27
剛史は何をする気だろう。まさか彼を刺したりしないだろうか。少なくとも一発ぐらいは殴るに違いない。彼をここに呼んではいけない。
分かっているのに、自分の命の危機を恐れて、私は床にへたり込んだまま画面に指を当てた。ツーエルには通話機能もついている。使ったことのないその機能を何とか起動した。
うずくまる私と後ろに立ちはだかる剛史との間で停滞する空気を、五秒ほどの呼び出し音が震わせる。
五秒の後、聞き慣れた声がスマホのスピーカーから零れた。もしもしという能天気なヨダカの声だった。
「なに、通話って。なんかあった?」
何も知らない彼の喋り方は、少し間延びして聞こえた。
「ヨダカ……」
必死に抑えたのに、声が微弱に震えてしまう。呼んじゃ駄目、巻き込んじゃいけない。そう思いながら、私は彼を呼ぶ。
「ごめん。今すぐ来て」
「来てって、どこに。どこの駅? 店?」
「うちに来て」
微かな沈黙があった。気をつけなければ見落とすほどの、ほんの僅かなテンポのずれ。彼と会話を何度も繰り返してなければ、気付かないような遅れ。だから私は気が付ける。彼はこの五文字で、全てを理解した。
「行っていいの。俺は暇だけど。ていうか、うちってどこ」
のんびりした口調の彼に、私は住所を呟いた。
「おっけー。マップだと三十分って出るけど、それでいい?」
「うん」
「じゃ、今から行きまーす。あ、通話繋いどく?」
「ううん。電車も乗るよね」
「そういえば。そんなら、また後で」
気配りを断ると、彼はそう言って通話を切った。ごそごそ物音がしていたから、本当にすぐ来てくれるらしい。
「随分ほだしてんだな」
俯いてスマホを見つめる私の背に、剛史の声が降ってきた。壁を蹴る音の後、冷蔵庫を開ける音がする。プルタブを開ける音。炭酸がシュワシュワ鳴って、それがビールだと知る。
「……若いな」
喉を鳴らした後に、剛史がぽつりと呟いた。ヨダカの声から、その若さを察したらしい。
「いくつだ」
同い年、と私も呟く。薄桃色のカーディガンの袖で唇を拭うと、赤が滲んだ。白い服じゃなくてよかったと、場違いなことを思う。振り向くと、シンクにもたれかかって缶ビールをあおる剛史と目が合った。彼が自分より随分若いヨダカに何をするつもりか分からない。
「ふうん、やっぱおまえも若い男がいいってことだな」
「幼馴染なの」
剛史が缶を傾ける手が止まる。その冷たい目を見上げて、朝灯町の名を告げる。
「小さい頃住んでた町で、よく一緒に遊んでた子。それぞれ引っ越しちゃったけど、偶然また出会って」
ちっと剛史が舌打ちする。その手の中で、空になった缶がぐしゃりと潰れた。
「言い訳しやがって、嘘吐き女が」
黙ったままの私の前で、フローリングに叩きつけられた缶がバウンドした。手の指先にかかったビールの水滴は冷たかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます