼓動が早っていく。それにつられてか、アタシはいつもより饒舌になって、やや早口で語っていた。

 「ち、違うかんね。別に、アタシが悪いことして怒られてたとか、そういうんじゃないから。先生に相談に乗ってもらってただけっていうか」

 「まだ何もいってないだろう。一体何に対して弁明しているんだ」

 「それじゃあ本当に悪いことをしたように見えちゃうわ」

 「うぐ…。確かに」

 「それで、なにか話したい事があるのかな?」

 まだ何も言ってやしないのに、アタシの胸中は伝わっているような気さえする。アタシの親は察しがいいから、なんも言わなくてもわかってくれちゃう。アタシが察しがいいのも、親に似たのかもしれないなんて、少しどうでもいいことを思った。

 「…うん。相談したいことがあるから、ふたりとも、時間ちょうだい」

 アタシの口から相談という単語が出ること自体が珍しいからか、少し驚いたような表情を浮かべていたが、それはすぐに微笑に変わった。その変化を了承の意として受け取って、アタシは両親に、おそらく人生で初めて胸の内を伝え始めた。


 「なんだ、大学行きたかったのか」

 「えっ。う、うん…」

 なんだか拍子抜けしてしまった。さっきまで緊張していたのが馬鹿らしくなってきた。どうやら父は大学に行かせることができるように準備はしていたらしい。しかし、当のアタシがそういった様子を見せないのであまり触れないようにしていたということだった。それは母も同じようで、両親の中ではアタシがどういう進路にしても応援するつもりでいたらしい。

 「高校生になったら急に髪は染めるし、派手なメイクやファッションになるし…。勉強が嫌になってグレちゃったのかと思ってたわ」

 「なっ、別にアタシがギャルコーデしてるのはそういうんじゃないんだけど!!」

 両親の目には娘がグレたと映っていたのか…。そういう風に思われている可能性はあると思ってたけど、本当にそう思ってたなんて…。もしかして、そっとしておこうということであんまり干渉してこなかったのかな…。

 「高校で学生生活が最後になるからはっちゃけてるのかなぁと思ってね」

 「別にそんなつもりはなかったけど…。でも、大学に行きたいって思うようになったのはホント」

 とはいっても、今日の今日までどうしたいのかなんてわからなかったし、結局大学に行く目的がそれを見つけることだから、問題を先延ばしにしただけなんだけど。

 「進学したいならさせてやる。けど、わかってると思うが大学はお金と時間がかかるところだからな。目的を聞かせてくれ」

 「今日先生と話して、アドバイスされたの。やりたいこと、なりたい自分が思い描けないなら、大学に行って見つけるのも一つの方法だって」

 「ふむ…。確かにそういった側面もあるだろうな」

 「実際、先生も大学に行ってから将来が定まってきたって言ってたし、まだ人生のこと考えて、答え出すのは早いのかなって…」

 「まあ、俺たちの半分も生きてない小娘に人生を語られても困っちまうからなあ」

 父はそう言い放ち、「ガハハ」という擬音が付きそうな声を出しながら、豪快に、そして高らかに笑っていた。なんだかムズムズするが、実際その通りだと思う。アタシはつくづく子どもで、大人にはなれてないんだって思い知った。

 「やだやだ。おじさんくさいこといって。臭いのは体臭だけにしてよね」

 「俺ってそんなに匂うのか!?」と半分涙目になる父の傍ら、母が私に向き直る。

 「私も思うところは一緒だから、大学に行きたいなら、頑張りなさい。ただ、それだけよ」

 「…うん。わかった。アタシ、頑張るよ」

 こんなにアタシのことを応援してくれて、支えてくれる人がいるんだ。そんなん、頑張るしかないっしょ。


 今は自分のことが大っ嫌いだけど、いつか、いつかは…。


 頑張って、頑張って、頑張っていれば、好きになれるかな…。


 好きになれるといいな。きっと、アタシ自身がアタシのことを好きになれなきゃ、誰のことも愛せないから。


 「…そういえば、大学進学っていうのは先生に勧められたのか?」

 「うん。そうだよ。先生にアドバイスもらって、アタシの中で凄く納得できたから行きたいって思った」

 「そうか…。ちなみに、その先生は担任の和田先生か」

 「うっ、うん…。そうだよ」

 なぜだろう。先生の名前を出されたら、急にドキッとして、食い気味に返事をしてしまった。担任の先生なんだから、そういう相談乗ってくれたって何らおかしくないっていうのに。

 「……わかった。それじゃあ、大学進学ということでいいんだな?」

 「…はい。よろしくお願いします」

 「はい。お願いされました」

 ひとまず、両親の了承を得られたことはよかった。明日にでも、先生に報告しに行こう。

 けど、なんでだろう。このモヤモヤとした感じ…。大学のことはあっさり認めてもらえたから緊張感はどこかへ飛んで行ったはずなのに。どうしてこんなにも緊張してるんだろう。いや、むしろ、さっきまでよりも鼓動が近く感じるような気さえする。

 でも、アタシはこの緊張の色は知らなかった。さっきまで抱えてた緊張は、不安がうっすらと混ざったような、期待と不安が少しずつ入り乱れるような、そんな淡い色。どっちかの色が濃くなれば、たちまちそちら一色に染まってしまうような、そのくらい淡くて、脆い色だった。

 だけど、今抱えている緊張はどうだろう。この感情はもっとドス黒くて、濁ってて、先が見えないような、そんな色。この色からは期待も、希望も、あるいは未来さえ感じられなかった。この黒い感情の正体って何なの…?

 気にしないようにしても、さっき見た両親の表情が脳裏から離れない。


 どうして、先生の名前を出した時、そんなに険しい顔をしていたの…?

 どうして、先生の名前を出した時、不安そうに、寂しそうにしていたの…?


 一度気になったら、気にしないなんてことはできなかった。


 やっぱり、気にしないようにしようとしちゃダメみたい。そしたらもっと気になっちゃうもん。

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