独りになった日

 人と話すのは苦手だった。

何も、緊張しくて話せないというわけではない。声を掛けられれば人並に応対することはできるし、腹も決まれば自分から話しかけることだってできる。決まることは、そう多くないけれど。


 私は感情を表に出したり、正しい言葉選びをすることが苦手だった。そのせいで人とすれ違うことも少なくなかったし、感受性が豊かな相手なら尚更だった。


 自覚していた。私は一人が向いていると。少し話せば、後で一人反省会。この時はもっと反応を過剰にするべきだったとか、この時はもっといい言葉選びをするべきだったとか。


 ──正直疲れていた。気を遣わなければ、私は何か間違える。


一人で過ごそうと思ったことは幾度となくあった。でも、私はどうやら周りから見てルックスが良かったようで、関わってくる人が途切れることはなかった。




 「宮井さん」

中学に入学して少し経った日、一人のクラスメイトが私に声をかけてきた。足立美咲。控えめな女の子だった。

 それから私と美咲は少しずつ仲良くなり、やがて下の名前で呼び合うほどの中になった。


 美咲のことが大好きだった。美咲は他に友達がいなかったようで、ずっと私の隣にいてくれた。喧嘩なんて一度もなく、二年生も同じクラスで過ごした。

そして進級し、私達はいよいよ別のクラスになったが、この関係が崩れることは絶対にないと思っていた。


 思っていたのだ。私一人が、勝手に。


クラス替えをし、始業式も無事に終わり、私は美咲の教室に顔を出した。

「美咲」

美咲はすぐに振り向いた。声の主が私だと察すると、いつもと変わらぬ笑顔を浮かべて駆け寄ってきた。

「迎えに来てもらっちゃってごめんね。ホームルーム、少し長引いちゃって」

「全然大丈夫。帰ろうか」

 美咲は頷き、いつものように私の隣に立った。歩き出そうとしたその時、背後から届いた「足立さん」という声が私達の足を止めた。


 「足立さん、少しいい?」

美咲と同じクラスの男子だろう。一、二年の時は、私とも同じクラスだった。

 確か、中村という名前だったか。

「中村くん、どうしたの?」

美咲が尋ねると、中村くんは顔を少し赤くして「足立さんに話があって」と言った。

 ――あぁ。嫌な予感がした。


「えっと」

美咲は困ったように私のほうを見た。きっと、美咲は何を言われるのか察してはいないのだろう。

 「行ってきていいよ。……先、帰ってる」

私が待ってるからと急かすことを望んではいない。

 それに、すぐに帰ってはこないだろう。

「ごめんね、千歳。明日は一緒に帰ろう。ごめんね」

「謝らなくっていいって。じゃあね」

美咲の言う明日に、返事はしなかった。


 二人で帰る明日なんて、来ないくせに。




 結論から言うと、美咲と中村くんは恋人同士になった。

美咲の言った明日なんてちゃんと来なかったし、次の日もその次の日も、来ることはなかった。

 しまいには『凌くんと毎日一緒に帰ることになった。だから千歳はクラスの友達と帰ってほしい、ごめんね』というメールが一通。

恋は盲目。美咲にとって初めての恋人なんだから、このくらいは想定内だった。

でも。


 「私、美咲以外の友達なんていない」


そこから私たちの関係が崩れるまでに、そう時間はかからなかった。

 美咲は人が変わったようだった。

 校則通りの膝丈のスカートは日に日に太ももが顔を出し、肩までまっすぐに伸びていた黒髪はいつしか色が明るくなり、素朴だった顔立ちはメイクで派手に彩られた。先生に注意されれば、睨みつけて悪態をついた。

 ある日の移動教室からの帰り道、久しぶりに美咲と目が合った。

「美咲」

「……」

美咲は気まずそうに目を逸らして、すぐに隣にいる中村くんとその取り巻きに視線を戻した。

 もう、私の知る美咲は。私の大好きだった美咲は、そこにいなかった。



 ・ ・ ・



 入学した高校に、美咲はいなかった。

 元々は同じくらいの学力で、同じ高校に行こうね、なんて話をしていたっけ。

校則をいくつも破って、先生に対してもあんな態度では、成績が落ちたことも想像に難くなかった。


 新しく親友を作る気には到底なれなかった。

独りになるのは、もう嫌だった。あんな思いをするくらいなら、最初から一人でいようと思った。


 そう、本気で思っていたのだ。千夏に声をかけられるまでは。


「せっかく前後の席なのに、声かけてなかったと思って」

 彼女の笑顔は、陽の光のように暖かく、眩しかった。

「わたし誉千夏っていうんだけど」

「……ほまれ?」

「そう、誉。珍しい名字でしょ」

私が与えられた情報を整理しているうちに、「名前、教えてよ」と矢継ぎ早に尋ねられた。


「……宮井千歳」

 生まれて初めての、腹の底から沸き立つような感情。

私はその感情を気に留めることもなく、ひたすら目の前の少女に意識を奪われていた。

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欲張りだったね、お互いに。 公下煌璃 @KugeOuri

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