たとえこの恋が実らなくても
二月三十日
第1話
たとえ、この恋が実らなくても私は生きていける
そして、私は愛にしか生きられない
だから……
私は待つだろう
あなたに逢えるまで
その人を俺は見た事がなかった。
ただ、凛としてそこに君臨している。
つややかな長い黒髪。
伏せた睫毛の奥に、輝く紫水晶の瞳。
しなやかな指先が、階段の手すりをなぞる。
「始めましてかな? 橘真弘君」
まるで会った事があるようなそぶりだ。
俺は、彼女に出会った事がない。
いや、今日始めて彼女に会った。
学年集会で紹介されて知っただけだ。
「ねえ? 真弘君を待っていたんだよ。ずっと……」
階段を降りて行く彼女。
一段一段と、足を落としていく。
「ミランダはこう言った。『人間はなんて美しいんでしょう。すばらしい新世界』と……」
もう逃がさないと彼女に、抱き閉められる。
彼女の匂いは鼻腔をくすぐるように甘く、まだ成熟していない少女の体は柔らかく、守ってあげたい。
突然、抱きつかれた俺は拒む事もせず、抱きしめ返しもしなかった。
肩越しに見えた窓に、人ほどの黒い影が落ちていった。
名前 橘 真弘
性別 男
得意科目 国語
苦手科目 数学
好きな女性 約五十八人
宿題を片づけながら、真弘は考え事をしていた。
「あー、女の子と付き合いたい」
椅子にもたれかかり、天井を見上げる。
蛍光灯の光が眩しいと感じながら、女性の事を考える。
――俺が泣きそうになった時に埋める、大きくもなく小さくもない胸。毒蛇のように惑わしながら這う白い指。薄桃に色付いたふっくらとした唇。太ももは少し太めだが、足首はきゅっとしている。その全部が俺好みの女の子いねえかな……。
約二百人といる学年の中で半分は男。
そして、好みのパーツがなくて、除外された女子生徒を除いて約五十八人の女生徒が、俺好みのパーツを持っている。
「やっぱ好きだわ……。花蓮ちゃん」
今一番気にいっている女生徒、三木花蓮は桃色に色付く唇と、健康的な太ももを持つ少女だ。
ただ胸が残念で、ある種の男子生徒から人気だ。
「って、宿題、宿題」
夜遅く宿題しているが、親は帰ってこない。
仕事ばかりで真弘の事を気にしていない。
愛情がないと言えば嘘になるが、真弘は愛を知らない。
愛と言うものに興味がない。
女性が好きなのは、体。
見た目だ。
見ていて幸せになる。
触れると、心地よくなる。
そう思って、理想の女性像を描く。
「理想の女性か……。あった事はあるんだが……。ねえ?」
宿題の答えを見ながら写したためか、案外早く終わった。
真弘は着替え、ベッドに入って目をつむる。
どうせ、朝まで夢の中だ。
そう思いながら真弘は眠った。
茜色の空。
真弘はその空を見て、懐かしくも悲しくなった。
「ひばりー」
そう呼ばれ、真弘は振り返る。
前から来るのは着物を着た少女。
少女は真弘の袖を引っ張った。
「ひばり。ねえ、一緒に遊ばない」
その女の子は、真弘の事を『ひばり』と呼ぶ。
「私は……。更紗の所へ行くわ」
真弘いや、ひばりはそう答えた。
その少女は、落ち込みとぼとぼと歩いて、もと着た道へ帰って行く。
赤とんぼか飛んで、落ち葉が舞う。
小道を歩いて行くと、小川があり、ひばりは覗きこんだ。
水鏡になっており、ひばりと言う人物がよく映しだされていた。
薄紫色の着物。
黒髪に刺さっている髪飾りは赤。
大きくもなく小さくもない胸。
毒蛇のように惑わしながら這う白い指。
薄桃に色付いたふっくらとした唇。
太ももは少し太めだが、足首はきゅっとしている。
ひばりは、そんな自分の見た目が大嫌いだった。
でも、簡単に容姿は変えられない。
それでもひばりは、自分の容姿が気にいるところを探す。
「だめだわ。やっぱり更紗じゃないと」
ひばりはそう言って、山の神社に向かう。
山へ行くまで、ひばりは何をお土産にしようか悩んでいた。
「この間は、ぼたもちを持っていったから、何にしよう。いつも更紗は喜んでくれるけれど……。そうだわ! 更紗に欲しい物を聞いて見よう」
ひばりは足取り軽く、神社の階段を登る。
急いで登り、さすがに息が切れたのか近くで流れている、小さな滝の水をすくって飲む。
「更紗。どこ? 更紗ー」
