13
お客さんを見送って一時間程が経った頃、高瀬さんも美月さんもバイトに行くというので、私たちも部屋を後にした。外は春を感じさせる温かな陽射しに満ち、うららかという言葉がひどく似合っている。
「いつもこんなことしてんの」
私の台詞にヨダカは、「月に一、二回くらいかな」と首をひねる。
「臨時バイトって感じ。高瀬は折角だからもっとやれって言うけどさ、面倒じゃん。いつも撮れるわけじゃないし」
「その撮れる撮れないって、どうやって見分けてるの」
横断歩道で信号が変わるのを待ちながら、彼は腕を組んで目をしばたたかせる。
「雰囲気? 撮れる人は、なんかパズルのピースがはまるっていうか、波長が合うっていうか、いけそうっていうのが直感で分かる。実際に対面したら五秒で判断できるよ。けど、そこではまらなかったら絶対無理。どう頑張っても撮れない」
青に変わった信号機がピヨピヨと鳴き始めて、私たちは歩き出す。彼は髪の青い部分を所在なさげな指でいじる。
「そんで、話聞いてるうちに輪郭がはっきりするっていうのかな。撮れるものが鮮明になっていくんだ」
「ヨダカの目には、その幽霊は見えるの」
「いや、見えない。俺はあくまで写真を撮るだけだよ。撮れそうな人を判断して、話を聞いて、シャッターを切る。そんだけ」髪から指を離し、くすくすと笑う。「いいバイトだろ」
役立てようと思えば、際限なく人の役に立つ能力だ。もっと手広く募集をかければ、依頼人はいくらでも集まるに違いない。人の数だけ人は死んでいくのだから、依頼が絶えることもない。
「なら、それ一本でやればいいじゃん。ヨダカにしかできないんだし、人助けになるんだし」
写真を見て泣いていた依頼人を思い出して訴えたけど、彼はいやいやと首を軽く振った。
「あくまで臨時バイトだから。次々人に会って話聞いて写真撮るなんて、まあ簡単だけどめんどくさい。最終手段があるってのはいいことだけどさ」
俺は気楽に生きたいんだと、鼻歌でも歌いそうな気軽さで彼は付け加えた。見てる方が不安になるような、刹那的で奔放な生き方。あのはるくんが、こんな性格に成長しただなんて。
「そうだ!」
私はうっかり声をあげて両手を打ち合わせた。大学の横を通り過ぎる学生が振り向いて少し恥ずかしいけれど、興奮を抑えきれないままヨダカに提案する。
「それなら、
びっくりしている彼に、私は思い出すように促す。
「私たちが小さい頃、一緒に遊んでたじゃん。ほら、四つ年上の女の子。いっつも私たち三人で遊んでたの、覚えてない?」
あーあーと意味のない声を漏らして、ヨダカは目を丸くしたまま、懐かしいなあと言った。
神隠し事件のあった六歳の夏まで、私とヨダカは葵ちゃんという四歳年上の少女といつも一緒にいた。身体が弱いという彼女は学校にもあまり行っておらず、私たちはよく家の中で絵を描いたり本を読んだり、たまに散歩に出たりして遊んでいた。今思えば歳に似合わず落ち着いた大人びた少女で、まるで弟妹のように私たちを可愛がってくれていた。
「……え、てことは、葵ちゃんって」
ヨダカの言葉に、私の興奮はふっと冷めていく。そうだ、連れ去られたヨダカには知りようがなかった。私は喉の奥に唾を飲み下し頷いて、彼の推察を肯定した。
「もう五年前、かな。その頃には私も町を引っ越してたんだけど、葵ちゃんの家から、亡くなったって連絡があって」
「やっぱり病気だったのか」
「葵ちゃんね、小児がんだったんだって。それで……」
幼い私たちには、葵ちゃんがどんな病気か知らされていなかった。教えられても理解できたか怪しいところで、ただ彼女は病弱なのだと聞いていた。それで私たちには充分だったから。きっと葵ちゃんも、病名を口にして私たちを戸惑わせたり、遠慮させたりしたくなかったんだろう。彼女の気持ちを想像すると、胸が苦しくなり目の奥が熱くなる。
うっかり泣いてしまわないうちに、私は足を止めてヨダカを見上げた。
「だから、ヨダカが私を撮ったら、葵ちゃんが写るかもしれないと思ったんだ。思い出ならたくさんあるでしょ。ヨダカがいなくなってからのことも、私いくらでも話せるよ」
葵ちゃんの死を唐突に聞かされた彼は、眉根を寄せた表情で、私の少し上に視線を向けた。大学の校舎を見ているわけではない、ざわつく心を整理している表情に見える。
やがて彼は、ため息のような言葉を落とした。
「無理だ」
それは至極残念そうな、悔しささえ滲む細い声だった。
「俺は偶然そこにいる霊だとか、さっきみたいな身内の霊なんかも撮影できる。ただ、狙って撮れるのは、被写体と血の繋がった身内だけなんだ」
血の繋がった身内。その言葉に、私も肩を落としてしまう。
「だから依頼があっても、夫婦の片割れだとか、ましてや親友や友人なんてのも最初から断ってる。どれだけ話を聞いたとしても、どうしても写らないんだ」
「そっかあ……」
ふと湧いた希望が、輪ゴムの外れた風船のように萎れていくのを感じた。
「しょうがないよ!」
私は笑顔を振り絞って、ヨダカの背中を強めに叩いた。剛史とは違う痩せぎみの少年の背に、パシパシと平手をぶつけて頬を上げる。うっかり提案してごめんと謝る気が引けるほど、彼の表情は辛そうに見えた。それは葵ちゃんの死を知っただけでなく、自分の力不足を痛感しているようで、敢えて私は気にしていない風を装う。
「ちょっと思いついただけだから」
彼の袖を引っ張って無理やり歩き出す。私の心情に気付いたのか、ヨダカも沈痛な表情を打ち消して、「はいはい」と軽くため息を吐いた。
「力及ばずで悪いな」
「そうだよ、もっとちゃんと修行してよ」
「ばか、調子に乗んな」
ヨダカの「ばか」という言葉の柔らかさに、私は思わず笑ってしまった。母や弟や剛史の喉から出る「ばか」の二文字とは明らかに違っていて、それは口角が上がってしまうほど私の心をこそばゆくした。同じ言葉なのに、迎え入れる感情がどうしてこんなにも変わるんだろう。彼も鏡のように笑っているからなのか。彼の言葉は丁度今の陽射しみたいに、ぽかぽかと温かささえ抱いている。
帰りたくないな。笑顔の私の中で、決して口に出せない台詞が鳴った。今日見たもの、会った人、訪れた場所、全てが再会を願ってしまうほどに私の心を緩やかに掴んでいた。
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