32
説得する相手は母であって柊哉ではない。だから気にしないつもりだったけど、流石に部屋に入ってくるのは無視できない。
「勝手に入らないでよ」
二階の部屋で荷物をまとめていると、ずかずかと柊哉が入ってきた。まるで自分の物のように勉強机の椅子を引いてどすんと腰を落とした。追い出すカロリーももったいないから、クローゼットを漁って大きめの鞄に荷物を詰める作業に戻る。新しく買わずに済むよう、主に服を押し込んでいく。
「おまえさ、自分が何言ってんのかわかってんの。三年ぽっちでプロになれるわけねーじゃん」
「年上におまえとか言わないで」
生意気な弟は、回転式の椅子を左右に振って不満げな顔をしている。
「こんな意志の弱いやつに、そもそも一人暮らしすら無理だ」
「うるさい。自分だって一人暮らししたことないくせに」
「今だって、男に縋ってんだろ。まさかネカフェで暮らしてるとか?」
私は男に頼らないと生きていけないと思われているのが悔しい。現に今までそうだったから、私は猛反発もできないまま、「友だち」と素っ気なく言い放った。
「嘘つけ、おまえにそんな友だちなんかいないくせに」
「だからおまえってゆーな」
「自由子さんか? もし万が一に可能性があるとしたら」
柊哉の言葉につい止まってしまった手を動かし、苛々しながらクローゼットの中の段ボールをかき回す。そして、柊哉は自由子の連絡先を知っていることを思い出した。ひと学年違いで同じ中学校に通っていて、私がもっと真面目だった頃、何度か一緒に遊んだこともある。自由子の名前しか知らない母親と違って、私が嘘を吐いても柊哉は軽々とそれを暴いてしまえる。
はあーとため息で肺の空気を押し出して、「フォロワー」とぼそっと呟いた。視界の端で、柊哉が回す椅子の動きが止まった。
「なるほどね。神絵師様はフォロワーの元に転がり込むこともできるのか。男漁り放題じゃん」
「あのさ、下品なこと言わないでくれる? ヨダカはね、あんたと違ってずーっと思いやりのある子なの」
「やっぱ男なのかよ」
「さあね。言わない」
ヨダカという名前だけでは性別の判断はつかない。仮に柊哉がツーエルを探ったとしても、十中八九、当初の私と同様に女性だと認識するはずだ。
流石に見知らぬ相手に悪口を言う気にはならないのか、柊哉は椅子を軋ませて立ち上がった。そのまま出ていくのかと思ったのに、今度はベッドに腰掛ける。
「今の、出てく流れじゃないの?」
「別におまえがプロだろうがアマのままだろうが、俺にはどうでもいい」
腕を組む柊哉のきっぱりした口調に、おまえという言葉を指摘する隙はなかった。ぐっと息を呑む私に畳みかける。
「けどな、母さんに迷惑かけんなよ。どんだけ心配かけてんのか自覚ないらしいから言っとくけど。今度こそ裏切るんじゃねーぞ」
咄嗟に反発しかけた短気を抑えて、私は立ち上がって彼に向き合った。一瞬たりともひるまない柊哉が、プロになれと言っているわけではないことぐらい理解できる。今後の私の裏切りは三年後の結果ではなく、中途半端に投げ出すことだ。
「分かってる。それに、お母さんにも柊哉にも迷惑かけてたことも分かってる。本当にごめん。応援しろとは言わないから、もう少しだけ見守っていて」
彼は高校一年生とは思えないほど大人びて見えた。それは彼がもつ天性のものだけでなく、そうならざるを得ない圧力があったことを私は痛感する。私の諦めは母だけではない、彼への裏切りにもなることを心に刻み込んだ。
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