キョロキョロと探すひばりに、気がついた少女がそっと静かに現れた。
「ひばり、ここよ」
更紗と呼ばれる少女が、ひばりを呼ぶ。
更紗はしゃがみ込み、蟻を見ていた。
ひばりは隣にすわり、一緒に蟻を見ていた。
「ねえ、更紗。これ楽しいの?」
「ええ、とても。」
「どこが面白いの」
ひばりはそう尋ねるが、更紗はひばりの目を見ず答えた。
「だって、素敵じゃない。まるで人間のようで」
目の前にバッタの死体が蟻によって運ばれている。
そんな更紗を見て、ぞっとしつつ、更紗によりかかる。
「ねえ、更紗。私って綺麗?」
「綺麗だよ。どんな姿をしていてもひばりは綺麗。私が一番好きなのはひばりよ。ひばりはわたしの事が好き?」
「私の事、綺麗っていてくれる更紗が好き」
ひばりはうっとりとしていた。
更紗は自分の事を好きだと言ってくれる。
父親に、性的な目で見られていても。
たとえ、自分が母の子じゃなくて姉の子だとしても。
ただ、一人の人として好きでいてくれる。
「そうだ、更紗。これあげる」
そう言ってひばりが渡したのは赤い髪飾り。
それを受け取り更紗は大切そうに握り閉めた。
「ひばり……。たとえあなたが死んでも、私はあなたの事を綺麗と言ってあげる。だから、私を好きでいてくれる」
「うん。私は更紗の事ずっと好きでいるわ。だから、未来永劫私の事、好きでいてくれる? 私だけを愛してくれる?」
「約束するわ。ひばり」
手を取り合い、更紗の顔が近づいてくる。
そっと、約束の代わりになるおまじないをする。
影と影が重なる。
そして離れた瞬間、更紗は微笑んだ。
「ありが「……弘」とう、ひば「……弘って」り……」
「まっひろーっ!」
声がして目を開けると、上から降ってくる少女を腹で抱きとめた。
「うぐっ……。歩美、また勝手に入ってきたのか」
歩美と呼ばれた少女は、真弘が起きたためベッドから投げ出されてしまい、頭をかいて起きあがった。
広川歩美は、真弘の幼馴染。
お節介でいつも何かに巻き込まれる。
「だってー、学校の時間だよー。朝ご飯も勝手に作ったから食べようよー」
歩美は立ち上がり、部屋から出って行った。
まだ頭がぼけていて、真弘は先ほどの夢の感想を一言呟いた。
「やっぱり、ひばり。俺好みだ」
のろのろと着替え、学校の支度をして部屋を出た。
真弘はダイニングで机に並べられた料理を見て、唖然とする。
「歩美、お前……。冷蔵庫の中身全部使った?」
「え、えっと……。うん」
後退りながら歩美は、お盆を前に出し構えた。
「お ま え なっ! これ、一週間の食材だぞっ! 今週、俺に何も食わせーねえ気かっ」
「ごめーん! ちゃんと食材買い込んできます。……自腹で」
「当たり前だ!」
真弘は椅子に座り、いただきますといい朝食を取り始めた。
食パンは程よい狐色で、バターがとろけている。
オムレツの中にはチーズとたまねぎが入っており、チーズの匂いとバターの匂いが鼻をくすぐる。
キャベツとたまねぎ、ベーコンが入ったコンソメスープは隠し味に醤油が少しは行っていて、飲みやすかった。
おにぎりと、たこさんウインナーに、からあげ、ゆで卵を一通りつまみ、残りは晩ごはんでも大丈夫かとラップして冷蔵庫に入れた。
「あ、お弁当もあるから」
「そりゃあ、ありがたい事で」
真弘は靴を履き、玄関のドアを開けた。
「まってー、あたしもいくー」
遅れながら、歩美は革靴を履いた。
歩美が、階段を降りていると、真弘は下で自転車に跨っていた。
「ほら、後ろに乗れ」
「アイアイサー」
歩美は後ろに乗るのを見て、真弘は自転車をこぎ始めた。
坂道が続く中、話しかけられても答えられないのに、歩美は容赦なく話しかけてくる。
「そういえば、今日。転校生が来るんだよね。どんな子かなーわくわくするよ」
「……そりゃ、……楽しみな、……事で」
必死にこぎ続ける真弘。
登りきったところに踏切がある。
ちょうど踏切が鳴った。
「ねえ、真弘。後十分で学年集会始まるよ」
「ちっくしょうーっ。使いたくはなかったが……」
そう言って、横道を走り出す。
坂が下り坂になってスピードがつく。
すごく速いスピードで坂を降りて行く。
「ちょ、ちょっとー。その先、川っ!」
