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「もしかして、ヨダカって、はるくん?」

 私の頓狂な声に、彼は大仰に肩をびくんと震わせた。その顔をまじまじと見つめて、私の中で宙ぶらりんだったものがすとんと腹の底に落下した。目元も声も身体つきも、当時の彼が十一年の歳月を経たものと思えば、至極納得できる。

 小日向こひなたはる。ヨダカの正体は、六歳になる夏に神社で神隠しにあった、カメラの好きな男の子だった。

 彼も私の顔を改めて見つめて思い出したらしい。

「唯依って、あのゆいちゃん……」

 その声が、私の懐かしい日々を想起させた。毎日一緒に遊んでいたはるくんは、私のことをゆいちゃんと呼んだ。私は一つ年下の弟よりも、一人っ子で同い年のはるくんと遊ぶことの方が断然多かった。

 控えめで大人しくて、いつも首から子ども用のカメラを提げていた男の子。一緒に絵を描いて、鬼ごっこをして、写真を撮って。あの頃、私たちはいつも隣りにいた。

「全然気付かなかった。はるくんが、こんなになってるなんて」

「こんなってなんだよ」

「だって……」

 一部とはいえ髪を染め、ぼくだった一人称を俺に変えて、他人をからかってへらへら笑うはるくんなんて、誰が想像しただろう。私の後をいつも小動物みたいにちょこちょこ着いて歩いていたのに。

「そっちだって、変わったじゃんか」

 彼がぼそりと呟いたけど、私はそれ以上に気になることがあった。

「はるくん、十一年もどこに行ってたの」

 彼はあの夏の日、神隠しにあって、結局見つからなかった。神社から忽然と姿を消し、町の大人たちがどれだけ山を捜索しても発見できなかった。あの神隠しの真相を私は知りたかった。

 けれど彼は私の欲しい答えは口にせず、「俺はヨダカだ」と変なことを口走る。

「だからはるくんって言うな」

 年月が経って、彼もそれだけ大人になったということか。照れ隠しにしか聞こえない言葉に、つい私はくすくすと笑ってしまう。ヨダカなんて格好つけたハンドルネームを使っているのに、嘗ての幼馴染にはるくんなんて呼ばれたら格好がつかないんだろう。見栄を張る相手もここにはいないのに。

 さっきまでの不快感は吹き飛び、俄然もっと話がしたくなった。行方不明のまま、二度と会うことを諦めていた昔の友だちとの再会に、私は興奮を覚えていた。彼もまんざらではないらしく、どこかで腰を据えて話をしようと、近くのカフェに目を向ける。

 その時、私の手の中でスマホが振動した。着信中の合図だ。剛史つよしの名前が液晶に浮かび、慌てて通話ボタンをタップした。

「もしもし……」

「あ、俺だけど、今から帰るから」

 咄嗟にヨダカに背を向けた私の耳に、聞き慣れた声がそう告げる。

「え、でも、仕事は」

「直帰することになったから、あと三十分くらいで家に着く。唯依も飯の準備があるだろ」

 声に背後の喧騒が被さっている。既に駅のホームにいるらしい。

「けど、私いま出かけてて。言ったよね、今日の夕方フォロワーに会うって」

「あれ四時半だろ。ならもう解散すればいいじゃん」

 時計台の時計は四時五十分をさしている。

「二十分は話せたってことだよね」

「でも折角会えたんだから、もう少し話そうってなって」

「そんなん別にDMでも話せるだろ。確か待ち合わせって川和澄駅西口だったよな。家まで二十分はかかるんだから、おまえもそろそろ解散しろよ」

 あまりぐずぐずしていれば、剛史はすぐに機嫌を悪くする。私の喉から拒否の言葉は出てこなかった。

「わかった。今から帰る」

 重く澱んだ部屋の空気に耐えられる自信がなく、私は努めて明るい声でそう返した。剛史の機嫌は、私たちの暮らす部屋の空気そのものだ。彼が穏やかでいれば部屋は居心地がよく、反対に機嫌を損なえばまるで電気が通っているように空気はピリピリとする。

 通話を切って振り向くと、ヨダカ、もといはるくんは、気まずい私を腕を組んで眺めていた。

「ごめん、彼氏が帰るって。だから私も帰らなきゃ」

「唯依に彼氏がいるって、なんか意外だな」

 私の中で彼が大人しい男の子のままでいるのと同じく、彼の中の私は男勝りな女の子で止まっているらしい。

「人は変わるんだよ」

 偉そうなことを言う私に、ヨダカはふうんと気のない声を漏らした。

「同棲してんの」

「そう。華金だから飲んで帰るって言ってたのに。私、夕飯の準備しないと」

 剛史は声が大きいから、ほぼ全ての会話が彼にも聞こえてしまったに違いない。急に恥ずかしくなり、私はバッグにいそいそとスマホをしまった。

「男の金で暮らしてるってこと」

 帰ろうとする私に、ヨダカの遠慮のない台詞が突き刺さる。それは私の一番聞きたくない言葉だった。

「……バイトぐらいしてる」

「ほんとに」

「ほんとだって。カフェでホールしてる」

 軽蔑されているのだろうか。まだ十七にもならないくせに男と同棲して養われている私を、だらしない人間だと思っているに違いない。それは事実だから仕方がなくても、久方ぶりに再会した幼馴染の少年に軽蔑されるのは居心地が悪かった。あのゆいちゃんがと、小さなはるくんが驚き蔑視する想像にいたたまれない。少なくとも私の中にいる嘗ての私は、そんな情けない少女ではなかった。

「じゃ、また今度会おうぜ」

 そう言って彼は軽蔑も嫌悪も感心も見えない表情で笑うと、軽く片手を上げた。あの頃のはるくんを思わせる柔らかな目元に、私は思わず頷いて、つられるように右手を振った。

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