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 それから私は普段通りに過ごした。食事を作り、掃除をし、洗濯物を片付け、お風呂を沸かす。週に三回バイトに行って、空いた時間に絵を描く。クッションを敷いているとはいえ、ローテーブルにノートパソコンを置いてペンタブを使っていると腰や背中が痛くなる。けれど作業用のデスクを置くスペースはないから、時々身体を伸ばしながら作業をする。

「あれ、また風景描いてんの」

 お風呂上がりの剛史がタオルで髪を拭きながら、パソコンをちらりと覗いて言った。うんと頷いて、私は絵を描く手を止めた。脇に置いた写真集からヒントを得て、そこにオリジナルの要素を混ぜて、ありそうでない風景を描く。バイト代で買った写真集には世界各国のあらゆる景色が載っていて、眺めているだけでも楽しい。今は、レンガ造りの田舎町を色とりどりの蝶が飛び交う絵を描いている。

「キャラもん描いたらいいのに。あっちの方が人気出るだろ」

 冷蔵庫から取り出した缶ビールを開けつつ、剛史がソファーに座った。ローテーブル上のリモコンを手に取り、テレビの電源を入れる。途端にバラエティ番組の盛大な笑い声が部屋になだれ込み、とても作業どころではなくなる。私は他人の声が耳に入ってしまうと、自分の世界に浸れない質なのだ。

「キャラだけ描いてたら、こっちが下手になっちゃう」

「別にいいじゃん、漫画で売り出せば。おまえそんなに器用じゃないだろ」

「それはそうだけど」

 可愛いキャラクターを描くのも、空想上の風景を描くのも好きだ。どちらも捨てがたい。けれど剛史の言う通り私は不器用で、上達にも時間がかかる。

「よくあるじゃん、四コマでバズって有名になって本出すとか。それ目指せば」

「有名になりたいわけじゃないんだけど……」

 好きな絵を好きに描いて売れるだなんて、そんな才能は私にはない。辛うじて特技と呼べる程度のイラストで、狭き門をくぐれる自信なんて全くない。かといって、これを失えば本当に何一つ私自身には残らない。おまえは贅沢なんだと剛史は言う。彼の言葉は正論で、言い訳しながらも好きな絵を描いて過ごしている私は贅沢だ。贅沢で、空っぽだ。

「あれ、牛乳……」

 立ち上がってキッチンの冷蔵庫を開けて、牛乳のストックが切れていることに気が付いた。

「剛史、牛乳買ってきてくれなかったの?」

 夕食後にコンビニへ出かけた剛史に頼んだはずだった。今飲んでいる缶ビールを買って、牛乳は忘れてしまったらしい。

「牛乳?」テレビを眺める剛史が、眉間に皺を寄せる。「何の話」

「コンビニ行く前に頼んだから……牛乳買ってきてって。忘れてた?」

「いや、俺聞いてないけど」

 私の気に入らない言葉に、彼は組んだ膝を揺らす。

「唯依の勘違いだろ」

「でも私、メモ書いて渡して……」

「馬鹿、そんなん受け取ってねえよ」

 確かに私はメモを渡した。剛史がメモをズボンのポケットにねじ込んだのも目にした。コンビニで見るのをうっかり忘れたんだろう、脱衣かごのズボンを探ればメモが出てくるはずだ。

「何おまえ、疑ってんの」

 剛史が強がって嘘を吐いているのか、本当に覚えがないのかはわからない。私は、洗面所に行くのを諦めた。私が書いたメモはない、全て夢だったことにする。明日の朝、洗濯前にズボンのポケットから紙切れが出てきたとして、それは見ないふりをすべき物だ。

「ううん、ごめん、私の勘違いだった」

 笑いかけると、だろ、と言いたげに剛史は缶をあおる。苛立ちによる眉間の皺が消え去るのを見て安堵する。牛乳ぐらい、時間のある私が買ってくるべきなんだ。最終的には、そういうこと。

「そうだ、今日チェックしてなかった」

 彼が右手を差し出すから、私は小ぶりなブックシェルフの上で充電中のそれを取りにいく。充電ケーブルを抜いていると、背中から剛史の言葉が催促した。

「スマホ、見せて」

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