第36話 肉体を離れて体験した事 あの戦い後の街の様子

気がついたら、俺は自分の体を見下ろしていた。


明らかに自分の肉体が、横たわっているのが見える。

この位置・・・上から。

あそこに俺が寝ているのに、俺はここから下を見下ろしている。


そのすぐ近くには血溜まりができていて、さっき俺が倒した男の頭から血が流れているのだと分かった。

床に倒れて動かなくなっている男の後ろ、石造りの壁にも血が飛び散っている。

側頭部への攻撃で倒れた時、壁に頭をぶつけたのか。

見た感じおそらく、もう生きてはいない。


勝てたのか・・・


毒にやられた俺も生きられないとしたら相討ちか。


だけど何でこんなにはっきり、思考することが出来るのか。


自分はあそこに倒れているはずなのに。

今、それを見下ろしている。

という事は、宙に浮いてる?

俺が二人居るってこと?

ここに居る・・・居ると思っている俺は?

どっちが本当?


そうか・・・俺の意識だけが、肉体から抜け出してここに居るのか。

そういえば以前、若菜さんからそんな事を聞いた。

人間の本体って肉体じゃなくて意識。

意識の方が実は本体で、肉体は言ってみれば乗り物。

人間として今の人生を体験するのに、必要な装備みたいな物。

だから死ぬという事は、その乗り物から降りるということ。

本体である意識はそのまま。

消滅する事は無い。

人である限りいつか年老いて、やがて肉体の方が滅んでも、今の乗り物の寿命が来ただけのこと。

意識である本体には何の影響も無い。


そういえば確かに今、痛くも苦しくも無い。

戦いの最中は痛みもあったし、毒にやられたようで体に力が入らず、頭がガンガンして酷く気分が悪かったのに。

そうか・・・俺はやっぱり死んだのか。


死ぬってもっと苦しみを伴うものだと思ってたけど。

何だか知らないうちに肉体からスーッと抜け出しただけで、気がついたら抜けていたという感覚。


誰かが走って来た。

亜里沙だ。

持っているのは・・・水差しと、薬草?

俺の体の上にかがみ込んで、何とか蘇生を試みている様子。

俺も亜里沙も追われている身だから、救急車を呼ぶような事は出来ない。

この路地の中に住む人達は民間療法にも詳しいから、亜里沙も色々教わっていると思う。


亜里沙の近くに行きたいと思った瞬間、俺はそこに居た。

自分の体を見下ろしていた位置から、亜里沙のすぐそばへ移動したらしい。

涙で顔をグシャグシャにして、俺の名前を繰り返し呼びながら、それでも諦めず何とかしようと頑張っている。

俺はここに居るのに、亜里沙の体に触れる事も出来ないし、話しかけているつもりでも全く聞こえていないらしい。

自分が死ぬのはかまわないと思ったけど、せめて最後に亜里沙と少しだけ話したかった。

数分でも・・・いや、数十秒でもいいから欲しい。

意識と体が離れたという事は、もう戻ることは無理なのか。


それでも、亜里沙が生きていただけ良かった。

俺達に加勢してくれた白猫も、近くに座ってじっと見守っている。

今日は俺達だけしかいなかったけど、この男を倒せた事は大きいと思う。

他所へ手伝いに行っている他の皆んなは今頃・・・

そう思った瞬間、俺は別の場所に移動していた。


もしかして上空を飛んでる?

