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「ねえ、そろそろ教えてよ。あの夏の日、何があったのか」
「あの夏って」
「十一年前の夏。覚えてるでしょ、神社でかくれんぼしてたの」
ふざけてとぼけるヨダカを睨みつける。彼は苦笑いして観念した風に首を軽く振った。髪の青い一房が左右に揺れた。
「母さんが、迎えに来たんだ」
「母さんって……ヨダカのお母さん?」
私は頭の中で彼の家に母親がいなかったことを遡る。私が物心ついた頃には、既に彼は父子家庭の子どもだった。はるくんの家には、お母さんはいなくてお父さんだけ。不思議に思っても、大人たちは当時の私が納得できる説明はしてくれなかった。
「俺の家、父親しかいなかっただろ。三歳の時に別れたんだけど、俺、ぼんやり覚えてたんだよな、母さんのこと。そんであのかくれんぼのとき、俺はいつもの場所に隠れてた。神社の掃除道具とか入れてる倉庫の裏。母さんは三歳の俺がかくれんぼをした時、俺がそこに隠れたのを覚えてたんだ。それで俺は、六歳の時もまんまと見つかったわけ」
「私より先に、お母さんがヨダカを見つけたんだ」
そうと頷いて、彼は続ける。
「やっぱり、俺は母さんに会いたかったんだよな。のこのこついて行って、レンタカーに乗せられて、誘拐成功だよ」
あの神隠し事件は、母親による息子の誘拐が真相だった。いくら町や山や境内を探しても見つからないわけだ。
「でも……」私は言葉を考えながら、木製のテーブルの木目を指先でそっと撫でる。ざらついた感触は、まるでこの言葉のよう。「お母さんは、一度ヨダカを」
夫婦が離婚すれば、幼児の親権は母親に有利になるというイメージがある。彼のお母さんは三歳の息子を自ら手放したとしか思えない。それなのに、三年が経って誘拐の真似事までして攫っていくなんて。
「母さんは、あの町が嫌いだった。あの
私たちが暮らしていた、小さな朝灯町。自然に囲まれた、長閑な田舎町の名前。
「商店の嫁の立場も、狭苦しい田舎の風潮も、自然しかない風景も、都会育ちの人間には耐え難かった。頼りの旦那の経営も傾き始めて、全部嫌になったんだって。この町で起きたこと全てを捨てて、やり直したかったんだ。嫁入りしてからの四年間の全てをなかったことにしたかった」
「でも……でも、都合よすぎるじゃない。自分から子どもまで手放したくせに、黙って取り返しに来るなんて」
私の言葉に彼は口を閉ざして考えている。重たい空気とは反対に、温かで柔らかな陽射しが私たちの側面を照らす。まるでこの空気を救おうとする光のようだ。
「……母さんは言ったよ、町を出る直前。母さんと行くか父さんのところに戻るか、好きな方を選べって」
「ずるい」咄嗟にそんな言葉が出た。「それって責任転嫁じゃん」
「俺には選べなかった。かといって、三人で暮らしたいなんて台詞も言えなかった。三年ぶりに会った母さんとまた別れるのが嫌で、俺が母親を選んだんだ」
私の言葉を否定せず、ヨダカは静かにそう言った。
「父さんと会うことは、二度となかった」
私は覚えている。はるくんの父親があっという間に憔悴し、老け込んでいく過程を。再び店を盛り上げようと奮闘していた威勢の良い姿が、見る影もなく消え去っていく寂しい様子を。彼の父親は穏やかで、息子の友人である私たちにも優しい人だった。店で余ったお菓子をくれたり、遊びに連れて行ったりしてくれた。
神隠しからひと月で、商店は永遠に営業を辞めてしまった。ほどなくして彼の父親も町を出ていき、小日向家の話を口にする人すら次第にいなくなってしまった。悲しい不幸な一家の存在は、町の寂れた過去の中に消えていった。
「お父さんは、ヨダカの誘拐のこと、気付いてたのかな」