川の向こうに何が見える。
そう、真弘が通う学校だ。
「いくぜ、フルバースト!」
止めとばかりに自転車をこぐ。
川に落ちないようにしているフェンスがあるが、壊れているところから自転車は飛んだ。
「うっし、無事着地!」
なんとか自転車を向こう岸にたどり着かせた真弘は、ガッツポーズを決める。
後ろで、手を震わせながら歩美が言った。
「真弘っ! 怖かったよ、怖かったよ! 何てことするのよ」
真弘の首を絞めながら歩美は、訴えた。
「ぐげえ……。そ、それより歩美。学年集会は体育館だったよな」
「う、うん。あと三分!」
「いくぜ!」
そう言って、真弘は体育館に自転車を横付けした。
体育館に入ると生徒は集まっていて、真弘たちはそっと列の後ろに座った。
「えー、皆さんおはようございます。今日は新しい友達がこの学校に来たのでその紹介をします。では神谷さん。自己紹介を」
遠くで見えないが少女らしき人が、マイクを持って挨拶している。
「神谷亜衣です。よろしく」
長い黒髪をなびかせ、挨拶して帰って行く。
「真弘。ねえ、真弘。どんな子か見えた?」
「よく見えなかった」
「残念」
それから、先生のどうでもいい話を聞いてお開きになった。
生徒が行きかう廊下。
真弘と歩美が話していたら、女子生徒が服の裾を引っ張った。
「あの、橘君?」
「へ?」
振り向いたら、三木花蓮と花蓮の友達である少女がいた。
今、意中の人が声をかけてきたのだ。
「な、なんでしぇうか」
無様にもひっくり返った声で話しかけてしまった。
隣で歩美は大笑いして、腹を抱えている。
後で殴ろうと思った真弘は花蓮を見た。
花蓮はもじもじしながら話し始める。
「がんばって、花蓮」
付き添いの少女が応援している。
真弘は、何を応援しているのか分からず首を傾げた。
「真弘くんは……。その……るの?」
「ごめん。なんて言っているか、聞こえなかった」
真弘は花蓮が可愛くて見惚れてしまい、話を聞いていなかった。
「歩美さんと付き合ってるの?」
「まっさかー。そんなわけない。こんな体力バカと……」
体力バカとは聞き捨てならないと歩美は眉を潜めるが、花蓮が大声で発した言葉で時が止まった。
「橘くん。私と、お付き合いしてください」
頭を下げられ、告白して来たのだ。
しかも逃げ場がないように人が多いこの廊下で。
「へ、へ、へ? あ、こちらこそよろしくお願いします」
そう真弘が答えると一気に回りはお祭りムードに。
「ご両人! 幸せにしろよー」
「末永くお幸せに」
拍手され、顔が赤くなっていく真弘と花蓮。
「くうー、花蓮ちゃん。俺も狙っていたのにぃいぃいぃいぃいぃ」
泣きながら、柱の影で男は見守っていた。
「ありがとう、橘くん」
「こちらこそ」
そんな空気の中、先生が現れた。
「こほん。青い春と書いて青春と言うが、授業だ。みんな早く教室へ」
チャイムが鳴って、一同に散らばった生徒達に取り残された真弘は、慌てて、教室へ入っていた。
その後の授業なんか耳に入らず。
三木花蓮の事を考えていた。
放課後にデートの約束を取り付けていたのだ。
どこへ行こうか、何して遊ぼうか悩んでいたら、歩美が消しゴムを投げてきた。
「何だよ、歩美」
「でれーっと鼻の下伸ばして、何いやらしい事を考えているのよ」
「いやいや、歩美くん。ぼくはいやらしい事なぞ考える男だと……」
「鼻血でてるよ」
「嘘っ!」
「嘘だよん」
けけけと笑う歩美を殴りたくてしかたがなかったが、真弘は教師に説教され、廊下に立たされる事になった。
ぼーと過す廊下。
カラスが飛んでいるのが見えた。
――今日、俺はデートします。
そう、期待を胸に宿して放課後を待った。
放課後、待ち合わせの校門に慌てて行こうとして、階段を降りる。
いつになく静かだなと思いながら、踊り場で、髪飾りが落ちているのに気がついた。
――誰のだろう。
赤い髪飾り。
どこかで見た事があるような。
そんな事を思いながら、誰かが降りてくる音がするので、見上げるとそれは見た事もない少女だった。
「始めましてかな? 橘真弘君」
その少女は、今日転校して来た神谷亜衣だった。
透き通る白い肌。
柔らかくともどこか棘のある声。
