ばりばりばりばり

めの。

第1話



「ばりばり様?」



 瑠夏の口から出てきたのは、小学生が考えたようななんとも間抜けな響きだった。



「怖いんだよー、なんでもばりばり食べちゃうんだって」

「何それ。瑠夏の家の犬じゃん」

「うちの子は食べちゃいけないものくらいは分かりますー。玉ねぎとか食べないし」

「はいはい、賢い賢い」



 片付けも終わり、更衣室へそのまま瑠夏と向かう。横目で見ると、男子の方もそろそろ終わりかけのようだった。



「あー、また彼氏だ」

「やめてったら。この前まで普通に呼んでた癖に」



 小突いてきた瑠夏を小突き返していると、俊哉が手を振ってくれた。それだけで心臓が高鳴る。



 杉本俊哉。つい最近彼氏になった、私と瑠夏の幼馴染だ。小さい頃からいつも三人一緒で全然そんな感じじゃなかったのに、いつの間にか意識し出して、この前告白されて、それで。



「顔赤ーい」

「ばかっ……もう!」



 早足で更衣室のロッカー前まで移動すると、瑠夏も笑いながらついてきた。照れ隠しでため息をつきながら扉を開けると、何かが落ちてきた。手紙?



「え、何? ラブレター?」

「女子更衣室にラブレター置くヤツいる?」

「変態のラブレターかもだよ」

「うっわ、最悪」



 宛名は私だけど差出人はない。気持ち悪く思いながらも、おそるおそる封を開けてみると。




『かくれんぼしましょ

 だれにもないしょ


 みつかったらまけ

 にげたらまけ


 にげずにおいで』




 気持ちの悪い文章。ただ、それだけがそこにあった。




「なに、これ……」

「ねぇ、茉莉」




 隣には、顔を青くした瑠夏が同じ封筒を持ってこちらを見ていた。




「同じの、入ってた」




 ばりばり様。




 瑠夏から聞いたところ、いつの頃からか流行っているちょっとした怪談らしい。



 妖怪か神様のような何かで、ある日かくれんぼに誘う手紙が届く。手紙を受け取ったら学校にそのまま残って、かくれんぼをしなければならない。



 逃げたり見つかったりすると、ばりばりと食べられてしまうのでばりばり様。名前の割に恐ろしい存在だった。




「どうしよう……」

「いたずら……かも。普通に帰れば良くない?」

「ダメだって! 逃げたら食べられちゃうんだよ!」




 荒唐無稽な話だが、瑠夏の言うとおりなのかもしれない。逃げて、もし何かあったら。




「いざとなったら先生もいるし、とりあえず校舎に行った方がいいのかも」

「そっか……別に、学校には私たちだけじゃないもんね」




 本当かどうかは分からないし、いたずらの可能性も高い。残っていたところで夜は警備員の人がいるし、それ以前に見回りの先生から早く帰るように言われたらそれで終わり、でもいいのだ。



 そもそも、瑠夏は教室に明日提出のプリントを忘れたから取りに行かなきゃいけないみたいだし。それだけ取ったら残っていたことにして帰ってもいいのかもしれない。




「多分いたずらなんだろうけど。全く、変な変態がいるもんだねー。あ、変態って時点で変なのか」




 明るく言ってみるけれど、いつも元気な瑠夏は青い顔をしたままだ。噂を先に知っていたからこそ、彼女の方が怖く感じるのかもしれない。



「大丈夫だよ。ね、帰りにたい焼きでも食べて帰ろうよ」

「茉莉……」



 涙目になっていた瑠夏が抱きついてくる。




「不謹慎かもしれないけど……茉莉が一緒で良かった」




 よしよしと頭を撫でて一度離す。とりあえず着替えなければ始まらないので、着替えをして。その後瑠夏の手を取って二人で校舎へ向かった。いつもと変わりはないはずなのに、先程の手紙のせいで不気味に感じる。



 いつもの下駄箱、いつもの廊下。しん、と静まりかえっているそこにそれだけで恐怖を覚える。それでも、瑠夏の手を強く握って進めば少しだけ怖さが紛れた。



「なんか教室が遠く感じちゃったね」

「うん……」

「でも、いつもと変わりないし。やっぱりいたずらだよ!」



 私たち以外誰もいない教室は、夕日に赤く染まっている。ただ、プリントを取りさえすれば良いはずの瑠夏の手は震えていて。



「ね、茉莉。気付いてた?」

「……何に?」



 瑠夏の手には、プリントではなく。





「私たち、ここに来るまで誰ともすれ違ってない、よね?」

 




 先程と同じ封筒が、握られていた。




 ジリリリリリリリリリリリリッ!