上から見下ろす感じで、街が見える。

すぐ下に見えるのは見覚えのある車。

その後ろの車も・・・

皆んな、行っていた場所から引き上げて、東京へ向かっている。

こっちで何が起きたかは、亜里沙が連絡したに違いない。

もしかしたら誰か戻ってくれるなり、電話で指示を出してくれるのかもと俺も思ったけど。

それどころじゃなくて全員戻る様子。

違う方面からも、見覚えのある車が2台東京へ向かってるし。

店では、亜里沙がスマホを片手に持ちながら俺のそばについていてくれる。

亜里沙は若菜さんと話している。

蘇生の指示を受けて頑張っているらしい。


俺は、何ヶ所もで起きていることを、間違いなく同時に見ていた。

いくつもの場所を同時に見つつ、そこで交わされている会話を聞いている。

自分の今までの人生で起きた出来事も、全部同時に見えた。

場所とか、時間とか、本当は存在しないという事が体感的に分かった。

今までの人生で、一度も体験した事の無い感覚。


次の瞬間、雲の上に浮いているような心地よさから一転、一気に体が重くなった。


頭がガンガンする。

胃がムカムカする。

吐きそう。

もう吐くものも無いような気がするけど。

右腕全体に、肩から首筋にかけても、焼けるような痛みが広がっている。

呼吸が苦しい。

さっきまで気持ちよかったのに、何なんだこれは?!


俺は、激しく咳き込んで体を捩った。


「サトル!」

「良かった!」

「ほんと・・・生きてる!」

誰かが近くで大声で喚いている。

頼むから静かにしてくれ。



あの戦いの日から数日、俺は寝床から起き上がれなった。

確実に死んだと思ったけど、生き返ったらしい。

仮死状態というところまでいって、意識が一度体から離れたみたいだ。

正直、あのままの方が気持ちよくて、戻りたくないって一瞬思ったけど。

ここには、亜里沙が居て、皆んなが居て、俺も生きていればやりたい事もまだある。

意識の奥では、今はまだ死にたくないと願っていたのかもしれない。


体の状態が完全に回復したとは言えないけど、命の危機は確実に脱したらしい。

熱が下がり、意識がはっきりしてくると、少しずつだけど食欲も出てきて話せるようになった。


あの日に何があったかを、周りのみんなから聞いた。

俺達が倒した男は、やはり死んでいたらしい。

攻撃を受けて倒れた時、石造りの壁に頭をぶつけたのが致命傷になったようで、こっちは正当防衛と言えると思う。普通なら。

けれど、こいつらの側が世の中を動かしているという事は、そうはいかない。

これまでの人生のほとんどの期間「普通」と信じてた事が、全部でたらめだった事は散々思い知らされた。

こっちも、今まで信じていた常識で対応するのは、意味が無いと思う。

男の死体は、皆んなで穴を掘って埋めたと言う。

庭に死体が埋まってるなんて、あんまり気持ちの良く無い話だとも思ったけど。

意識の抜けた肉体はただの物質でしかないし、土に返せばいい感じで循環するらしい。

そう言われてみれば昔は皆んな土葬だったわけだし、死ねば分解されて土に還る。

それが自然なのかもしれない。


死んだ男は、この地域の中では上の方の立場に居たというのが考えられるけど。

それよりも上に居る存在から見れば結局駒に過ぎなかったらしい。

むしろ普段表に姿を見せずに活動していたようだから、死んだとか行方不明になったなどのニュースも出なかった。

こっちとしてはその方が助かるけど。


あの実験に関しては、日本のどの地域でも同じような事が起きて、奴らの目論見は完全に失敗に終わった。

ほとぼりが覚めた頃にはまた、新たにろくでもない実験を始めようとしないとも限らないけど。

街の様子を見に行った人達の話によると、あの時をきっかけに確実に何か変わってきているらしい。

以前は、電車に乗れば全員スマホを見ているし、スマホを見ながら歩いている人は多いし、ベビーカーに乗っている子供までスマホを持っているというのが当たり前の光景になっていたけれど・・・今は、それが無くなってきているという。

それに伴って、人々のエネルギーの質が変わったようで、街全体の雰囲気が変わってきたという事だった。

外に出られる体調になったら、その光景を一度見てみたいと思う。


俺達の小さな行動でも、ほんの少し、何かを変えられたのかもしれない。









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AIの恋人 ゆき @satsuki88

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