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バイトが休みの日、部屋で昼ご飯を食べ終わった頃に電話がかかってきた。相手は高瀬さんで、彼は挨拶もそこそこに切り出した。
「あのさ、ヨダカのことなんだけど……」
最近、あいつ調子悪そうじゃない? 高瀬さんの言葉に私はスマホを握ったまま、そうですその通りですとばかりに二度三度と頷く。
「高瀬さん、何か聞いてますか」
「あ、僕も同じこと聞こうと思ってた。ヨダカに聞いてものらりくらりでさ。でも、いつか倒れるんじゃないかって気がするんだよな」
「夏バテですかね……」
私の言葉に、高瀬さんはしばらく沈黙した。何かを考えている風で、私は口を挟まずにじっと次の言葉を待った。折りたたみテーブルの前で膝を抱えて、自分のつま先をじっと見つめていた。
「秋月さん、もうここに来ないよう、あいつに言ってくれないかな」
「え……もうヨダカと会わないってことですか」
「違う違う、そういうことじゃなくって」
まさか高瀬さんがヨダカを見限るとは。呆気にとられる私に、慌てて高瀬さんは訂正した。心霊写真を撮る依頼を受けるのはやめにしたいと、彼が言うのはそういうことだった。
「僕がどれだけ言っても聞いてくれないんだよ。最初に誘って、あいつを焚きつけたのは僕だから、仕方ないんだけど」
「依頼はしばらくお休みってことにはできないんですか」
「そういうわけには、いかないだろうね」
高瀬さんが身じろぎするような気配があった。私も床からベッドに腰を下ろして、スマホを膝の上に置く。
「これは僕の予想だよ。あいつが心霊写真を撮れるのは、幽霊とか魂だとかいうのを呼び寄せているからだと思う。そして呼び寄せる代償に、生きる力を使っているんだ」
全く予期しない方向からの話に多少混乱してしまう。
「生きる力って、どういう……」
「生命力とか、命とか、そういった類の生者にしか持ち得ないものだよ。ヨダカといつも一緒にいた秋月さんなら気付いたかもしれない。あいつがたまに具合が悪そうなのって、依頼を受けて写真を撮った後が多くなかった?」
頭をフル回転させて記憶を呼び覚まし、あっと声が出た。彼はたまに顔色を悪くしていて、例えば奨励賞の記念に雑誌を買いに行った雨の日。私は自分の痣を隠すので手一杯だったけど、ヨダカも具合が悪そうだった。あの時彼は、前日に高瀬さんの元で依頼を受けたのだと言っていた。
「そうかも、しれない」
「写真を撮るために魂を呼び寄せて、その反動で生気を失っているんだ、きっと。身体が回復した頃にまた写真を撮って……そんなのを繰り返してたんだ。僕は気付けなかった」
がしがしと頭をかく高瀬さんの姿が目に浮かぶ。自分の鈍さに苛立ち、また後悔を覚えているに違いない。
「あいつ自身も、最初は単なる偶然だと思ってただろう。最近、積極的に依頼を受けるようになって、僕は単純に気が変わっただけだと思ってた。そして見る間にあいつは身体を壊していった。数日して少し良くなっても、写真を撮ったらまた体調を崩す。流石に僕も気付いたよ」
高瀬さんの説は非現実的だけど、私には確固とした真実としか思えなかった。
「止めなきゃ。このままじゃ、もしかしたら……」
死んでしまうという言葉を口にできなかった。
「ヨダカに僕の予想を説明して止めたよ。けどあいつ、へらへら笑って相手にしないんだ。そんなオカルトは信じないって。……もし僕が勝手に窓口を辞めても、あいつは自分のアカウントで依頼を受けるだけだ」
ヨダカを縛って監視し続けるわけにはいかない。スマホ一台あれば彼はいくらでも依頼を受けることができる。ざあっと音を立てて血の気が引くのを感じた。
「くそ、どうしちゃったんだよなあ。僕が文句を言う資格はないけど、ここまでするなんて……」
「私も、ヨダカに写真を撮るよう言ったんです」
私は高瀬さんに、ある夫婦から連絡があり、亡くなった子どもとの家族写真を彼が撮影したことを話した。
「ヨダカは、自分に自信がないんです。だからその時、もっと人助けになる写真を撮ろうって私が言ったんです。それが彼の自信になると思ったから」
あの時はまさか、写真を撮ることが彼の命を削ることに繋がるだなんて思ってもみなかった。知っていたら、決してそんな台詞は言わなかった。
「それで、前より依頼を受けるようになって……今は、自暴自棄になってるんだと思います。お母さんを亡くして、その、看取ることもできなくて……」
「失うものがないってことか」
高瀬さんの低い声は、まさに今の彼を示していた。大切な人を失くして、最後の望みも叶えられなくて、唯一自分に残された力に命を懸けている。
「写真を撮ることが、生きてる証明だもんな」
「でも、こんなの……」
知らない間に、私の声は震えを越えて涙を孕んでいた。ヨダカが死んでしまうという想像だけで、抑えきれない熱い感情がこみ上げて溢れた。
「こんなの、ただの自傷行為です!」
ぽたりぽたりと画面にしずくが零れる。手首を切って血を流す代わりに、ヨダカはシャッターを切って命を削っている。そうして、自分がまだ生きて誰かの役に立てている実感を得ている。そうしないと、彼はもう生きられないのだ。
「秋月さんの言う通りだよ。このまま続けば自殺行為といっても過言じゃない。けど、無理やり止める手段もない」
「じゃあ、どうしたら」
「そばにいるしかない」
私は一瞬、高瀬さんが諦めたのかと思った。もう救いの手立てはないのだと、降参してしまったように錯覚した。
「だから電話をかけたんだ。秋月さんは、今や誰よりヨダカのことを知ってるから」
「私、何も知らないです。彼のことは、なにも」
「少なくとも、僕らよりは知ってるよ。あいつが自分の部屋に秋月さんを泊めたって聞いて驚いたんだ。あいつ、ヨダカのくせに犬みたいにテリトリーを大事にしてるからさ、部屋に入れても泊めるなんてこと、誰にも許さなかったんだ」
驚いたせいで、ふと涙が止まった。高瀬さんは少しだけ笑って言った。
「僕らにとっても、あいつは大事な友人だ。けど、自分自身がもっと大切にしている存在がいるって気付くまで、そばにいてやってほしい」
頬を伝う涙を感じながら、やがて通話の切れたスマホを見つめて、口の中でばかと呟いた。ヨダカは馬鹿だよ、こんなに想ってくれている人がいるのに。
私はベッドから立ち上がった。袖で熱い涙を拭った。
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