その声はどこかで、聞いた事があると真弘は思った。
「ねえ? 真弘君を待っていたんだよ。ずっと……」
白い手が真弘の頬に触れ、そのまま唇をなぞる。
「ミランダはこう言った。『人間はなんて美しいんでしょう。すばらしい新世界』と……」
亜衣に抱きしめられる真弘は抵抗できなかった。
亜衣の肩越しから窓の外を見ていた。
すると、目があった。
降ってきた黒い影。
三木花蓮の見開かれた瞳と。
そのまま落下して行く花蓮。
そして悲鳴が響き渡る。
下校中の生徒の声。
真弘は、慌てて、窓から外を見た。
花蓮は体がありえない方向に曲がっていて、一面ペンキをぶちまけたように地面を彩った。
「……花蓮ちゃんっ!」
真弘は亜衣の存在も忘れ、下の階に降りていった。
亜衣は外を見て微笑む。
「あなたが愛していいのは私だけでしょ? 真弘くん」
真弘がおとしていった髪飾りを拾い大切そうにする。
「約束だものね」
そういって、髪飾りをつけた。
真弘は、走って屋上に行った。
そこに立っていたのは、花蓮と共にいた少女。
「花蓮が、死んじゃったの……。」
泣きだし、真弘に抱きつきながら少女は説明する。
「フェンスが、腐っていて、もたれかかった時にそのまま。それで、落ちて死んじゃった……」
大泣きする少女。
真弘はその少女があまりにも泣くから、頭を撫でてあげようとした。
「嘘ね」
その声を聞いたとたん少女は体を震わせる。
真弘が振り替えると、そこには神谷亜衣がドアに持たれ立っていた。
「な、なによ。私、何も嘘ついてなんか……」
「嘘。それは……三木花蓮は首を絞められて、そのまま落とされたの。警察ならすぐ分かるわよ。死因が絞殺だって」
「違うわよっ! あの子が勝手に落ちただけよ!」
少女は大きな声で叫んだ。
「よくも、花蓮ちゃんを」
真弘は、少女を突き飛ばした。
「ちがうの。真弘君、違うの。私……」
「あなたは、真弘君が好きで、告白に成功した三木花蓮がうらやましかった」
「違うの!」
拒絶して、少女は後退りする。
「真弘くんが好きで、叶わぬ恋だと知っていた。いつも見ているのは友達の三木花蓮」
「やめて……」
「可愛くて、優しい三木花蓮。真弘君はあなたを見てくれていなかった。ずるかった、悔しかった。だから首を絞めた」
「もう、やめて……」
真弘は亜衣を見て背筋に悪寒が走った。
笑ってる。
そんな神谷亜衣という存在に怯んだが真弘は言い放った。
「やめろ、もうこの子は苦しんでいる」
「へーそんな優しい言葉かけるんだ」
亜衣はその少女に近寄り優しく、声をかけた。
「よかったね。大好きな真弘君にそう言ってもらえて」
その言葉を聞いて、少女は真弘を見た。
「ごめんなさい、真弘君。ごめんなさい、真弘君」
「もういい、君も罪を償え」
真弘はそう言ってうな垂れた。
三木花蓮が死んだ。
好きだったのに……。
これから、三木花蓮と言う人物が好きになって行くはずだったのに。
真弘は愛を知らない。
だから、体で選んでから人を愛すのだ。
「それ以上行くと危ないわよっ」
亜衣の声を聞いて真弘は顔を上げた。
目の前に広がるのは先程の少女が、三木花蓮が落ちたと思われる場所に立っているのだ。
「危ない、早くこっちに戻るんだ」
真弘と亜衣はその少女のもとへ歩きだした。
少女は真弘たちを見て脅える。
「いや、来ないで」
「君がこっちに来れば、近寄らないよ」
真弘は優しく声をかけた。
しかし、少女は脅えてフェンスの向こう側へ行く。
「お願い、こっちに戻って……」
「いやあああバケモノ。こっちにこないでえええええええええ」
その言葉を紡ぎ、少女は飛び降りた。
三木花蓮と重なるように、少女もまた地面にペンキをぶちまけた。
「真弘君……」
亜衣は真弘の背中に抱きついた。
小さな声で泣いているようだった。
「どうして……」
真弘は落ちた少女を見て呆然とした。
パトカーと救急車のサイレンが聞こえる。
茜色の空。
赤とんぼが空を泳ぐ。
真弘は赤とんぼを見てひばりに逢いたいと思い、屋上を後にした。
たとえこの恋が実らなくても 二月三十日 @nisanzyu
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