20

 私は剛史が好きだ。だから恋人となり、同棲している。生活にかかるお金の大半を彼に賄ってもらっている。代わりにご飯を作って掃除や洗濯をして、少しでも彼の支えになるよう頑張っている。互いへの感情に、一つもおかしな所はない。

 ごめん、剛史。私は浮かない表情は決して見せないよう気をつけながら、何度目かわからない謝罪を心で呟く。私はあなたを裏切っています。あなたに嘘を吐いて、ある人と会っています。口が裂けても言えない台詞を胸に、ありがとうと笑顔で告げる。隠し事をしている罪悪感を必死に抑え、ある人のことを思い出さないようにする。

 バイト終わりに待ち合わせをして連れてきてもらったのは、それまで一度も足を踏み入れたことのないレストランだった。彼はこれまでの彼女ともお高めの食事をしたそうだけど、私はイタリアンといえばせいぜい街のピザ屋にしか入ったことがない。彼はもっと大人向けの店を考えたけど、私が堂々とワインを口にできる年齢でないことを踏まえて、少しフランクな店にしたという。それでも、コース料理のお品書きに並ぶ言葉には、一つも馴染みのものはなかった。

 舌を噛みそうになる料理名と共に、大皿にはちょこんと控えめなパスタが盛ってある。確かに美味しいけれど、舌の肥えていない私には、それがどの程度のレベルなのかもよく分からない。

「唯依が成人したら、ワインで乾杯しような」

「私、飲めるかな」

 そばのグラスでは、ジンジャーエールがぱちぱちと泡を立てている。

「飲めるようになるまで、来させてやるよ」

 ありがとうと微笑んで、場違いさにお尻がむずむずした。フォークを落とさないように、グラスを倒さないように。いつもより神経を使いながら、小皿で充分な料理を口に運ぶ。ふんだんにお皿を使って洗い物が大変そうだと、それこそ場違いな感想を抱く。

 私たちが初めて顔を合わせてからちょうど一年の記念に、剛史はお店に予約をとってくれた。彼は以前にも私以外の女性とこのレストランを訪れたことがあるんだろうか。窓辺で揺れるキャンドルのささやかな灯を目にして思う。元カノの話は彼の機嫌を損ねるので、尋ねることはできない。

「あいつ、また失敗してさあ」

 お酒がすすんできたらしい。「前言ってた、部下の人?」私の言葉に頷いて、今年の新卒がいかに使えない人材かをとうとうと語る。コピー機の使い方も知らない、名刺の渡し方もぎこちない、社会人の自覚がない。剛史の愚痴は、彼らを面接した人事部の社員にも及ぶ。人を見る目がない、尻尾を振るだけで能がない、お世辞だけの人間。彼の言葉から、社会で生きる難しさや厳しさをひしひしと感じる。

 彼はお酒が入ると会社の愚痴をよく吐く代わりに、普段それを溜め込んでいることを私は知っている。誰かが聞かなければ、彼はそれを会社で態度に表すようになるだろう。そのせいで周囲から嫌われるのは可哀想だ。

 だけど、そんなに他人を責めなくてもいいのに。

 私はジンジャーエールと共に一意見を飲み込んで、阿呆のように頷く。実際に私は剛史のようにまともな社会人ではないのだし、恋人が社会でどんな苦労をしているかを理解しないといけない。彼の話を聞いて同調して、捌け口の役割を果たす必要がある。

「もう空だな。お代わり頼むか」

 私のグラスが空っぽなことに気付いた剛史に、もう入らないと笑いかける。本当にお腹はいっぱいなのだ。

 最後まで、私はこの二時間で食べたものの特別さが分からなかった。ジャンクなハンバーガーや安いプリンの味をぼんやりと思い出し、そちらに美味しさの軍配が上がるのが不思議だった、思い出したことを申し訳なく感じて、「美味しかったね」と彼にまたひとつ嘘を重ねた。

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