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何とかして、彼を励ましたいと思った。けれど、私なんかのどんな言葉も彼の救いになりそうにはない。それ以降も彼の私に対する態度に全く変化はなかったけど、私は考え続けた。
やがて閃いた考えに自画自賛しつつ、私はバイトに入る日数を増やすことに決めた。シフトの希望を多めに入れて提出し、ゴールデンウィークに連休を作りたいスタッフのおかげで、受け取った五月のシフト表に記載された出勤日は、普段より少しだけ増えていた。
ヨダカにカメラをプレゼントする。いつもスマホで写真を撮る彼の姿を思い出して、私はそう決めた。その日暮らしに近い彼の生活では、毎日を送るのがやっとのはずで、カメラを買う余裕などない。高級ではなくとも、スマホではなくカメラで写真を撮れるようになったら、彼はきっと喜んでくれるはずだ。
私はバイト代から生活費を引いて残った分は、絵を描く道具を揃えるために貯金している。それも大した額ではないから、少しでも良い物を買うため、五月のバイト代を上乗せすることを決めた。実際に手にしたお金で価格帯を決めてカメラを購入する。我ながら良い計画だと少し嬉しくなる。
「唯依、この日もバイトなのかよ」
五月の大型連休にも私のバイトが入っていることを知って、剛史は露骨に嫌な顔をした。それも当然だし、彼に対して申し訳ない気持ちはあるけれど、今更シフトを変更することはできない。
「ごめん。お休みとって家族旅行っていう人が多くて」
「だからって唯依が代わる必要もないだろ」
文句を言う剛史が、勝手にバイト先へ連絡を始めるんじゃないかと冷や冷やした。けれど彼はひとしきり不満を口にすると、意外にもあっさり引き下がった。私はほっとした心中を彼に悟られないよう気をつけつつ、グラスに冷えたビールを注ぐ。お酒は得意じゃないけど、剛史と乾杯するために自分の分も少しだけ。二つのグラスを手に並んでソファーに座って、週末の訪れをささやかに祝った。未だに慣れない苦みを喉に流して、膝に置いたノートパソコンを開く。ツーエルに新しい絵を投稿し、未読のコメントに返信を打ち込む。
「最近、風景の絵ばっか描いてるな」
全般的にスポーツ観戦の好きな剛史が、サッカーの試合中継を流すテレビから視線を剥がしてパソコンを覗き込んだ。
「そうかな」
「だって、さっき投稿してたのもどっかの海の絵だろ。そんで、今コメ返してんのもそうじゃん」
剛史の言う通り、最近はキャラクターのイラストよりも風景の絵を描いて投稿することが増えた。過去のスケッチブックを参考にしたり、写真集を眺めたり、実際に目にした風景をモデルにしたり。目で見たものを、私というフィルターを通して指先から形にする。心から楽しい作業だと思える。
「ほら、こいつだって言ってんじゃん」
剛史が指さす先には、馴染みのフォロワーの名前とコメントがあった。「YuIさん、最近趣向が変わった気がする。いつでも応援してるよー」剛史と似た感想を抱いている相手に、コメントを返す。「いつもありがとー! 今後もいろいろ描くから待っててね!」当たり障りのない言葉を打ち込んで、にこにこしている絵文字をくっつけて送信。まともで真面目でちょっとおどけたYuIのイメージを守り、決して逸脱しないよう気を付ける。私にとってコメントの返信は、気を抜いた片手間ではできない作業だ。
「なんで方針変えたの」
だから剛史の言葉に返事をするため、文字を打つ手を止めた。どちらもおざなりにすることはできない。
「そこまで変えたつもりはないけど」
「いや、絶対変わった。なんかあった?」
咄嗟に何もないと言いかけて、悪手だと悟った。
褒められることが増えれば、自ずと風景の絵を描くことも増えていて、その事実は今まで無自覚の中にあった。決して気を抜いてはいけなかったのに、私はうっかりその偏りを見過ごしていた。
「なんかっていうか……」
ヨダカだけでなく、高瀬さんや美月さんの言葉も頭の内側によみがえる。圧倒的に時間をかけた絵を手放しで褒めてくれる彼らに、もっと褒めてもらいたくて更に絵を描いた。彼らは私の希望通りに賞賛してくれて、そうした反応は当然の如く私の創作活動に影響を与えた。あまりに幼稚な自分の反射に羞恥を覚えると共に、それは自然な流れだとも思う。より苦労したものを面と向かって褒められて、嬉しくない人はいない。
「……褒められて、嬉しくなって」
私は下手な誤魔化しから自分がぼろを出すことを懸念して、そう返事をした。疑ってかかる剛史へ嘘を吐き通せるほど、私は賢くない。
「褒めるって、確かあのヨダカってやつ?」
「とか、いろいろ。こっちの絵の方がずっと時間も手間もかかるから、正直、褒められるのが嬉しくて。ちょっとずつ認めてもらえ始めたし。例えば……」
幾人かのフォロワーの名前を口にして、彼らからのコメントを見せる。彼らが私の風景画を賞賛する言葉を目にして、尚も剛史は「でも」と食い下がる。
「褒められるっていえば、キャラものの方がずっと人気あるだろ」
「うん。そう。でもね、苦労した子の方が認められた時の嬉しさは倍増するんだよ。もちろんどっちも嬉しいけど、報われたーって感じがもっとするの。なんかその感覚にハマっちゃって。同じだけ褒められるなら時間をかけたものの方が嬉しいって、そういうことない?」
私の早口に珍しく圧倒された風の剛史は、グラスのビールを一口流して考え、「そうかもな」とやがて呟いた。彼は創作に縁がないから、私の説明をあり得ないと切り捨てることができないようだった。
「それよりさ、ゴールデンウィークの最終日、空いてる?」
分が悪くなるとすぐに話題を変えるのも彼の癖。つまり、彼が自分の劣勢を認めた証拠。だから、私はそれ以上言及しない。無事に窮地を抜けられたことに、むしろほっとする。
「その日も、バイト入ってるけど……」
「じゃ、それ終わってから。俺、考えてることがあるんだ」
バイトの予定以外、私に拒否権などあるはずがない。ツーエルのコメントの返信は、まだしばらく出来そうにはない。
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