 それに気付いた瞬間、けたたましく非常ベルが鳴り思わず瑠夏に抱きつく。




『■■、♪※あ■、あー♯※■』




 そして、放送機器からは大音量で不気味にな音声が流れ始めた。




「なになになになに!? え、どういうこと、なにこれ? やだっ!」

「茉莉っ! 落ち着いて、ばりばり様に見つかっちゃう!」




 瑠夏に言われて口を塞ぐ。放送機器からは何度か何を言っているか分からない音声が流れた後、急に明瞭な声が聞こえ始めた。




『いーち……にーい』




 数を、数えている。




「か、かくれなきゃ。瑠夏、はやく」

「待って、これ……開けないと」




 机の中に入っていた封筒を瑠夏は急いで開ける。急ぎすぎて少し中の紙まで破れてしまったけれど、今は早く読むことが先決だ。私もその紙を覗き込むと、




『ひゃくまでかぞえる

 かぞえたらへんじ

 かくれるのはばらばら


 いっしょはだめ』




 こちらの考えを見透かしたように、別々に隠れるよう指示されていた。




「やだ……もう、なにこれ。瑠夏と離れるなんて、そんな」

「茉莉……っ、大丈夫! もし、何かあったら助けにいくから!」




 言って、強く抱きしめられる。瑠夏の体も震えていて、怖いのに。瑠夏も同じくらい怖がっていることが伝わってきて、抱きしめ返して私も伝える。



「私も……私も、もし瑠夏が見つかったらすぐ行くから! 二人で、二人で帰って、たい焼き食べよ」

「うん……うんっ! 茉莉、頑張ろうね」



 もう別れた方がいいだろうと話して、名残惜しい気持ちのまま瑠夏と離れる。



 放送機器からの数は五十を超えてきた。早くどこかへ隠れないと……でも、どこへ?




 迷いに迷って、階段下の用具置き場へ身を隠した。数はあと二十ほど残っている。瑠夏は良い隠れ場所が見つけられただろうか。




『ひゃーく』




 そして、ついに数え終わった。




『もういいかーい?』




 かぞえたらへんじ。歯ががちがちと鳴って、うまく声が出ない。でも、しなきゃ。




「も、もぅ、いいよー」




 自分の声だけが、空っぽの校舎にこだまして吸い込まれていくような気がする。瑠夏も、返事ができただろうか。




『あひゃひゃひゃびゃびゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃびゃびゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃびゃびゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃびゃびゃひゃひゃひゃひゃ!』




 その笑い声に思わず悲鳴を上げそうになるのを、唇を噛んで堪えた。ガタガタと体が震え出す。怖い、怖い怖い怖い怖い! 早く、早くおわれば、早く終わって!



 永遠にも感じられる時間の中で、目を閉じて祈りを捧げる。どのくらい時間が経ったのかは分からないが、まださほど経ってもいないだろう。目を開けても、先ほどと景色に変わりはない。周りも静かなままだ。




 と。





 ずる ずるり





 何かが、廊下に擦れて歩いているような。廊下を這って進んでいるような音が聞こえた。声を出さないように手で口を塞ぐ。




        ずるり ずるり




 近付いてくる。早く、気付かずにどこかへ行って。




『見つかったら、ばりばりと食べられるんだよ』




 こんな時に瑠夏の言葉を思い出す。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ! まだやりたいことも、俊哉とも付き合い始めたばかりなのに。こんなところで、こんな訳が分からないことで死にたくない。




 ずる   ずる    ずるり  






         ずっ





 音が止まった。すぐ、近くで。





 見つけないで。お願い。どこかへ行って。






 目を閉じて祈って。祈って祈って。





『あひゃひゃひゃびゃびゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃびゃびゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃびゃびゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃびゃびゃひゃひゃひゃひゃ!』





 ずりずりずりずりずりずりずりずりずりずりずりずりずりずりずりずりずりずりずりずりずりずりっ!




 けたたましい笑い声とともにもの凄い速さで、ばりばり様は違う場所へ移動していった。




「ぁ……、は…………」




 下腹部がじわりと熱くなってショーツとスカートを濡らし、瞳からは自然と涙が溢れてくる。





 助かった。





 怖かった。





 まだ震えの止まらない体を自分で抱きしめて何とか落ち着けようとする。怖かった。怖かった……。どこかに行ってくれたことに、安堵したはずなのに涙も震えもなかなか止まらない。





「いやぁぁあああああああああ!」





 そんな私の耳に届いたのは、悲鳴だった。




「る、か…………?」





 ばりばり様は、急に速くなってどこかへ行った。





 それは、瑠夏を見つけたから?





