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 いつの間にか、私は三日に一度はヨダカに会うようになっていた。会う度に話題は尽きず、話疲れて口を閉じても気まずさは覚えなかった。十分話して、残りの五十分をぼんやり過ごして別れた日もある。彼と居るときの感覚は、息継ぎに似ている。懸命に泳いで苦しくなった身体が、水から顔を上げて酸素を吸い込む安堵感。深い安心感と言ってもいい。ただ、息継ぎは次に泳ぐためのもの。だから私は毎回少しでも多くの酸素を吸って、次の泳ぎに備えている。

 六等星でのバイトを昼過ぎに終えて、待ち合わせの駅に急いで向かった。既に駅前のベンチに座っていた彼は、私を見つけると読んでいた文庫本を閉じて片手を上げる。同じ右手の動きで返事をした私は、ベンチの前で息を整える。

「そんなに走らなくていいのに」

 苦笑してヨダカが立ち上がり、私はバッグから取り出した水筒のお茶を一口飲んで息をつく。やっと落ち着いたのを見届けた彼が、行こうかと歩き出した。

 今日は依頼に応えるべく、高瀬さんの元に向かう予定になっている。彼らが私も連れてきていいと言ってくれたそうだ。あのヨダカが女の子を連れている、というのを面白がっているらしい。私も前の居心地を思い出して、是非お邪魔したい気分になった。

 駅の改札を抜けて、エスカレーターでホームに上がる。水曜日のお昼、電車を待つ人の姿はまばらだ。

 咄嗟にヨダカの袖を掴んで、私はくるりと踵を返した。早足でその場から離れ、なんだよという彼の台詞を無視してホームの端っこに向かう。仁王立ちの自販機へ背中を押し当てて、やっとヨダカの袖から手を離した。

「なんだよ、急に」

 不満よりも心配そうな彼に「ごめん」と目を伏せた。「友だち、見つけちゃって」

「友だち?」

 ヨダカは振り向いてホームの向こうの様子をうかがう。そこには、制服姿の女子高生が四、五人グループになってお喋りに勤しんでいるはずだ。「あの中?」

 頷いて、惨めさに泣きたい気分になった。この情けない姿をヨダカの前に晒してしまったことも併せて辛い。私の脳裏には、さっき見たばかりの自由子の横顔が鮮明に刻まれている。爽やかなポニーテールに、鞄では流行りのマスコットが揺れていた。その特徴を聞いたヨダカはもう一度向こうを振り向いて、確かにそんな子がいると言った。

「あの子、唯依の友だちなのか」

「……自由子っていう子。中学出て、疎遠になっちゃったけど」

 声かければいいじゃんとは、彼は言わなかった。少なくとも私たちの間柄を察している彼の様子にいたたまれなくなる。当然、到着した電車には乗れなかった。そのことを謝ると、「別に急いでないし」と言って、彼は人のいなくなったホームのベンチに腰を下ろす。私も彼女たちがいないことを確認して、やっと彼の隣に腰掛けた。惨めで消えてしまいたい気分だった。

「あの子が悪いわけじゃないよ。ただ、私が避けてるだけ」

 何に取り繕っているのか分からないまま、言い訳するようにスマホでツーエルを立ち上げる。「みゅう」という名のアカウントは、今日は高校の始業式で、午後からみんなでカラオケに行くんだと投稿している。

「なるほど」ヨダカは私から受け取ったスマホで自由子の投稿を指先で辿る。「見るからに女子高生って感じだな」

「もう会えない……というか、会っても会話すらできないよ。こんなにキラキラしてるんだもん」

「気にし過ぎな気もするけどなあ」

「どんな顔すればいいかわかんないよ。中三の受験の時から話も合わなくなって、いつの間にか離れちゃった。自由子みたいなまともな女子高生に合わせる顔なんてないよ」

 劣等感にため息を吐く私の横で、ヨダカの指先が画面をフリックする。自由子の眩しい日常が絶えることなく上から下に流れていく。健全で全力な高校生の生活の欠片が、私の無様な部分を必要以上に刺激する。

「疎遠ってことは、今は連絡してないってことだろ」

「ツーエルはフォローし合ってるけどね」

「こういうのって、どこまでマジかわかんねえじゃん。みんな、自分の見てほしい所だけ切り取って公開するだろ。プラスの面しか流れないんだから、そりゃキラキラして見えるって」

 彼の言葉に心当たりがあって、私は反発の言葉を咄嗟にくり出せなかった。私だって本当は知っている。人に自慢できて、羨まれそうな素材だけを誰もが率先して投稿する。私自身がそうなんだから。

「沼だよ、沼。入り込み過ぎると、いつの間にか沈んでるんだ。画面に流れる断片が相手の全てだと思い込んで、勝手に惨めになって自滅しちまうんだ」

 私にスマホを返しながら、ヨダカは素っ気なくそう言った。ツーエルにかける時間が私よりずっと少ない彼は、SNSとはるかに上手に付き合っている。彼の正論は最もで、納得もできる。

 頭ではわかっているのに、心からはどうしても劣等感が拭えない。今後も私はイラストを投稿して、反応の数に一喜一憂するだろう。嘗ての友人の投稿を目にして、自分も見栄を張るだろう。時々、アカウントもアプリも削除して、スマホごと解約したくなる。そんな度胸、あるはずがないのに。

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