17

 次の電車に乗って、駅から歩いて、前と同じ部屋で高瀬さんたちに会った。相変わらず無精髭を残す高瀬さんは、ヨダカの文句に不平を言いながら髭を剃った。

「わあ、すごい、上手」

 少し遅れてやって来た美月さんは、私のスマホを覗き込んで嬉しそうに言った。隣りの部屋ではヨダカと高瀬さんが依頼人と話をしている。控えめに声を落としながらも、彼女の顔ははしゃいでいる。

「いいねえ、この蝶々。私、虫が嫌いでイラストでも苦手なんだけど、この絵は綺麗に見える」

 掃き出し窓が大きく開かれ、四月の安らいだ空気が部屋を満たす。ベランダに背を向けて並んで床に座り、私は先月描いた絵を美月さんに見せていた。レンガ造りの田舎町を、色とりどりの蝶々が舞っている絵。私の頭の中にしかない風景を、美月さんは目を輝かせて褒めてくれる。

 ファンタジックな風景画も、デフォルメされたキャラクターも、美月さんは声を弾ませてすごいすごいと言った。実際に吐息の交じる褒め言葉を浴びるのは、照れくさくて嬉しくて、顔が赤くなるのを感じる。せがまれるままに、私はスマホのメモリに蓄積されたイラストを彼女に見せた。

「高瀬見て見て! 唯依ちゃんの絵、プロだよ」

 依頼を終えて部屋へ戻ってきた高瀬さんに美月さんが言った。本物のプロに失礼だと恐縮すると、ヨダカがにやにやする。

「唯依の絵一枚描くのに、この三人の絵心合わせても足りないぜ」

「勝手にそんなこと言うなよな」

「あれ、高瀬に絵心なんてあった?」

「……いや、あるとはいってないけど」

 美月さんがヨダカに味方すると、高瀬さんは不満げながら白旗を振る。その様子が可笑しくて、私はついさっきまでの劣等感もどこへやら、自然に顔が綻ぶのを感じた。


 折角来たのだからと、高瀬さんはヨダカの報酬に五百円を上乗せしてくれた。これで学食でおやつでも食べろという。「一人五百円じゃなくて?」と更に追加を期待するヨダカの手に、高瀬さんは結局一枚だけ五百円玉を載せた。

「高瀬は真正のケチだ。彼女ができないのも納得だ」

 道すがら愚痴を言いながらも五百円を握りしめる彼と、近所の大学の学食を訪れた。私は初めて知ったけど、ここは学生だけでなく一般の人にも食堂を解放していた。主に自分でプレートにおかずを載せていくスタイルで、その安さに私は驚いた。五百円玉一枚でも、小皿のおやつが一人二つずつ選べる。私はプリンとゼリー、ヨダカは杏仁豆腐を二つ取った。彼には味の変化を楽しむという概念はないらしい。レジでお金を払うと適当な席に向かい合って着席した。

 プリンは市販のものより甘さ控えめで美味しい。私が遠く感じる甘みを探っている内に、ヨダカはさっさと杏仁豆腐を二つとも平らげてしまった。もう少し味わえばいいのに。私がそう漏らすと、薄味だけど旨かったとおざなりな感想を口にした。

 食堂は、半分以上の席が学生の姿で埋まっていた。勉強をして受験をして、見事合格して大学に入った人たちの中で、自分がしれっとプリンを食べていることが不思議に思える。少し年上の人たちを眺めながら、私はそれを見つけた。

 今こそ読むべき名作文学。スペースの一画を陣取る大きな本棚には、そう印刷された紙が貼ってあった。プリンを飲み込んで、私はパタパタと本棚に近づいて一冊を手に取る。頬杖をついてその様子を眺めるヨダカの元に戻り、その本をテーブルに置いた。私の顔は、少しににやついていたと思う。

「これがヨダカの元ネタでしょ?」

 青い夜空に一つの星が輝いている表紙に書かれたタイトルは「よだかの星」。馬鹿な私でもこのタイトルぐらいは知っている。

 僅かでも彼が恥ずかしがることを期待したのに、彼はあっさりと「そうだよ」と肯定して顔色一つ変えない。むしろその目がゼリーを捉えているのに、私はため息を吐いた。あげると言うと、一度は辞退しながらも結局は小皿を手に取り、自分のスプーンでゆっくり食べ始めた。食に執着があるのかないのかわからない。

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