「母さんが電話してるのを聞いたことがある。私がこの子を幸せにする、あなたには任せられないって。あの電話の相手は父さんだ。優しい人だったから、自分の店が傾いて自信も失くしてたんだろうな。母さんと拠りを戻せない以上、俺を取り返すこともできなかった」
店、潰れたんだろ、やっぱり。
ヨダカがぽつりとくっつけた言葉に、私は一つだけ頷いた。彼がほんの少しだけ笑い、「どこでどうしてるんだろうな」と言うのに、上手な返事は出来なかった。元気でいるに違いない、なんて気休めは言えるはずがなかった。
「じゃあ、今はお母さんと二人で暮らしてるってこと」
私の言葉に、彼は首を横に振った。
「母さん、俺が中三の時から病気で入院してる。だから今は一人だ」
「病気?」
「肺がん。あちこち転移してて、もう取り除けないんだって」
私は唇を噛み締めた。すっかり記憶から薄れていたはるくんが、あの物静かな男の子が、こんな不幸の中にいただなんて想像さえしなかった。誕生日に買ってもらった宝物のカメラを抱えて笑っていたあの子が、一体どんな悪いことをしたというんだろう。
「まあまあ、そんな顔すんなよ。なんていうか、俺はもう慣れてるから」
「学校行ってないよね、バイトしてるの?」
「工場の短期バイトとか、生きるだけならいくらでもやりようはある」
そうだと言って、彼はきょろきょろと辺りを見渡し始めた。青い芝生の上で、幼児を連れた母親がベンチに座り、歩道ではおじいさんが小型犬を散歩させている。一羽のスズメが軽やかに地面に降り立ち、すぐにどこかへ飛んでいった。
「あ、あれいけそう」
意味不明な言葉を口にして、彼は立ち上がるとジーンズのポケットから自分のスマホを取り出した。
「いけるって何が」
つられて腰を上げた私の質問に答えず、彼は右手で構えたスマホを十五メートルほど離れた隣りの東屋に向けた。ベンチには誰も座っておらず、人どころかスズメの一羽もいない。
彼が指を動かすと同時に、カシャ、とシャッターの切れる音が響いた。スマホで隣りの東屋を撮影した彼は、画面に指を触れさせて満足そうに頷いている。
「ねえ、答えてよ。いけるって何? ていうか、何撮ったの」
顔を近づける私に、彼はスマホを突き出した。何が何だか分からないまま、私は受け取ったスマホの画面をまじまじと見つめる。四本の柱と、薄く苔の生えた木製の屋根。土台の上には木のテーブルを囲んで、誰もいないベンチが三つ。
自分の目がみるみる丸くなるのを感じた。慌てて顔を上げて向こうを確認して、再び画面に視線を落とす。慌てる私の様子を見て、ヨダカはおかしそうにけらけらと笑った。
「え、これなに、どういうこと? 合成?」
「そんな暇なかっただろ」
「でもこれ」
彼の撮った写真の中では、残る四つ目のベンチに女の子が腰掛けている。どこかの高校の制服を着て、背筋を伸ばして姿勢よく座っている。けれど当然というべきか、目視した向こうの東屋には人っ子一人姿はない。
「よく撮れてるだろ、心霊写真」
「しんれい?」
「知らなかった? この公園、昔女子高生が自殺したんだって。多分、あそこで死んだんだ」
あそこと、彼は撮影した誰もいないベンチを指さした。私は白黒させる目を、彼のスマホと東屋の間で何度も何度も往復させる。少女の姿は透けているわけでもぼやけているわけでもなく、まるで普通の人間を撮影したようにしか見えない。だけど実際に、彼がレンズを向けたその場所には誰もいないのだ。
「これさ、意外と金になるんだぜ」
私の手からひょいとスマホを取り返して、彼は器用に片頬を上げて笑ってみせた。私の記憶のはるくんとは、遠く離れた仕草だった。
「面白いことするから、唯依も今度来てみなよ」
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