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翌日はバイトが休みの日で、この前来られなかった高瀬さんが引っ越し祝いを持ってきてくれた。そのまま返すのも気が引けて、話し相手が欲しいこともあって、私はお茶を出すと言って引き止めた。
「おお、すごい、女の子の部屋だ。……あ、今のってセクハラになる?」
「ならないですよ、それぐらい」
やっと複数揃った食器からカップを取り出して紅茶を入れ、折りたたみテーブルに出す。バイト先で買ったお徳用パックだけど、贅沢を言える身分ではないから仕方ない。喉が渇いていたという高瀬さんは、一気に半分を飲み干した。
「えっ、これ、紅茶パック?」
受け取った包みからは、お洒落な紅茶パックの詰め合わせが出てきた。ひとパック毎に凝った洋風のイラストが描かれている、贅沢な品だった。失礼だけど、高瀬さんからのプレゼントとしては意外だった。
「意外でしょ? 正直、女の子に渡すものって見当がつかなくて、日比野さんに相談したんだ」
日比野さんとは美月さんの苗字だ。私はお礼を言って、紅茶パックの一つを手に取った。ヨーロッパ風のお洒落なお城が描かれている。
「可愛い。そうだ、お茶、淹れなおしますね」
「いい、いい。折角だから、秋月さんが全部使ってよ。俺が消費したらもったいないって」
あまりに恐縮するので、私はお茶を入れ直す代わりに、実家から送ってもらったクッキーを菓子皿に入れて出した。
「普段、あんな雑魚寝部屋にしかいないからさ、なんか緊張するよ。何度か日比野さん家に行かせてもらったことはあるけどさ、女の子の部屋っていうより、出来るОLの部屋って感じなんだもんな」
言葉通り、高瀬さんは左手をお皿にしてクッキーの破片を零さないよう細心の注意を払っている。その様子を見て私はつい笑ってしまう。
「そんなに気をつけなくても。零したら後で掃除したらいいだけですから」
「いや、流石にね」
高瀬さんと二人きりというのは初めてだったけど、思っていたような気まずい沈黙は訪れなかった。サークルや授業の話を面白可笑しく聞かせてくれて、大学への興味を随分とそそられた。
「また、ヨダカが来るとき一緒に来なよ。今度は……」
高瀬さんの声があっという間にしゅるしゅると萎む。ヨダカの近況を思い出して、続きを言い出せなくなったのだ。彼が次にいつ依頼を受けるのか、そもそも受ける気があるのかさえ今はわからない。
「高瀬さんも、聞いたんですか」
「うん。あいつのお母さん、亡くなったって」高瀬さんはふうと息をつく。「生意気だけど、可哀想なやつだよなあ。二人きりの家族だったのに。あいつ、これから大丈夫かな」
私は否定も肯定もできずに、カップの紅茶で舌を湿らせた。
「本人の気持ち次第ではあるけど、秋月さんもできれば気にかけてやってくれな」
「もちろん。……でも、昨日電話したところだと、まだ会える気持ちじゃないって」
「そうかあ。じゃあ、僕が立ち寄らなくて正解だったかな。ヨダカの部屋、ここから近いだろ。だからちょっと顔見てこようかと思ったけど、迷ってやめたんだ」
高瀬さんは身体の後ろに手をついて、シーリングライトの眩しい天井を見上げる。私もつられて白い天井に目をやった。
「五日経ったし、落ち着いたかなと思ったけど。そういえばまだ初七日も過ぎてないもんな」
ぼんやりと高瀬さんの言葉を耳にして、そうですねと言いかけて、私は「えっ」と声を上げて視線を戻した。
「今日で四日目ですよね、その……ヨダカのお母さんが亡くなって」
「あれ、違ったっけ。今日何日?」
スマホで日付を確認し、「二十六日」と返事をした。高瀬さんは指を折って日付を数える。親指から小指までの五本を内側に折り込んで首をひねる。
「やっぱり五日だよ。二十一日に亡くなったって聞いたけど」
そんなはずがない、私は昨日確かに、二十二日とヨダカの声で聞いた。
けれど高瀬さんが見せてくれたスマホの画面には、「二十一日に母親が亡くなったので、しばらく依頼は受けられません」とヨダカからのメッセージが残っていた。
「この日の明け方に亡くなったって聞いたよ。容体が急変したんだって」
高瀬さんの言葉に、そんなはずない、と今度は口の中で呟いた。だって、二十一日の明け方、私たちはまだ海にいた。あの時、母親の急変を知らせる連絡は一度も届かなかった。
かっと熱くなるような、電気が走るような、鋭い衝撃が頭を貫いた。二十二日というのは、私の聞き間違いではない。彼は確かに電話の向こうでそう言った。わざと一日遅れの日付を私に教えたのだ。
「……ごめんなさい、高瀬さん」
「え?」
「私、ヨダカのところに行かなきゃ」
慌てて支度を始める私を見て、高瀬さんは目を白黒させる。「でも、あいつはまだ……」言いかける彼に、ごめんなさいと深く頭を下げた。
「今すぐ直接会って言わなきゃいけないことがあったんです。折角来てくれたのにすみません、でも私、一秒でも早く行かなきゃ……!」
私の勢いにただ事ではない気配を察した高瀬さんは、何度も問い詰めることなく立ち上がってくれた。そろって部屋を出て、後でわけを説明することを約束する。
「なんだか分からないけど、とりあえず、あいつによろしく」
手を振る高瀬さんと別れて、私は歩いて二十分の距離を必死に走った。電話だとかメッセージだとか悠長なことは言っていられない。スカートではなくジーンズを履いていてよかった、きっと数秒でも早く彼の部屋に辿り着ける。
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