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 私は昨年の五月から梶井かじい剛史つよしと付き合っている。高校へ進学どころか受験もせず、スーパーのレジでアルバイトをしていた私は、剛史に誘われるまま彼の部屋に入り浸るようになり、付き合い始めてからひと月も経たないうちにすっかり同棲生活を始めていた。今年で二十九歳になる彼の仕事は説明されても正直よくわからず、IT関係の営業職とだけ把握している。私は彼が借りている1LDKのマンションの一室で家事をし、週に三回バイトに出て日々を過ごしている。

 急いで帰ると部屋にはまだ剛史の姿はなく、ほっとした。髪を解いて梳かしてから適当に一つに結わえ、ワンピースの上からエプロンをかける。研いだお米を炊飯器にしかけながら、昨日買っておいたひき肉を使ってハンバーグを作ろうと考える。涙を堪えて玉ねぎを刻んでいると、玄関のドアの開く音がした。

「ただいま、唯依いる?」

「いるよー、おかえり」

 この瞬間が剛史は好きだと言うし、私も同じだ。帰るべき場所で、気兼ねなくただいまとおかえりを言い合える。誰かと一緒に支え合って暮らしている実感は、私たちを心地よくさせる。

 廊下とリビングを隔てるドアが開き、スーツ姿の剛史が現れた。元から体格は良い方なのが、さっきまでヨダカに会っていたせいかよけいに逞しく見える。高校卒業までは野球をしていたらしい。

「帰ってるなら玄関まで出迎えてほしかったなあ」

「ごめん、ご飯の準備急いでて」不服そうな剛史に慌てて謝った。彼にそれ以上引きずる様子がないことにほっとする。

「スマホ、見せて」

「ちょっと待って。もう少しで切り終わるから……」

「飯なんか後でいいんだよ」

 先日、帰ったらすぐに飯が食いたいと言ったのは剛史のはずだ。私は包丁をまな板に置いて手を洗い、リビングのソファーに置きっぱなしのバッグからスマホを取り出した。

「別に、何もないけど」

 ソファーに腰掛けた剛史にスマホを差し出すと、彼は黙って画面にパスコードを打ち込んでロックを解除した。私の心臓がどきどきと拍動を速める。ヨダカと別れて電車に乗ってから、彼に言い忘れていたのを思い出したのだ。私と同様に、剛史もヨダカはてっきり女性だと思い込んでいたから、今日会いに行くことを許した。もし二人きりで会った相手が男だと知れば、剛史は激しく嫉妬して怒るだろう。ただ怒るだけならまだしも、度を超えてあちこちに八つ当たりするのが私は怖い。DМは控えるよう、ヨダカに口で伝えておくべきだった。

 剛史は私のスマホの中身を完璧と言っていいほど把握している。パスワードも電話の送受信履歴も、全て彼と共有することになっている。初めは抵抗感があったが、私は寝床を与えてもらっているのだから、当然だと言われれば当然かもしれない。それに危ない詐欺なんかに引っかかる可能性だってある。一回り年上の彼に委ねれば、きっと安全だ。

 それでも、ヨダカが男だったことは彼にも見抜けなかったわけだけど。

 どうか、DМが来ていませんように。何でもないふりをしつつ、ツーエルを立ち上げる剛史の手元を後ろからそっと覗き込んだ。新着メッセージ1件の文字に、一層鼓動が速まった。

「今日はありがとうございました! お会いできて嬉しかったです。次の作品も、楽しみにしています」

 剛史がヨダカからの新着メッセージを読み上げる。文面はそれだけだった。

 私はほっとして脱力感から座り込みそうになった。当たり障りのない文面に剛史も違和感は覚えなかったらしい。

「ヨダカってどんな子だった?」

 彼の言葉に、私は咄嗟に嘘を吐いた。

「同い年の、大人しそうな子だったよ。高校生だって」

 初めに抱いていたヨダカのイメージを伝える。線が細くて、賢そうな顔立ちの可愛い女の子。眼鏡をかけていたと更に嘘を加え、私は必死に頭を働かせ、剛史とヨダカを遠ざける。

 剛史の嫉妬と怒りが怖いだけじゃない。私は、もう一度ヨダカに会ってみたいと思っていた。神隠しの真相だとか、彼が今どんな生活を送っているのかとか、あの頃の思い出とか、顔を突き合わせてじっくり話したかった。そのためには、ヨダカが男であることを剛史に悟らせるわけにはいかない。

「で、次はいつ会うんだ」

「何も決めてないよ。約束もしてないし、する暇なかったし」

 会う約束をしたと言えば、同行するとも言いかねない。相手も忙しそうだし、機会があればという話になったと、私はまた一つ嘘を重ねた。

 別れ際、手を振って背を向ける私にヨダカは言った。

「来週の昼、ここにいるから」

 彼も私と話をしたいと思ってくれたのだろう。これが彼ともう一度会える貴重なチャンスだとは、馬鹿な私にもわかる。ヨダカとの連絡手段はツーエルのDМしかなく、アプリ上のメッセージを剛史が把握している以上、再会の約束は下手に交わさない方がいい。怪しめば、剛史はきっと同行すると言い出すし、私にそれを拒否する権利はない。

「ま、この子がどんだけ可愛いっていっても、唯依ほどじゃないだろ」

「何言ってんの、馬鹿だなあ」

 スマホをソファーに捨てて立ち上がり、剛史は私を抱きしめる。ごつごつした筋肉質な背を軽く叩いて、苦しいよと訴える。抱きしめられれば、馬鹿な私は簡単に全てを許してしまう。剛史は自分を好きでいてくれる、私も恋人に応えなければいけない。条件反射的な笑顔のまま、私はキッチンに戻った。

 重い裏切り行為を働いている自覚に、気分が沈んだ。例え偶然再会した幼馴染とはいえ、男の子と二人きりで再び会うことは、それも黙って内緒にしているのは、剛史に対する立派な裏切りだ。

 来週金曜日、バイトのシフトは入っていなかったはず。頭にカレンダーを組み立てて、玉ねぎを炒めながら、私はため息をのみ込む。一週間後に駅前へ行かなければ、恐らく二度とヨダカに会うことはない。どうしても行きたいと願いつつ、心の中で剛史に謝った。ごめん、剛史。やがて私が拵えたハンバーグを口にし、剛史は美味いと顔を綻ばせた。

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