「ぅぅ…………」




 たすけに、いかなくちゃ。




「ゔぅ……っ」





『私も……私も、もし瑠夏が見つかったらすぐ行くから!』





 約束、したんだから。


 



「ゔ……ゔぇ、ゔぅぅぅ…………」





 震えも、歯が鳴るのも止められなくて。





「うぅぅゔぅぅ…………っ!」





 震える足は、動かない。




「いがっ……いか、ないどっ……!」





 涙で顔はグシャグシャで。足を震える手で叩いても上手く動かなくて。




『茉莉は私の一番の友達だよっ!』




 頭には、なぜか瑠夏の顔ばかり浮かんでくる。




『いつも優しくて、私、茉莉のこと大好きなんだ』




 私だって、大好きだよ。




『俊哉も茉莉も、私と友達のままでいてくれる?』




 あたりまえじゃない。ずっと、ずっと。




『私だけ置いていっちゃ嫌だよー』





 置いてなんか、いかない。絶対に。






『何かあったら助けに行くから!』






 私も、私も…………。







◇ ◇ ◇







 静かすぎる校舎に、それはいた。




 どこかへ連れて行って食べる気なのか、ぐったりとした瑠夏を抱えて、ずりずり、ずりずりと動いている。





「ぁ…………」





 震えて、声が上手く出ない。




 だけど。





「……って…………っ!」





 出さなきゃ。





「まっ……て、ください…………」





 振り絞って出した声は、蚊の鳴くようなほど小さなものだった。





「お、おねがい、します。瑠夏を……瑠夏を、返してください」




 ばりばり様が歩みを止める。後ろ姿だから目はまだ合っていないけれど、見つかったから、私も食べられるのかもしれない。




「瑠夏……その子、瑠夏っていうんですけど…………すごく、良い子で」






 それでも。






「私の、大事な……大事な、友達なんですっ! 返して、返してくださいっ!」





 こわい。






 怖い怖い怖い怖い。今すぐ逃げたい。






「たべないで……」







 だけど、瑠夏を見捨てて逃げるのはもっと嫌だ。





 大切な、大切な私の友達。

 今見捨てたら、一生後悔する。





 恐怖で立っていられなくなってへたりこんで。





 そんな私の前に、瑠夏はそっと降ろされた。





「え…………?」





 気が付けば、人の声が戻っていた。




 周りに人はいないけれど、校舎の中に人がいる気配があちこちにして、いつもの、いつもの校舎に戻ってきたことが分かる。




「…………まつり?」




 瑠夏の瞳が、ゆっくりと開く。





「るか、瑠夏……? 大丈夫、平気っ!?」




 その言葉に、瑠夏は私の手を握って微笑んだ。




「うん……うんっ! 茉莉、まつりぃ!」

「よかった……よかったぁ……っ」




 二人してわんわん泣いているところを保健の先生に見つかり、話をしても信じてはもらえなかったけれど心配はしてもらえて。温かいお茶を飲んで、私は教室まで付き添ってもらってジャージに着替えて。



 そうして落ち着いたところで、瑠夏と二人で学校の外へ出た。なんだかんだで怖いので手は繋いだまま。




「でも、助けに来てくれて本当に嬉しかった」




 瑠夏が頬を染めながら呟く。




「……茉莉は本当に私のこと、大切に思ってくれてるんだなって」

「やめてよ。怖くて顔も何もグシャグシャでどうしようもなかったし。もっとヒーローみたいに助けたかったのに」

「そんなことしなくても、私はすごく嬉しかったよ」

「もう……照れるからやめてったら」




 繋いでいた手を解いて、瑠夏が抱きついてくる。






「えへへっ……茉莉、大好き!」






 瑠夏の温かさを感じて、守ることができて本当に良かったと安堵する。





 本当に、無事で良かった。





 さすがに、たい焼きを食べに行く気分にはならなかったので、その日は二人で手を繋いで帰った。







◇ ◇ ◇







「あーあ、残念だなぁ」




 ばりばりばりばり




「ーーーーーーっ!」

「私は俊哉のことも大切な友達だと思ってたのに、私を置いて逃げちゃうなんて」




 ばりばりばりばり




「ーーーーぅ、ーーーー!」

「ひどいよね。そんなの本当の友達じゃないよね」





 ばりばりばりばり





「ーーーーーーーーーーーー」

「茉莉は助けに来てくれたのに。本当、残念だよ」








 ばりばりばりばり








 ごくん。







「ごちそうさまでした」








◇ ◇ ◇







「茉莉、帰りたい焼き食べに行こうよっ!」

「うん、じゃあ……あれ?」



 何か言おうとして、何も言えない自分に気付く。




「どしたの?」

「うん……あの、こういう時って、誰か……もう一人くらい誘ってなかったっけ?」

「みっちーとか小春とか?」

「そうじゃなくて……うん。気のせいかも」




 なんだか不思議と。何かを忘れて、何かを失ってしまった気がするのは何故だろう。




「あれかなー。早く彼氏が作りたくて先走っちゃったかな?」

「えーっ! 茉莉そんなに彼氏欲しいの?」

「いたらいたで楽しそうじゃん? まあ、今も十分楽しいけどね」

「そうだよー! 私というものがありながらっ!」

「わわっ、小突くなって!」





 そうして、私たちは日常へと戻ってきた。





 ばりばり様がなんだったのか、あれ自体夢だったのかは分からないけれど。





「茉莉っ! 熱々だよー、早く食べよっ!」





 大切な友達とたい焼きを食べることができるこの日々を、ずっと大切にしていきたいと思っている。






 ばりばりばりばり



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